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 まさかこうなるとは思わなかった。

 麟太郎に「別れる」と宣言した次の日朝、携帯電話を確認すると彼からのメールが数十通も送られていた。中身を確認するとほとんどが俺のことを罵倒する内容だったため、腹がたって受信拒否すると今度は電話が鳴りやまない。すぐに着信拒否をしたが、今度は俺の帰宅時間を狙って麟太郎がアパートの前で待ち伏せするようなった。完全にストーカーだ。
 数日の間は友人の家に泊めてもらっていたが、それにも限界がくる。早いうちに引越先を見付けなければいけないと思いつつも、不動産屋に対する苦手意識から中々行動に起こせないでいたとき、不意にマンションで出会った男のことを思い出した。
 自分でも安易な考えであのマンションに向かったが、まさか梶木(あの男の名字だ)と一緒に住むことになるとは。いや、ありがたいのだけど、若干不安だ。


 日中にアパートに戻ると、さすがに麟太郎の姿はなかった。服や下着など必要最低限の物をボストンバッグに詰めて、大屋さんに少しの間部屋を空けることを連絡した。遅くならないうちにアパートを出て、晩飯の材料を買うために近くのスーパーに寄る。お金は昨日梶木から渡されていた。ついでにマンションの鍵も。
 今更だけれど、金持ち坊ちゃんの舌を俺なんかの手料理で満足させられるのだろうか。いや、作れといったのはあっちなんだから文句なんて言わせねえ。
 マイバックを片手にぶらさげて新居へと帰る。その途中で俺はあることに気づいて、はっ、と息を漏らした。
 俺、ゲイだけどいいのか? 男と二人暮らしなんて大丈夫なのか。梶木は嫌悪感とかないんだろうか。
 初対面でキレ気味にカミングアウトをしてしまったけど、他人に興味のないあの男のことだから、そんなことすっかり忘れてるんじゃないだろうか。……新生活が始まる前にきちんと確認しておいたほうがいいな。うん。でもとりあえず晩飯作らないと。



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 一通りの家事を終えて洗濯物を畳んでいると、玄関のほうから物音がした。

「おかえり」

 スーツ姿の梶木が疲れを滲ませた顔で帰宅する。
 俺が声をかけると、梶木は一瞬こちらにちらりと視線を向けて「あぁ」と答えた。

「すぐ飯にする?」
「もう用意できてるのか」
「おう」
「じゃあ飯にする」

 梶木がそう言ってネクタイを緩める。その姿からは、なんというか、艶っぽい雰囲気を感じた。疲れたサラリーマンって、なんかエロいよな。つか、梶木ってサラリーマンなのか?
 晩飯を温めなおしながら、カウンター越しの梶木に尋ねてみる。

「あ? サラリーマンだよ。だからどうした」
「マンション経営とは別に働いてんだ。すげえな」
「すごかねえよ」
「すげえよ。ちなみにどんなとこで働いてんの?」
「そこらへんの大企業」

 そこらへんってどこらへんだ。

 温まった食事をダイニングへ運ぶ。どんなものを作ろうかとかなり悩んだが、これからしばらくお世話になるのだから見栄を張っても仕方がないので、とりあえず自分が食いたかったものを作った。クリームシチューと豆腐のサラダ。自分の分もよそって、二人分の晩飯が食卓に並ぶ。


「まずかったらごめん」
「心配すんな。大抵のものは食える」
「……そうか」

 スプーンでシチューをすくって口へと運ぶ梶木の手の動きを目で追う。
 もぐもぐと噛み砕かれたものが食道へと流れたのを確認して、梶木に「どう?」と尋ねてみた。


「……あったけえ味がする」

 どんな味だよ。
 確認するために自分も食べてみるが、普通のクリームシチューだ。やっぱり金持ちの舌は俺の飯なんかで満足しないのか。
 まずいならまずいって正直に言えよと肩を落とすと、普通に美味いから大丈夫だと梶木はスプーンでまた一口すくって食べた。







「あ、そうだ」

 食器を洗っている途中、聞かなければならないことがあったのを思い出した。ソファーで寝転がってだらけていた梶木は、俺の声に反応してこちらに視線を向ける。


「俺、ゲイだけど、大丈夫か」

 俺が心配そうな表情をすると、梶木は「何が?」と怪訝な顔をした。


「なにがって……梶木はそういうのに偏見ねえのか」
「偏見? お前がホモだろうとなんだろうと俺に関係ねえだろ」


 梶木の言葉に、俺はぽかんと口を開けて固まってしまった。
 なるほど、そうか。家政婦がゲイだろうが梶木には関係がないのだ。仕事さえしてくれれば。究極のビジネスライク。
 脱力感からため息が漏れる。でもまぁ、これくらい割り切られたほうがこっちも気を使わなくて楽か。


「おい」

 さっさと洗い物を済ませようと、手元に視線を戻すと、梶木が機嫌の悪そうな声を出した。

「俺に惚れんなよ」
「誰が惚れるか!」

 投げつけたお玉は、ソファーの背もたれにぶつかって床へ不時着した。くそう。




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