今日の夕方から天気は曇り始め、明日から数日間は雨が続くでしょう。
 テレビから流れる天気予報を聞き流しつつ、机の上で参考書と睨み合う。「全教科対応!これ一冊で第一志望合格!」という表紙の売り文句に釣られ、姉ちゃんが買ってきたものだ。
 通信制に進学するつもりだけれど、だからといって受験勉強が不必要なわけではない。書類選考だけで合否を決めるところもあれば、学力試験や面接を行っているところなど、その高校によって様々だ。
 まだきちんとした進路を決めていない僕は、後になって困らないように、とりあえず受験勉強を進めていた。
 もっとも、姉ちゃんは僕を全日制へ受験させるために、この参考書を買ってきたのだろうけれど。


 数学の応用問題が続き、頭が痛くなってきたころ、チャイムが鳴った。
 数式の上でシャープペンの芯が折れて、ころころと転がる。

 人の気配に緊張しながらしばらく息を潜めていると、二度目のチャイムが鳴った。
 日中にこの家を訪ねてくるのはセールスマンがほとんどだ。そして大抵の場合、ここららで留守を察して帰っていく。
 しかし予想に反して、三度、四度と連続してチャイムが続いた。

 気になって、玄関扉の覗き穴からそっと様子を伺うと、そこに立っていたのは、僕と同じか少し年上くらいの少年だった。もしかしたら姉ちゃんの知り合いかもしれない。

 もう一度チャイムが鳴る。

 これまでなら、来客なんて問答無用で無視していた。けれど、先日の一件で自分の情けなさを痛感した僕にとって、これは一歩踏み出すための良いチャンスのように思えた。
 まだ外に出ることは出来なかったけれど、玄関先で少しだけ事務的な会話を交わすことくらいなら、できるかもしれない。チェーンをかけたままにしておけば安心できるし、恐くなったら扉を閉めてしまえばいい。
 一度深呼吸をして、喉の調子を整える。その間にまたチャイムが鳴らされたため、僕は慌ててチェーンをかけて扉を開けた。


「……どちらさまですか」
「あ、さくらさんのクラスメイトです。君は弟くんだよね。お姉さんに会いたいんだけど、呼んでもらえるかな?」

 拳ひとつ分程度の隙間を通して、数年ぶりに他人と顔を合わせた。
 彼はにこにこと人当たりのよい笑みを浮かべながら、小さな子に話しかけるような声色を出した。

「姉は今家にいませんけど……」

 人と対峙している緊張で、手が震えてしまう。けれど、思っていたよりもちゃんと受け答えが出来たことで、少しだけ自信がわいてきた。
 そっか、残念。と彼は大して気落ちした様子もなく言った。

「じゃあお姉さんが戻ったら、クラスメイトが来ていたことを伝えてくれるかな? そう言えばわかるはずだから」
「……わかりました」

 なにかがおかしい気がした。緊張で早まる鼓動とは別に、喉の奥がつっかえているような漠然とした違和感だった。

 姉ちゃんは今朝いつも通り登校した。そして今、彼女のクラスメイトが私服で家を訪ねてきた。
 ―ー学校。そうだ、学校だ。姉ちゃんのクラスメイトだというなら、なぜ今この人はここにいるのか。登校日のはずなのに制服も着ていない。学校をお休みしたのかもしれないけれど、だとしても姉ちゃんを訪ねてうちへ来るのはおかしい。クラスメイトならば、今の時間姉ちゃんが授業を受けていることくらいわかっているだろう。
 少年はもうこちらに背を向けて帰ろうとしていた。呼び止めて詳しく話を聞いてみようか迷っていると、彼は急に足を止めた。

「あれ?」

 彼の声に釣られるように視線を上げる。今来たところなのか、門のところに立つヤナギが目に入った。
 ヤナギは驚いたような様子でこちらを見つめている。僕ではなく、少年の姿に焦点があっているようだった。

「橋本じゃん。お前もさくらに用事? それなら、今は留守みたいだから出直したほうがいいよ」

 彼は確かに、ヤナギに向かって「橋本」と声をかけた。彼の視線の先に、ヤナギがいる。ヤナギが見えている。

 目の前で起こっていることが理解できず、ぐるぐると頭の中を灰色のもやが覆っていく。重なっていく不安が胸を圧迫する。すがるようにヤナギに向けた視線は、交わってすぐに逸らされた。

「橋本、どうかした?」
「……なんでもない。俺はさくらに用事があってきた訳じゃないから」
「ふーん? ていうか、橋本最近付き合いわるすぎ。夏休みなんだからもっと遊ぼうよ」

 ヤナギと彼は、僕の知らない距離感で会話をしている。ヤナギの声は僕と話すときよりもう一段低かった。



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