こちらを見ている気がする見られている気がする。意思を持って動く球体が人数分×2。通り過ぎざまに聞こえた会話は僕に対する卑下にしか聞こえない。考えすぎだろうかそうだろうか。人の多い廊下を早足で歩いて保健室に向かう。僕だけが独りだ。


「宗太、また来たの?」
 保健室には晴斗くんがいた。ちょうど60分前と同じ台詞を吐く彼は、ちょうど50分前に見たときと同じようにベッドの上で教科書を広げていた。

「やっぱりまだ教室が恐い」
「そう……おいで」
 晴斗くんはベッドのはじっこをぱんぱんと叩いてみせる。僕はそこに腰をかけた。

「無理しなくてもいいんだよ」
 休み時間のたびに晴斗くんはそう言ってくれる。僕は今無理をしているのだろうか。疑問にすると、今までの苦痛は和らぎ、もう少し頑張れる気がした。晴斗くんはすごい。僕を頑張らせる術を知っている。でも僕は晴斗くんを頑張らせる術を知らない。
 赤いみみずばれやカサブタで出来た細い線は、日を追うごとに増えていく。晴斗くんの手首も同じだ。彼は「切るとそのたび自分が生まれ変わる気分になる」と言った。晴斗くんは自分を傷付けるたびに自分を殺しているのだ。そしてまた新しい晴斗くんが生まれる。何も考えず衝動的な欲求で自傷を繰り返す僕とは違う。晴斗くんは変わりたいと思っている、苦しんでいる、頑張っている。「無理しなくてもいいんだよ」同じ台詞を僕が言ったなら、晴斗くんの手首にまたひとつ傷が増えるのだろう。僕は晴斗くんを頑張らせる術を知らない。僕なんかが何かしなくても、晴斗くんはいつも頑張っている。





 俺は男しか好きになれないんだ。
 晴斗くんにそう告げられたのはほんの数週間前で、そのとき僕はまだ保健室登校の生徒だった。初めて恋をしたのが同性で、その男の子に告白をした次の日からいじめが始まったのだと話された。晴斗くんが同性愛者だったことに対する驚きより、晴斗くんの思いを踏みにじった男への憤りが勝った。
 何で宗太が泣くの?
 晴斗くんが泣かないから、僕が変わりに泣くんだ。
 そう言えば、晴斗くんの指先が僕の首の皮膚を撫でた。ちょうど火傷の痕がある場所だった。その痕のせいで僕は人の視線に敏感になったのに、なでられた瞬間だけそこがただのちっぽけなシミに思えた。晴斗くんを前に、僕の悩みなど貧弱に感じられたのだ。
 ありがとう。宗太は優しいね。なら俺は宗太が受け入れられなかった宗太自身を愛すよ。
 晴斗くんの吐息が首にかかったと思えば、変色した皮膚の上に唇をおとされる。慈しむように何度も何度も。晴斗くんがこの痕を愛してくれるなら、僕は教室にだって行ける気がした。






「ほら、次の授業が始まるよ」
 晴斗くんはあの時と同じように火傷の痕にキスをする。僕が頑張れるおまじない。
 立ち上がる際に、ちらりと晴斗くんの手首をのぞいた。新しい傷が増えていた。

「僕、晴斗くんのこと好きだよ」
 晴斗くんはただ笑い、ありがとうと言った。本気にしていないな。

「……あのね、晴斗くんは生まれ変わろうとしなくて良いと思う。今のままの晴斗くんが大好きなんだ。だからもう自分を傷付けてほしくないよ」

 僕の嫌いな僕を晴斗くんが愛してくれるのなら、僕だって晴斗くんが嫌いな晴斗くんを愛するよ。
 唇をおとす先は唇で合っているだろうか。



おわり

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