***   


 たんすの奥から余所行きの服を引っ張り出して着てみたけれど、裾の長さが足りなくて、なんだかみっともない。姿見に映る自分の姿を眺めると、服装だけではなく、自分の薄っぺらい体も恥ずかしく見えた。
 居間のほうからヤナギが僕をせかす。慌てて戻ると、浮き足立った様子の彼が僕を待っていた。
 行こうかと声をかけて玄関を出ると、彼は僕の後ろをひな鳥のようについてきた。
 門の前、ここから先は家の外になる。三年ぶりだった。
 あと一歩踏み出せば……というところで、足が止まってしまう。
「あおい?」
 ヤナギが心配そうな声を上げた。
 大丈夫。大丈夫。人の少なそうな細い道を選んで行けばいい。そして、帰宅ラッシュに鉢合わせないように、中盤でさっさと切り上げて帰ってしまおう。
 言い聞かせるように心の中で呟く。額の端っこから流れた汗が、顎の先へ伝った。
 遠くのほうから、子どものはしゃいだ声が聞こえてくる。それだけで、一気に体が緊張してかたくなってしまう。

 いつのまにか、ヤナギは俺の手を握っていた。
 情けなくて、悔しくて、涙が滲む。
 ヤナギはそんな僕の顔を覗き込んで、いつもと変わらない調子で笑った。
「あおい、やっぱりやめよう。家の中で何かして遊ぼう」



  ***   



 ぱちり、と良い音を立ててオセロのコマが置かれた。
 今の手で四つ角を自分のものにできたヤナギは、悠々とした表情で僕の動きを待っていた。

「……花火のこと、本当にごめん」
「もう、謝らないで。俺はあおいに無理させてまで行きたいとは思わないよ」

 ヤナギの手が僕の頭を撫でる。髪をとかすように滑る指先が優しくて、心地よかった。凝り固まった心が柔らかくなっていく。
 ほぐれた胸の内から、過去の記憶を引っ張り出す。彼には、話しておきたいと思った。どうして僕が、こうなってしまったのか。

 ヤナギ、あのね。そう切り出すと、彼は僕の真剣な様子を察したのか、少し背筋を伸ばして居住まいを正した。

「僕、人が恐いんだ」
 彼は小さく頷いて、先を促す。

「うちの両親は仕事の関係でほとんど海外にいるんだ。だから、僕たちは小さいころからこの家でばあちゃんに世話をしてもらってた。今はもういないけどね」
 ばあちゃんは、僕が小学四年生のときに亡くなってしまった。それから僕と姉ちゃんのふたりでこの家に住んでいる。

「この庭、元々ばあちゃんが手入れしてたんだ。とにかく花が大好きな人だった。僕は昔から気が弱くて、よく近所の子からいじめられていたから、ばあちゃんは口癖のみたいに『雑草みたいに強くて丈夫になるんだよ』って言っていた」
 ―ー黙っていれば水を貰えるような花なんてほんの一部なんだよ。葵が植物だったとしたら、そのへんの雑草。踏みつけられながら、根を深くさせる。へこたれてはいけないよ。そうやって頑張っていれば、きっといつか大切な人が見つかる。目の前を素通りしていく大勢の中で、立ち止まって自分を見つけてくれる人が。ばあちゃんにとって、それはじいちゃんだったんだよ。
 そう言って目元のシワを深くさせるばあちゃんが好きだった。
 小さな頃から同じような話を何度も聞かされていたから、ばあちゃんがいなくなっても、その言葉は僕の中で生きていた。




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