僕が初めて自分で育てた花は朝顔だった。小学4年生の夏休み、自由研究の課題として「あさがおのかんさつ日記」を書くことにしたのだ。ばあちゃんの手で綺麗に手入れされていた庭の一角に、僕の分のスペースを空けてもらい朝顔を埋めた。
 緑の芽は日に日に大きくなり、挿し木に丸まるように身を預け始める。自分が世話をしたものが目に見える速さで形を変えていく、それは幼い僕にとってとても新鮮だった。早く花を咲かせてほしくて、ジョウロいっぱいの水を毎日与えた。
 そうやって大切に育てていたのに、ある日、急に朝顔は葉をしおらせてしまった。

『お水をあげすぎたのかもしれないわね』

 ばあちゃんはしょげた僕の頭を撫でながら、そう教えてくれた。とにかく水を与えればいいと思っていたけれど、やりすぎは毒になることもある。
 結局朝顔は枯れてしまい、夏休みの自由研究も市販の工作キットで作ったものを提出した。
 今はもう大分知識がついてきたため、そんな失態はないけれど。

 大分昔の思い出に懐かしい気持ちになりながら、鉢植えの植物の葉を霧吹きで湿らせていく。葉水といって、こうすることで植物の温度を下げることができるのだ。
 けれど、これもやりすぎれば葉の痛みへ繋がる。まんべんなく、少しずつ、気を使いながら湿らせていく。
 すると突然、視界の端から骨ばった手が現れ、カラーの蕾へ伸びていくのが見えた。

「大きな蕾だ。咲くのが楽しみだね」

 花弁の黄緑がかった部分を、指をすべらせるように撫でている。
 おはよう、あおい。と、昨日と同じ姿のヤナギが、目元を緩めて微笑んだ。

 ヤナギというのは彼の呼び名だ。メキシコハナヤナギだから、ヤナギ。昨日の夜に、次からは彼のことをそう呼ぼうと考えていた。

「おはよう。いつからそこにいたの?」
「今さっきから」
「そう。……昨日、急にいなくなっちゃったからびっくりした。どこ行ってたの?」
「森に行ってきたんだ。森のみんなに昨日のことを話したら羨ましがられたよ」

 森のみんな。物語の中でしか聞いたことのないような台詞だ。
 暗闇に沈んだ木々の中で、楽しそうに声を踊らせているヤナギ。想像してみると、その姿が鮮明に頭に浮かび、なんだかしっくりきた。

 ヤナギは不思議のかたまりだ。見れば見るほど、ヤナギは生身の人間と変わらないように思う。何が違うのだろう。綺麗に鼻筋の通った鼻の頭にはうっすらと汗が滲んで見えるし、薄めの唇は乾燥からか少し皮膚が荒んでいる。確かにここで息をしているのに、姉さんには彼が見えない。

 彼の腕を掴んでみる。彼の皮膚はしっとりと汗ばんでいた。ふたり分の体温で手のひらが熱くなっていく。

「……どうしたの?」
「普通の人と変わらないんだなって。あたたかいし、汗もかいてる。僕以外の人には姿が見えないみたいだけど、触れることもできないのかな」
「多分、触ることは出来ると思う。人じゃないけど、花や物はこうやって掴んだり出来るし」

 そう言ってヤナギは僕の手から霧吹きを取って、しゅっと一吹きさせた。

「俺もよくわからないんだけどね。あ、そうだ、あおいのお姉さんで実験してみようか?」

 彼のその提案に、僕は慌てて首を振った。
 昨日の時点で、姉ちゃんは僕の言うことを信じていなかったし、馬鹿のにさえしていた。これ以上見えない何かが見えるということを匂わせてしまったら、心の病気を疑われてしまうかもしれない。あの姉ちゃんなら、僕のことを引ずってでも病院へ連れて行こうとするだろう。それは勘弁だ。

 腑に落ちないヤナギの表情を見なかったことにして、僕は縁側にごろりと寝転がった。



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