「兄さん、眠れないのか?」

 扉の開く音と共に晴紀が部屋へと入ってくる。かけられた声音は柔らかさを帯びていたが、返事を返す気分ではなかった。
 眠れないのか?眠れるわけがない。縄できつく縛られた両手足首には血が滲み、ところどころ化膿して、身体を少し動かしただけで激痛が走る。臍の横に押し付けられた煙草の跡はじくじくと痛むし、革のベルトで打たれた背中はきっと赤く腫れ上がっているだろう。

「……今、睡眠薬を持ってくるよ」
 晴紀は薬を取りに一旦部屋を出た。そんなもの欲しくない。拘束を解いて、温かい風呂に入れてさえくれれば、それだけで私の安眠は確保できるのだ。
 帰ってきた晴紀の手から私の口へ睡眠薬が押し込まれ、流すように水を飲まされる。私の口の端からこぼれた水分を、彼は丁寧に舌で舐めとった。それから晴紀は、薬と一緒に持ってきた温かい濡れタオルで私の秘部にこびりついた自身の精液を拭った。



 元来あまり夢など見なかった私は、この部屋へ閉じ込められるようになってからというもの、意識を手放す度に夢を見た。それも決まって同じ、幼い頃の記憶を夢に見るのだ。
 それは私が父に頬を打たれる場面から唐突に始まる。
「誰がテーブルで飯を食べていいと言った。お前の場所はここだろう?」
 父の指す先は冷たいフローリングだった。私は床に這い蹲い、顔を皿に突っ込んで中身を食べた。二日に一度の食事を前にすれば、屈辱も羞恥も感じない。犬のようにエサを頬張る私を見て、父は声をあげて笑っていた。晴紀の顔には霞みがかかり表情はわからない。
 父は床に這う私の腹を蹴飛ばし、頭を踏み付け、流れた鼻血が床へ垂れると「汚らしい」と一喝してから舐めとることを命じた。私は言われたとおりフローリングに滴った鮮血を舌で拭い始めるのだが、拭っても拭っても新たな血が落ちてくるものだから、中々その作業を終えることが出来ない。
 しばらく続けていると、私の耳に微かな悲鳴が聞こえてきた。伏せていた視線を上げると、床に転がった晴紀が見えた。その上に覆いかぶさるのは父。
 晴紀の身体をまさぐる父の姿にも、その湿った息遣いにも、時折漏れる晴紀の悲鳴にも気付かないふりをして、私はまた床を舐める。
「嫌だ、嫌だ、助けて兄さん」
 私は何も聞こえない。







 冷水を浴びせられたことで、私は目を覚ました。水に濡れた私を、晴紀はバケツを片手に見下ろす。彼の感情の汲み取れない瞳を覗き、私の瞳もまた同じなのだろうと思った。
 お前は私を恨んでいるのだろうか。繰り返される凌辱には輪郭のない父の気配が感じられる。晴紀の肌を撫で私の頬を打ったあの男も今はもういない。
「兄さんは僕を恨んでいるか?」
 問い掛けられた。私たちは記憶に縛られている。晴紀は私への罪悪から私を傷つけている。それは晴紀が自身を傷つけていることと同意なのだ。
 頷くことで何かが変わるのか。意味のない自傷に理由を与えてしまうだけだ。お前だけが楽になるなんてそんなのは許さない。恨むべきは俺でもお前でもないのだから。

「いつまでこんなことを続けるのか」
 痛むのは体の表面ばかりだ。内側の癒えぬ傷も二人なら埋められるかもしれない。舐めあい?それでもいいよ。




おわり

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