冷たい夜風が、アルコールで火照った体を冷やしていく。次第に覚めていく頭で、先ほどの飲み屋で見た同僚の笑みを思いだした。
『結婚するんだ』
 はにかむその姿は至極幸せそうだった。学生時代から付き合い続けていたという彼女の写メを見せてもらえば、大人しそうで清楚な可愛いらしい子だった。子供はふたり、男女どちらもほしいな。そう将来像を語る同僚の幸せが、俺は安易に想像できた。

 風が強まり、涼しさを越して肌寒さを感じる。鳥肌のたった腕を摩りながら空を見上げれば、雲に陰る月が見えた。言い表せない孤独感が俺を襲う。あいつの声を聞けば安心できるような気がして、月を見上げながら電話をかけた。
『――……もしもし?』
「あ、俺だけど、」
『三谷くん誰と電話してんのー? 彼女ー?』
『えっ、あ!ちょっと!』
『もしもーし、彼女さん? 三谷くんは今サークルの飲み会中なんで、電話切りますねー』
 で、本当に切れた。誰か知らないけど女の子の声だった。孤独感が増す。






 寝て起きれば酷い頭痛がした。昨日の酒のせいだ。けれどこんなことで仕事を休むわけにもいかないから、頭痛止めを薬局で買ってから出勤した。
「酷い顔してんね」
 デスクで薬を飲んでいると、後ろから明るい声がした。振り返れば、自分より少し年上の橋本先輩が立っていた。
「頭痛薬? 風邪?」
「二日酔いみたいです」
「珍しいね。お前、酒飲まないのに」
「同期が結婚するんで、祝い酒を少し」
「あぁ、あいつね。良いとこの大学出て仕事も出来てその上こんな早くに結婚なんて、出世街道まっしぐらじゃんね。憎いなあ」
「橋本先輩はまだ結婚とか考えてないんですか?」
「俺はまだかな。今は仕事が楽しいし。それに、家庭を持つことだけが幸せじゃないだろ。……あっ!お前はまだまだ遊んどけよ!二十代は始まったばっかなんだからな!」
 先輩がふざけた調子でそう言うから、俺は自然と笑っていた。





 帰り道、空を仰げば綺麗な満月。携帯電話をとりだし、発信履歴の一番上の「三谷」を選んでコールする。

『――……もしもし』
「もしもし、俺」
『あ、昨日はごめんな。サークルの飲み会があって、酔っ払った奴が通話切っちゃってさ…』
「うん、わかってる。今、電話大丈夫?」
『ああ、バイトまで時間あるし。なんかあった?』
「……あんさぁ、同期が、結婚すんだってさぁ」
『同期? 結婚?』
「うん、同期。大卒だから俺より4つ上だけど」
『そうなんだ』
「そんですごい嬉しそうな同期の顔見てたらさ、こいつはこれから結婚して子供できて家庭のために働いて、絵に描いたような幸せな道を歩んでいくんだろうなって思って、そうしたら、俺の将来がすごく不安になった」
『……うん』
「でも今日、上司が“家庭を持つことだけが幸せじゃない”って言ってくれてさ。不安になってた自分がすごく恥ずかしくなった」
『……』
「俺は、三谷とずっと一緒にいられたら、それで幸せだから」
『……俺もだよ』

 むず痒い。頬が熱い。お互いこんなの柄じゃないのに。

『……今、すげーお前に会いたい』
「俺も会いたい」
『抱きしめて耳の裏の臭い嗅ぎたい』
「それは嫌だ」
『嫌だって言われてもやる。月末にそっち行くから。覚悟しとけ』
「嫌だ。逃げるし」
『逃がさないし。むしろ寝かせないし』
「下品」
『あ〜、月末まで右手が恋人かぁ。寂しい』
「だから下品だって」

 だらだらとした話を終えて笑いながら通話を切る。
 これから、きっと、辛いことがたくさんある。悲しいことがたくさんある。また不安になる。でも、三谷となら乗り越えられる気がするんだ。それだけの思いがあるから。



おわり


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