「あの、誰ですか……?」

 俺の置かれた状況に困惑ししつつ、ソファーから起き上がろうとする男にそう声をかける。
 途端に男の顔が険しいものとなり、ただでさえ鋭い目つきに悪意が加わったような気がした。

「それはこっちの台詞だろうが! お前は誰なんだよ! 屋上から飛び降りようとしてる奴がいるっていうから慌てて行ってみりゃ、イビキかいて寝てやがるし! 何がしてぇんだよ!」

 唾が飛び散るほどの勢いで怒鳴りつけられる。若干顔にかかった。汚ねえ。
 寝起きで怒られても何がなんだかわからない。呆然としていると、男が勢いづいて言葉を続けた。


「お前が野たれ死のうと飛び降りて死のうと俺には関係ねえけどな、そのせいでこのマンションに変な噂でも立ったらどうしてくれんだよ! 営業妨害もいいとこだぜ!」


 ぶちり、と、額の血管が切れる音が頭蓋に響く。
 いまいち状況は飲み込めないが、今の言葉は聞き逃せない。



「黙って聞いてれば……、お前は人の命なんだと思ってんだよ! ふざけんな!」
「自分の都合で死のうとしてる奴までかまってられるかよ! どうせ死ぬなら余所様に迷惑がかからねえようにしろ!」
「人間のクズだな!」


 悪態をついても、男は「何とでも言え」と嘲笑うだけだった。腹が立つ。麟太郎といい、この男といい、人のことを馬鹿にしている。


「……なんなんだよ」
「あ?」
「こちとらは彼氏に浮気されてマンションから飛び降りようとするくらい傷心してんだぞ! もっと優しくしろよ!」

 鼻の奥がつんと痛む。涙の予兆だ。
 泣くもんか。ここで泣いたら負けだ。そう思い、ぐっと下唇を噛んで堪えた。
 俯いたまましばらくそうしていると、突然、男の指が顎のあたりをさらりと撫でてきた。驚いて顔を上げると、今度は鼻を摘まれた。


「……何してんの」
「なに泣きそうになってんだよ、ばーか」

 馬鹿とは何だと言い返そうとしたが、男が呆れたような顔をしていたため、何だか恥ずかしくなって口をつぐんだ。





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