玄関の扉が開く音がする。続いて、大きな歩幅の足音。
 あ、なんか今日、機嫌悪いかも。
 なんて、ちょっとした足音の違いで梶木の機微を感じられるようになった自分がなんだか照れ臭い。家政婦もすっかり板についてきたようだ。

「おい、何やってんだよ」

 背後から低い声が投げつけられる。首を回して視線をやると、しかめた顔の聡介がキッチンの入り口に立っていた。
 スーツ姿の彼からは、想定していた通り凶悪な雰囲気を垂れ流れていた。これは、かなり、キてる。
 こういうとき、相手の態度に当てられて俺まで機嫌を悪くしてしまうと、相乗効果で底なし沼のような喧嘩に発展してしまうのだ。原因が俺にあるわけじゃないなら、そ知らぬ顔で普段通りにするが吉。と、最近になってようやく俺は学んだ。

「晩飯作ってんだよ」
「見りゃわかる。それ。ただ切ってるわけじゃねえんだろ」

 梶木は棘のある口調で「それ」と俺の手元を指差した。
 俺の手に握られた包丁と、色の濃いにんじん。

「あぁ、これ? 飾り切り。かわいいだろ」

 花形に切り取ったにんじんを見せる。我ながら上手くいったと自信たっぷりの表情を浮かべた俺を見て、聡介は馬鹿にしたように笑った。

「んなもんに時間かけても、胃袋に入っちまえば全部一緒だろ。つーか、サムいから止めろ」
「言ってろ言ってろ。いやぁ、俺って器用だわ」
 
 聡介の言う通り、男ふたりで食う飯にこのにんじんはちょっと、いや、かなり痛いという自覚はある。けれど、もともとこういう細かい作業は好きだし、凝り始めると止まらない性分だから仕方ない。
 食費を浮かすためにやっていた自炊も、この家に来てからはすっかり趣味の一部になってしまった。一人暮らし中は「もやしとキャベツの焼肉のタレ炒め」なんて適当飯も多かったが、今はそうもいかない。ネットでレシピ検索したり、謎のカタカナが並んだ名前の調味料も買ってみたりしているうちに、なんだか科学の実験の延長のようだと楽しくなってきて、今ではこんな感じ。


「……おい、それ、貸してみろよ」

 手元に影が落ちる。すぐそこに聡介の顔があった。近い。聡介の睫のきわが見える。
 心臓がおかしな動きをみせたが、平常心を装った。

「なに? 飾り切りやりたいの?」
「あぁ。俺にもやらせろ。絶対俺のほうが上手い」

 そう言うと俺から包丁を奪い取り、真剣な表情でにんじんを切り始める。
 機嫌のほうも落ち着いたようだ。多分、いま梶木はにんじんのことしか頭にない。いつも憎らしい顔をして、時々、笑ってしまいそうなくらいわかりやすい。複雑そうで意外と単純なことを、最近になって知った。

 始めの頃は梶木の嫌なところばかり目に付いていたけど、お試し期間で過ごした一ヶ月で彼の性格を知り、正式にここで一緒に住むようになりそれはもっと深まっていった。自分勝手な優越感を覚えるくらいには、梶木のことを理解できるようになった。つもり。
 例えば、今日のように梶木の機嫌が地を這うように低いとき、大抵は彼の家族が絡んでいることを俺は知ってる。

 この家に置かれた、滅多に使われない固定電話。埃をかぶらないよう普段は小さな布がかけられているのだけれど、それがときどき、自分の存在を思い出させるかのように音を鳴らす。そうすると梶木の機嫌は急降下するのだ。基本的に彼はその電話に出ないし、受話器を取ったとしてもすぐに相手と口論になって通話をきってしまう。
『俺のいない間にこの電話が鳴っても、絶対に出るんじゃねえぞ』
 俺は梶木に言い聞かされたとおりにしていたけれど、やっぱり、蓋をされると中身が気になってしまうもので。
 家に一人きりだったある日、鳴り始めた固定電話がどうしても気になってしまい、上にかぶさった布を少しだけめくってしまった。
 ディスプレイには簡素に「ジッカ」とだけ。
 ジッカ−−実家。
 俺の頭の中に根付いていた、梶木イコール金持ちのぼんぼんイコール甘やかされて育った、という等式が崩れた。意外だと思った。俺の記憶が正しければ、この建物だって親から譲り受けたもののはずだ。
 でもまぁ、ひとんちにはひとんちの事情がある。俺の家も、ひとのこと言えねえしな。
と、ひとりごちて、俺はなにも見なかったことにしたのだった。



 できあがったシチューを向かい合って食べる。
 聡介のスプーンは自分で切ったいびつな形のにんじんを掬い上げて、口の中に放り込む。

「普通のにんじんと変わんねぇ」
「気分がちがうだろ」
「んー、同じだな」
 頑張り甲斐のねぇヤツ、と苦笑すると、彼は目を伏せた。それから、俺の切り飾ったにんじんを掬って口にいれる。

「でも、なんか、お前の切ったやつは、うまく感じるかもしれねぇ」

 梶木らしくない気遣いに笑いがこみ上げてきて、抑えきれず吹き出してしまう。彼は、うぜぇ、と呟きながら眉間にしわを寄せていた。





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