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 がつりと頬のあたりに衝撃を感じて、ぬかるみの底に落ちていた意識が浮上する。
 顔の上に乗った物体を手探りで確認すると、人の腕のようだった。おぼつかない手つきでそれをどけて、だるさの残る体を起こした。
 飲みつぶれて床に転がった屍が多数と、テーブルの上に並ぶ空き缶。アルコールのこもったような空気が気持ち悪い。
 完全に飲みすぎた。もともと酒は強くないし、飲み会が苦手なのでそういう場にも慣れていない。それなのに、昨夜はあれやこれやと周りのテンションに流されて、自分のペースを乱されてしまった。
 ずきずきと痛む頭を抑えながら、水を求めて台所へ向かう。

 辿り着いた台所の床で、冷蔵庫にもたれながら、くわえタバコでスマホをいじる男が一人。
 彼はこちらに気がつくと、へらっと表情を緩めた。

「直ちゃん、酷い顔してんね」
「おかげさまで二日酔い」

 塩素くさい水道水を一杯飲み干して、男――千葉のはらの横に腰を落とす。



 聡介と口論になったあの日、感情の落ち着かないままの状態で千葉に連絡した。とにかく、聡介と距離をおくべきだと思った。

 彼と生活を共にするうちに、いつのまにか、すっぽりと頭から抜け出ていたのだ。利益のある関係であることとか、それに適切な間隔だとか。足音で機嫌を察せるようになって、減らず口を交わせるようになって、二人でいることに違和感がなくなった。
 同じ水溶液の中に溶けたような、そんな感覚。

 ホモに何がわかるんだと聡介に貶められた
とき、それが弾けて零れた。
 媒体なんてなかった。
 勝手に親近感を抱いて、余計な口出しをして、全部俺が悪かった。
『お前がホモだろうと、俺に関係ねぇだろ』
 はじめから、聡介はちゃんとそう言っていたのに。
 

 「2、3日泊めてくれない?」という急な要望を、千葉は理由も聞かずに受け入れてくれた。それには感謝しているが、今の状況を思うと少々腹も立つ。
 初日こそは二人でレポートの消化に勤しんでいたが、2日目の夜、千葉は俺に内緒で人を集めて飲み会を開いたのだ。千葉の招集により集まった顔馴染みと初対面が入り混じった飲み会は大いに盛り上がり、隣の部屋から壁ドンされたところでようやくみんな力尽きた。


「直ちゃん、滅多に酒の席に出てこないから、昨日はみんな盛り上がってたねー」
「……俺が飲み会苦手なの知ってるくせに、なんで急に人呼んだんだよ」
「おこなの?」
「……」

 ふざけた調子の千葉を睨むと、彼はごめんごめんと軽く謝った。
 本当は言わないでおこうと思ったんだけどさぁ、と続く。

「俺んちに直ちゃん一人で泊めたのが、彼氏にバレてさー。浮気だなんやって超怒られたの」

 苦笑しながら、千葉は手の中で震えるスマホに視線を移す。彼氏、と彼は平然とした顔で言った。
 千葉のはら。列記とした男である。できる限り周囲にその事実を隠している俺とは違い、この男はゲイであると堂々カミングアウトしている。
 初めて千葉に会ったとき、毒気を抜かれるような笑顔で自身の性癖を曝ける彼に、カルチャーショックを受けた。自分を隠さないその生き方は、俺にはとても真似できそうにない。人目の恐ろしさを想像するだけで、背筋が冷たくなる。
 現に、千葉のことを気持ち悪がり、からかうような連中は多い。けれどそれと同じくらい、千葉のすがすがしい素直さと独特のゆるさに惹かれて慕っている人間もいる。俺もその一人だ。自分と同じだという親近感もあるのかもしれない。
 誰かの家に泊めてもらおうと思ったとき、真っ先に浮かんだのは千葉だった。

 彼は快く受け入れてくれたけれど、俺のせいで迷惑をかけてしまった。
 先ほどまで少し棘ついていた気持ちが萎えんでいく。

「ごめん、俺のせいで」
「ちがうちがう、直ちゃん悪くないから。俺が隠してたのが悪い。そんで、二人きりはダメだって言われたから、他にもたくさん呼んで飲み会にしたの。ごめんね」
「いや、むしろごめん。ありがとう」

 千葉が「いいえー」と笑んだのころで、彼の手の中でスマホが震えた。彼は小さく息を吐きながら、手元に視線を下ろす。
 先ほどから気になってはいたけれど、千葉のスマホのバイブが続いている。話している最中にも絶えずメールを受信していた。

「……さっきからすごい勢いで鳴ってんね。メール?」
「んー、ふふふ」
「彼氏?」

 千葉は画面から目を離さずに、「そうだよ」と笑った。
 若干の僻み精神を押し込めて、彼の穏やかな顔を眺めた。幸せそうな笑みだった。

「相手、どんな人なの?」
「聞く?聞いちゃう? 背が高くてー、かっこよくてー、寡黙でー、ちょっと自分勝手でー、かわいいの」
「あ、そ」
「そんで、ノンケなんだよねー」

 さらりとこぼした千葉の言葉に、俺は目が点になった。



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