この関係の果てに何があるのか。
 加虐と被虐の捩れが生み出した感情に意味を探そうとするからいけないのだ。こんなことなら僕は被害者でいたかった。


******



 床に座って待っていろと言って佐々岡は部屋から出ていった。初めて入る佐々岡の部屋の雰囲気に気持ちが落ち着かず、きょろきょろと部屋の中を眺めていると、救急箱を手に持った佐々岡が戻ってきた。

「なんか珍しいもんでもある?」
「いや……」

 佐々岡は笑いながら僕の正面に腰を下ろす。同じ高さから顔を見つめられ居心地の悪さを感じていると、彼の手の平が僕の腫れた頬をそっとひとつ撫でた。
 彼は何も言わないまま、救急箱を開けて消毒液を取り出し、重ねたティッシュにそれを染み込ませる。湿ったティッシュが僕の唇の端に当てられると、傷口がぴりぴりと痛んだ。

「痛い?」

 頷くと彼は透けるような声でごめんと呟いた。謝るくらいなら初めから殴らなけれいいのに。自分がつけた傷を自ら手当てする気持ちがどんなものか、僕には一生わからないだろう。
 消毒を終えた傷口に軟膏が塗り込まれる。僕の口端で薬を馴染ませていた佐々岡の指は、いつのまにか唇をなぞるような動きを見せていた。

「キスしていい?」

 返事をする間もなく佐々岡の顔が近付き、僕の口に彼の唇が軽く押し当てられた。離れていったと思えばまた重ねられ、何度かそれを繰り返しているうちに、佐々岡に肩を押されて僕は仰向けに倒れた。
 覆いかぶさってくる佐々岡の目元は、熱っぽい朱色に染まっていた。

 音をたてて首筋を吸われ、服の上から胸元を撫でられる。体をよじらせて嫌がれば、それよりも強い力で押さえ込まれた。隆起した性器の感触を太ももに感じ、嫌悪感で鳥肌が立つ。

「や、だ……嫌だって!」
「でけぇ声出すなよ」
「嫌だ! 離せって!」
「うっせえんだよ!」

 骨が軋むほどの力で手首を捕まれる。へし折れそうな痛みに、細い泣き声が喉の奥から漏れた。
 滲む視界に佐々岡の顔が映る。彼は苦い表情で唇を噛んでいた。



「……ごめん」

 手首の拘束が解ける。圧迫の痕はくっきりと赤く浮かんでいた。
 佐々岡が僕の肩口に顔を埋めれば、彼の吐いたため息が僕の耳をかすめる。こんなつもりじゃなかったんだと佐々岡は泣き出しそうな声で呟いた。
 何を気に病んでいるのか。内出血が少し増えただけだ。それを口に出せば佐々岡は傷つくのだろう。日々体に痣を増やしながらも、僕は彼を憎みきれずにいる。

 加害者と被害者である僕らの間に、何か別な感情を抱いたのは佐々岡だ。考えるよりも先に手が出るような男が、暴力での服従を改めて対等な信頼を僕と築こうとしている。
 それさえも佐々岡の利己だと高笑いで蹴飛ばせば良いものを、僕にはそれができなかった。彼の不器用な思いは、固い芯を持って僕の心を突いてくるのだ。
 感化されていくほどに、僕の痛みははけ口をなくす。佐々岡を憎みきれないが、許すこともできない。行き場のない膿は体内で腐ってじくじくと痛む。おもいきり彼を恨むことができれば、こんな思いはしなかったのだろうか。
 こんなことなら僕は被害者でいたかった。


おわり


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