今朝、鉢植ごとどこかへ消えてしまったメキシコハナヤナギ。紫の花を思い浮かべて彼の姿に重ねてみるが、どこからどう見たって二つの存在が繋がることはない。

 落ち着け。この男はただの不法侵入者だ。もしかしたら鉢植えを盗んだ犯人かもしれない。ていうかきっとそうだ。僕を錯乱させて楽しんでるんだ。……なんて悪趣味な。

「で、出てってください! け、警察、呼びますよ!」

 勇気を振り絞ってそう叫ぶと、男がひるんだように一瞬動きを止めた。
 僕の必死の形相に驚いたのか、警察という単語に怯んだのかはわからないけれど、これはチャンスだ。
 とにかく助けを呼ぶために急いで家の中に戻り、縋り付くように電話機を取る。急いで110を押そうとすると、今度は激しい音を立ててドアが開いた。


「おい、引きこもり、何騒いでんのよ! ご近所さんに聞こえたら恥ずかしいからやめなさい!」

 丁度いいタイミングで、姉ちゃんが帰ってきたのだ。
 不機嫌さを顔いっぱいに表した彼女が、かかとを落とすようにして、わざとらしいほどの足音を立てながら居間へと入ってくる。
 安堵感で僕の肩から力が抜けていく。

「姉ちゃん! こ、こいつが勝手に家の中に入ってきて……!」

 男を指差して叫ぶ。彼は逃げようとする素ぶりもなく、縁側の手前から僕らの様子を眺めていた。
 姉ちゃんは僕の指した方向をじっくりと見つめ、それから訝しむように視線を僕へと戻した。

「なんの話? こいつ?」

 怪訝そうな顔をされてしまい、僕は何が何だかわからなかった。説明するまでもなく、姉ちゃんはこの男に食いかかり、追い出してくれるものだと思っていたからだ。
 それから彼女は、僕と、男のいるあたりに何度か見比べたが、眉間のしわが徐々に深くなるばかりだった。

「……幽霊が見える『設定』かなんか? 中二病もほどほどにね」

 呆れと皮肉が含められた物言いに、ぽかんとしてしまった。
 姉ちゃんが何を言っているのかわからない。

 彼女は、うつけたように立ち尽くす僕を放って居間を出て行った。


 −−もしかしてだけれど。
 浮かんだ仮定はとても信じられないものだったけれど、姉ちゃんの反応を見る限りでは、それしかない。
 僕はくるりと体を回転させて、男と向き合った。

「姉ちゃんには、君が見えてないの?」
「うん。俺の姿も、声も、あおいにしかわからないみたいだ」

 あっさりと肯定され、言葉を無くしてしまう。

「俺、人間の姿になって、あおいと話をしてみたいって思ったんだ。そうしたらこうなってた。きっと神様が叶えてくれたんだ」

 この男は、まるで「お小遣いが欲しいって言ったらばあちゃんが千円くれたんだ」くらいの内容を話すような口調で、とんでもないことを言っている。

「信じてくれた?」

 そんな馬鹿な話があるか。そう思う気持ちもあるが、実際に姉ちゃんに彼は見えなかったのだ。
 戸惑いながらも頷くと、彼は満面の笑みを浮かべた。

「よかった。あおいが信じてくれて、俺、嬉しい」

 屈託のない言葉が僕の胸に刺さる。彼は見目に似合わず、無垢な少年のような雰囲気に溢れていた。

 本当に、僕の願いが叶った。植物が人間になった。
 なんだか夢の中にいるようで、ふわふわと気分が高揚してくる。
 そんな僕を興奮を知ってか知らずか、彼はさっぱりとした口調で、
「じゃあまた明日ね」
 と手を振り、どこかへ行ってしまった。その間数十秒。
 あっという間の出来事で、呆気に取られて言葉も出なかった。

「なんだったんだ……」

 嵐のように、唐突に現れて、唐突に消えてしまった。
 聞きたいことがたくさんあるのに、なにもかもわからないままだ。
 ひとつだけわかることは、また明日彼が現れるということだけだった。
 



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