外へ出ると、あたりがすっかり暗くなっていることに驚いた。携帯電話で時間を確認すると、麟太郎の家を出てから5時間以上も経っていた。
 やべえ。バイト時間過ぎてる。
 慌てて店長に電話する。事情を聞かれたため「寝てました」と正直に答えると怒られた。仕方ないから今日はもう来なくていいよ、次はないからね、ときつい口調で言われて、電話越しにいる店長に頭を下げた。

 店長に今日は来なくていいと言われたため、そのまま自宅へ帰る。
 さきほどの男のマンションとは比べ物にならないくらい、ボロい安アパート。錆び付いて軋む鉄骨の階段をゆっくりと上ると、俺の部屋の前に人の影が見えた。


「……何しに来たんだよ、麟太郎」

 ぼんやりと扉を見つめていた麟太郎に声をかけると、彼は頭だけこちらを向けた。

「直を待ってた」

 これ、と差し出された麟太郎の手にはスーパーのビニール袋。俺が彼に会いに行く途中に買っていったものだ。彼の家を飛び出したときに、置き去りにしてしまったらしい。

「袋の中、見たぜ」
「で?」
「風邪薬が入ってた」
「だから?」
「俺が風邪ひいたって言ったから、心配して買ってきてくれたのか?」
「だったらなんなの」
「……案外、かわいいとこあるじゃん」

 麟太郎が囁くようにそう言って、俺の頬を撫でてくる。さっきからなんなんだ。こいつは5時間前の出来事を忘れたのか。

「触るな」
「照れんなよ」
「帰れ」
「帰らない。家の中いれてよ」
「黙って帰れ」
「ずっと外で待ってたんだぜ。少しくらい持て成せよ」
「ストーカーみたいなことするな。気持ち悪い」


 ていうか謝罪はないのか。自分のしたことを忘れたのか、悪いと思っていないのか、麟太郎が何を考えているのかわからない。
 彼を睨みつけていると、どん、と体を壁に押し付けられた。息がかかりそうなほど顔が近付けられ、彼の体に圧迫される。



「直って、ほんと素直じゃねえよな」
「なに言って……んっ」


 なんで俺はキスされてんの。
 麟太郎の舌が俺の唇を割って侵入しようとするので、歯を食いしばってそれ阻止すると、歯列をなぞるように舐められた。調子に乗った麟太郎が、俺の尻と腰を撫で回す。
 なんで、お前は、一人で、盛り上がってんだよ。

 急所を蹴りつけると、麟太郎は呻き声をあげて崩れ落ちた。


「お前、なに考えてるかわかんなくて気持ち悪いんだよ! さっさと帰れ!」

 疼くまっている麟太郎にそう叫んで、急いで自分の部屋に逃げて鍵をかける。
 ドアの覗き穴から麟太郎の様子を伺っていると、彼が股間を抑えながら静かに立ち上がるのが見えた。


「おい! 直、開けろよ!」
「開けねえよ!」
「ふざけんな!」
「お前がふざけんなよ! つか、もうお前とは別れる! 二度と来んな!」

 勢いのまま俺がそう怒鳴ると、一瞬間があいて、扉が蹴りつけられた。慌てて扉から離れる。作りが古いため、壊されてしまうのではないかとびくびくしていたが、それっきり静かになった。
 恐る恐る、もう一度除き穴に目を近づけると、そこに麟太郎の姿はなかった。



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