彼の美しい赤毛は、汗ばんだ額にぺたりとくっついていた。きっと私の髪も同じような状態なのだろう。時折彼の手の平が撫でるように私の前髪を分けた。
「嫌だったら言ってくれ」
「痛かったら言ってくれ」
「辛かったら言ってくれ」
 行為のたびに彼は気遣うようにそう言う。私は頷く。一連の流れの中のひとつに意味などないのだ。言葉は言葉の役割を果たさず、頷きもまたしかり。非生産的な行為は書類の上で行われている。契約と合意、その二言は盾であるとともに矛にもなりうると知るのは私だけだ。

 ぐっと腰を深く押し付けられ、しばらくしてから彼は離れていった。色気もなく四肢を投げ出す私の横で、彼は慣れた手つきで避妊具を外す。
 腰は痛むし足はだるい、慣れない摩擦に内側も悲鳴をあげている。嫌だ、痛い、辛い。せめてふたりの間にあたたかい感情があったならば。
 まぶたを閉じる。彼は部屋を出たようだった。



******



 同性同士の婚姻が世界的に認められてきているとはいえ、王家の同性婚など例はない。しかし私は政略の下この国に正妃として迎えられた。
 自国で第六王子だった私は政治を学ぶでも経済を学ぶでもなく、ただただ王家という立場に安心しきっていた。そんな中伝えられたこの婚約。信じられる内容ではなかったが、私に断る権利などないことも知っていた。



 昨夜の行為後から体調が優れず自室に閉じこもっていると、昼頃に女が訪ねてきた。
「もう、こちらの暮らしにも慣れましたか?」
 女は王子の第三妃にあたる者だった。彼女もまた国と国との繋ぎとして送られた身で、時折顔を合わせては世間話を交わす。

「慣れるも何も、こちらに来てからのほとんどはこの部屋で過ごしていますから……」
「わたくしも同じようなものですわ」

 くすくすと口許を押さえて笑う彼女の仕草からは、女性らしい淑やかが伺えた。白く柔らかな指に目がいく。ああ、女性なのだな。当たり前か。私の骨張った手が異様に醜く見えた。

「……貴女のような方こそ正妃に相応しいのに、何故私なのでしょうか」

 漏れた呟きに、彼女は笑みを深くした。

「悩まれているようですわね」
「……政略結婚だとしても、もっと適当な相手などいくらでもいます。何故私なのでしょうか」
「あら、贅沢な悩みですこと」

 驚いて顔をあげるが、彼女の表情に含みなどなかった。純粋な言葉には悪意もない。

 彼女の言葉の困惑していると、部屋の扉が開かれた。目をむけると固い表情の王子が立っていた。

「何をしている」
「何も。ただお話していただけですわ」
「……軽率な行動は控えていただきたいものだ。噂好きの侍女たちが何を言い出すかわかったものではない」

 彼の眉間のシワが深まっていくのに比例して、女も笑みを濃いものにしていく。わたくしは邪魔のようですわね、言い残して女は部屋を出て行った。

「何もされなかったか」
「……少し話をしていただけです」
「それならいいが」

 王子はベッドの側まで寄ると、大きな手の平で私の頬を撫でた。

「体調がすぐれないと聞いた」
「ご心配にはおよびません。寝ていれば治ります」
「そうか。……明日は公務で隣国へ向かうのだが、君はどうする」
「待っています」

 着いて来てほしいニュアンスだったが気付かないふりをした。王子は私を度々交流の場に立たせたがったが、見世物にされるのは目に見えていた。他国の美しい妃に囲まれて私はひとり何を感じなければならないのか。

「さきほどの女性を連れてはいかがですか」
「……君がいいんだ」

 良い客寄せになるから? 皮肉を飲み込む。彼の瞳が酷く真摯だったためだ。

「君がいいんだ」

 繰り返された言葉に頬が赤らむのを感じた。視線が熱い。
 彼の顔が近付いてくる。拒む理由もない。静かに重ねられた唇は確かに温かかった。

 ふたりの間にあたたかい感情があったなら、そう願ったのは昨夜だけではない。初めは、しがらみだらけの関係に救いを求めただけだった。
 行為後に部屋を出る背中を見つめながら、そばにいてほしい、なんて願ったのはいつからだろうか。

 寝衣の隙間から彼の手が入ってくる。胸元を探るその動きを一度静止させれば、困惑した瞳がこちらを見つめてきた。


「今夜は、ただ抱き合って眠りませんか」

 王子とか正妃とか契約とか国とか、一度脇に置いて、ふたりで寄り添いたい。愛だの恋だの、自分でもよくわかっていないけれど、彼の温もりを欲していることは本当だから。



おわり

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