君の成長を見るのはとても楽しかった。拙い歩みを見せていた君はいつの間にか地面を駆けるようになって、君が今考えていることが言葉としてわかるようになった。大きくなったら戦隊ヒーローになりたいとその大きな瞳を輝かせていたのも短い間、小学校に上がればその夢はサッカー選手に変わっていた。きっとなれるよ。何度もそう言って微笑んだ。

 両親は忙しい人で、ふたりとも自宅にあまり帰らなかった。そのため年の離れた弟の世話は自然と僕の役割になっていた。中学高校大学と、通っている間も僕の生活の中心は弟。ごめんねと親に謝られることも少なくなかったけれど、僕にとっては万々歳だ。愛しい弟のそばに居られて、パパよりもママよりも他の誰よりも一番大好きだと言われる生活。むしろ多感な時期を親と過ごさないで成長していく君が心配でならなかった。不憫な思いをさせないようにと、休みの日は彼の行きたいところに連れていき、遊びに付き合い、一緒にサッカーの練習をして、家事も頑張った。僕に出来ることならなんでもしようと思った。
 あっという間に君は大きくなって、いつの間にか我が家の暴君になっていた。甘やかしすぎたかなと少し後悔したけれど、僕は君を甘やかすことしか出来ないから仕方ない。それに、小さくて無邪気な君は愛らしかったけれど、わがままで格好よくなった君も大好きだから何も言えない。ただのわがままに少しずつ刺が見えはじめて、初めての反抗期。父と母の二役をこなしていたからか、反抗も二人分の重みがある気がした。
「おい。飲み物」
「……それくらい自分でやってくれないと、」
「うっせ、だまれ。はやく持ってこい」
 はいはいと笑いながら言われた通りに飲み物を運んだ。
「……なんで麦茶なんだよ。コーラあんだろうが。きめえ、死ねよ」
 コップを投げ付けられる。僕の右腕に当たったそれは、床に落ちて割れた。中身は飛び散り僕の服や床がびしょびしょになる。弟は知らん顔で自室へと消えて行った。床に出来た水溜まりに、僕の涙が落ちていった。
 これは君が大人になるための過程なんだ。わかってる。でも僕自身には反抗期と言える時期がなかったから、不安になる。悲しくなる。もしかしたら弟は気付き始めているのかもしれないと思った。今まで懸命に隠してきた僕の劣情。でも表面に出している好意でさえ兄弟愛という言葉を越えているのは僕もわかっていた。君は気付いてしまったのかな。だから気持ち悪いと思われてるのかな。死んでほしいと言ったのは君の本心に思えた。

 母の仕事が落ち着き、安定した生活に戻った。家事をこなす母、高校受験に成功した弟。僕も今年で社会人4年目。貯金もそれなりにある。家を出ようと決めるまでにそう時間はかからなかった。
「……どんなことがあっても母さんに手をあげてはいけない。わかった?」
「……」
「君はこれから女性を守っていく立場になるんだ。だから絶対に傷付けてはいけないよ」
「……俺は、…」
 引っ越しの前、僕と彼はふたりきりで話をした。君が言いかけた言葉を飲み込んだその真意はわからなかった。


 年末年始も盆も僕は家には帰らなかった。実家以外で両親とは会っていたし、もともと放任主義な家だったためそのことに関しては何も言われなかった。一人暮らしをしてから弟の姿は一度も見ていない。唯一、母から見せられた写真で見た君は、最後に見たときよりも大人びていた。身長なんかはもう僕と同じくらいあるのかもしれない。友人だろうか、数人の男子に囲まれて穏やかに微笑む君を見て涙腺が緩む。
 君が僕のことを早く忘れれば良い。それだけを強く願った。




 インターホンが鳴る。来客者を確認せずに扉を開けて凍り付いた。
 そこには君がいた。
「いきなりごめん。中、入れてもらっていいか」
 君は淡々とそう言う。手先の震えに気付かれないようにしながら、もちろんだと笑みを作った。

「随分いきなりだね。母さんと喧嘩でもした?」
「まさか。兄さんの顔が見たくなっただけ」
 紅茶を入れようと取り出したカップを床に落としてしまった。
「兄さん、大丈夫?」
 カップは床の上で形をなくしていた。カケラを拾おうとして指を切る。近付いてきた君は、血の垂れる僕の指を戸惑うこともなく口に含んだ。指先に感じる咥内の熱と舌の感触。視線は絡んだままだった。

「……」
「…俺さ、大きくなったでしょ」
 固まる僕の正面で語り出す君。
「ずっと、嫌だったんだ。あなたが、兄で、父で、母であるのが。いくら好きだって言っても、家族愛としてしか兄さんには伝わらない。子供だとしか見てくれない。守りたいのはずっとあなたひとりだけだったのに…。俺がどれだけ苦しんでいたか、兄さんは知らないでしょ」
 肩に手を添えられて、身体が震える。
「……俺が怖い?」
「違う、違うんだ。……僕のほうが、ずっと君を好きだった」
「知ってた。兄さんはわかりやすいから」
 君は笑う。それは記憶の中のまだ幼い笑顔とも、写真の中でみたものとも違う、優しげな笑み。
 愛しい君のそばで、誰よりも大好きだと言われる生活がまた戻ってきた。



おわり

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