繋いだ手は汗で湿り、べたべたと不快な感覚を生む。離してほしいと思うが行動には移さない。嫌がったところで繋ぐ力を強められるだけなのを知っているからだ。
「どこに行くの?」
 難しい顔をした兄の横顔に尋ねる。五年前、今回と同じように兄に手を引かれた時とまったく同じ台詞だった。
「……誰にも、邪魔をされないところ」
 答えられた台詞もまた五年前のものと寸分も違わない。ということは兄の思いはまだ変わっていない。変わったのは俺の背丈と周りからの視線だけだ。


******


 物心のつく前も後も兄にべったりな俺、甘えたな弟が可愛くて仕方ない兄。ブラコンの兄弟だと言われた。その意味はわからなかったけれど、周りがそう言うならそうなのだろうと思った。兄が執拗に俺とひとつの布団で寝たがるのも、手を繋ぎたがるのも、唇を重ねたがるのも、その一言で片付けられるものなのだと思った。「好き」に種類や順位があるなんて知らなかったのだ。
「好きだよ」
 そう言う兄の顔はいつも苦しそうに歪んでいた。兄は知っていたのだ。好意には種類も順位もあると理解した上で俺にそう言っていたのだ。
「おれもすき」
 返事をしたのは幼くて無垢な俺。


 ――兄ちゃん、どこに行くの?
 ――誰にも邪魔をされないところだよ。
 五年前、兄に引っ張られるまま初めてふたりで遠出をした。電車とバスを乗り継いだ先には田舎町。移動中、兄は俺の手を握ったまま離さなかった。
 ――邪魔って何の邪魔?
 返事はなかった。

 停留所に置かれたベンチにふたりで腰をかける。辺りは田んぼばかり。どこに行くでも何をするでもなく、ただ手を繋いで座っていた。次第に景色は暗くなる。近付いてくる明かりは自転車のライトだった。乗っていたのは警察官。補導されるふたり。
 交番には母が迎えに来た。怒られるのは兄ばかりで、俺はその大きな背中をずっと眺めていた。



******



 電車の窓から見える建物は見慣れないものばかり。大きな男ふたりが手を繋いで座る姿は他人の好奇を買う。視線は不愉快だった。

 意味もない逃避を、兄はまた繰り返すつもりだろうか。
 兄にとっての一番は俺だ。間違いない。そして兄は、弟にとっての一番が自分であることを望んでいる。幼い頃から擦り込んだ自分の好意が、トラウマとなり弟に残り続けることを期待している。そしてその反面諦めている。逃避行にもなりきれない旅の無意味さに気付いている。馬鹿みたいだ。兄にとって俺は希望であるとともに、罪悪の対象なのだから。

 ――おれもすき。
 昔々、兄の告白に返事をしたのは無知で無垢な俺だった。そして純粋だった。
 純粋にすきだった。
 俺の一番は兄だ。擦り込まれたからじゃない。あの時だって今だって、何も考えずについて行ったわけじゃない。言葉にしなければ兄は一生気付かない。ならば言葉にするまでだ。


「兄ちゃん、このまま駆け落ちしようか」


 存在するかもわからない場所を探すより、ふたりきりで生きていくほうがずっといい。
 ただの空気も、湿った手では冷えて感じた。



おわり




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相互記念の書き合いということでリュトさんに捧げたものです。
リュトさんの作品はどれもツボで大好きでした。またどこかでお会いしたときにはよろしくお願いします。




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