「今日から明後日まで、泊りがけの用事があるので戻りません。飯は作り置きしておくので、あたためて食べてください。朝は食パンありますから、それで凌いでください」

 聡介の顔も見ず、直は抑揚のない声でそう告げた。背広へと着替えていた聡介は、動きをとめて振り返る。

「なんで敬語……」
「家政夫なので雇い主は敬おうと思いまして。ビジネスなんで」
「あ、そ」

 お互いに怒りと気まずさを覚えながらも、核心に触れようとしないまま、聡介が家を出る時間になった。
 聡介は玄関扉を開けたところで、少し迷った末に「いってきます」とリビングへ声を投げた。すぐに逃げるように家を出る。その途中、閉まる扉の隙間から直の声がすり抜けた。いってらっしゃい、と。


******




 ――……高血圧で倒れたって、大げさなんだよ。立ちくらみの延長みたいなもんだろ。
 聡介はしかめっ面でパソコンを睨みつけながら、もんもんと昨夜聞いたことを思い出していた。おかげで先ほどから聡介の手元は動いていない。
 不意にトントンと肩を叩かれて聡介が顔を向けると、隣のデスクの先輩が彼に書類を差し出した。

「おい、見積もり間違ってるぞ、ここ」
「あー……本当ですね。今直します、すみません」
「疲れた顔してんな。昨日呼び出されたんだって? お疲れ」

 聡介はねぎらいの言葉に頭を下げてから、手元の書類に視線を落とす。
 こんなミス、俺らしくない。動揺している自分に腹が立つ。あの女が倒れただかなんだから知らねえけど、見舞いなんて行く気はない。家政婦の当てつけがましい態度も気に食わない。でも、今回の件に関しては俺も頭に血が上って言い過ぎた自覚もある。

 はぁ、と細いため息が聡介の口から漏れる。同時に、デスクに置いていたスマートフォンが震えて音を立てた。
 新着メール1件。送り主、関口まりな。
『今日の夜、空いてますか?』
 表示されて名前に覚えはあったが、顔が浮かばなかった。確か、先週のコンパで連絡先を交換した女だった。歯科助手か美容部員のどちらかであることは覚えていた。
 丁度いい暇つぶしになると、聡介は手早く返事を送った。

 

 待ち合わせ場所に現れた彼女を見て、ようやく聡介はその顔を思い出した。ひとつひとつの顔のパーツが大きめな、派手な顔の美人。長めの黒髪を耳にかけながらちらりとこちらを見上げる姿から、手慣れた雰囲気と見え透いた好意を感じた。


 予約した店で食事をしながら、彼女の話に相槌を打つ。女の唇がてらてらと光っていた。

 私はー。
 私がー。
 私にー。
 へぇ、そうなんだ、すごいね。

 聡介は表情筋を駆使して無理やり笑みを浮かべる。彼の頭の片隅の冷えたところが、お前なにしてんだよと自分自身を笑っていた。


『反抗期の中学生かよ』
 聡介は昨夜の直の言葉を思い出した。
 聞き流せなかったのは、図星を突かれたからだった。

 直に促されるまま、寂しいと声に出してみたあの日。聡介は、自分の心と初めて向き合った気がした。
 走馬灯のように駆け抜けていった記憶。無理やり閉じていた感情の蓋が開いて、ようやく、自身の孤独を認めることができた。
 周りを責めるだけで、自分の感情にも目を伏せていた。まるで反抗期の少年のように。
 そう、気付いたはずだった。

 −−俺は何をしてるんだ。


「梶木さん、さっきから上の空ですね。私といても、楽しくないですか?」

 −−……暇つぶし、なんて、してる暇ねぇだろ。結局、俺は何も変わってない。現実逃避に他人まで巻き込んでる。

「梶木さん?」
「……ごめん。なんだか体調が悪いから、また今度ゆっくり食事しよう」

 彼女は不安そうな顔をしながら、聡介の目を見て頷いた。







 玄関を開けると、真っ暗な室内が聡介を出迎えた。彼は一瞬驚いて目を開いたあと、すぐに朝の会話を思い出した。
 リビングの電気をつけて、着替えもせずに実家へと電話をかける。数回のコールの後すぐに電話は繋がった。もしもし梶木です、と男の声が聞こえる。

「康介か」
『え、え!? 兄さん!?』
「どこだよ」
『え?え?』
「だから、母さんが入院してる病院、どこだよ。さっさと教えろ」

 うろたえる弟に、聡介は舌打ちをした。

*****




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