風邪を引いたという麟太郎……もとい恋人が心配で、おかゆでも作りに行ってやろうかとスーパーで買い物をしたのが丁度2時間前。彼の家に着いたのが1時間半前。先日渡された合鍵で部屋に入ったところ、見知らぬ男と抱き合っている麟太郎と鉢合わせしてしまったのはその直後。浮気だ何やと涙目で泣き喚く俺を見て、あろうことか麟太郎は「めんどくせえ」と吐き捨て舌打ちしやがった。それにキレた俺が彼の家を飛び出したのが、今から1時間前。


 涙が乾いて目が痛む。良い歳こいて大泣きしたせいで、横隔膜が引きつってしゃっくりが止まらない。
 悔しい。浮気とか、それだけでショックだったのに、なんだあの態度。めんどくせえってなんだよ。俺のことをなんだと思ってんだよ。悔しい。悲しい。
 いっそ自殺でもしてやろうかとそのへんの手頃なマンションの屋上に上ってみたけれど、フェンスの頂上あたりで恐くなってやめた。
 というか、冷静になって考えてみると、男に浮気されて飛び降り自殺とか……阿呆らしい。泣き喚いていた自分が恥ずかしくなってきた。

 フェンスを背もたれにして座り込む。落ち着いてみると、もう全部がどうでも良いような気分になってきた。泣き疲れたせいで眠たい。腫れたまぶたを閉じると、風の音だけが耳に響いた。





******



 暖かい。
 浮いて行く意識の中で違和感を感じる。俺はたしか風の強い屋上にいたはずだ。暖かいなんて、そんなはずはない。
 薄っすらとまぶたを開ける。目に映ったのは大空なんかではなく、クリーム色の染みひとつない綺麗な天井だった。驚いて体を起こすと自分の体の上に毛布がかけられていたことに気づいた。慌てて周りを見渡す。どうやら俺は、誰かの家の誰かの部屋の誰かのベットの上に寝かされていたようだ。でも、誰の。

 ベットから起き上がりドアへと近づく。向こう側から微かに物音が聞こえ、恐る恐るドアノブをひねった。

 ダイニングらしき空間で、ソファーに寝転ぶ男がひとり。
 無精髭を生やしたその男は、鋭い目つきをこちらに向けた。


「起きたか」

 低い声が空気を揺らす。
 まじまじと見てみると中々整った顔をした男だ。そして完全に俺の知らない男だ。


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