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 直が洗濯物を畳んでいる。その背中は、窓から指す夕焼けの赤色に照らされていた。
 聡介はソファーの上からぼんやりとその姿を見つめる。

「……何時に帰るんだ」
「んー、とりあえず晩飯は作ってこうと思ってるから、それ終わったらかな」
「ふーん」

 直が、くるりと聡介のほうに顔を向け、何かを含んだような笑みを見せる。

「あれあれ? 聡介くん、さみしいの?」

 ばこっ、と音を立てて、聡介の投げた箱ティッシュが直の後頭部に直撃した。

「いってぇ!」
「てめぇが変なことぬかすからだろうが!」
「お前が捨てられた子犬みたいな顔してるからだろ」
「してねぇ!……俺は、ただ、光熱費家賃なし食事付きっていう好条件の生活を投げ捨てるなんて、馬鹿な奴だと思って…」
「ははっ、んー、まぁ確かにな」

 直は軽く笑いながら、何度か頷く。聡介はなんとなく馬鹿にされているように感じて、むっと口角が下がる。
 直は、そんな聡介の変化にも気付いており、拗ねた子供のようだと思い、また少し笑った。


「いいよ、正式に住み込み家政婦やっても」
 

 直の言葉に、聡介は口を薄く開いたまま固まる。惚けた彼の姿を横目に直は話を続ける。

「ただし、お前が『寂しいからここにいてほしい』って素直に言ったらな」

 次の瞬間、ぼすっ、と直の顔面にクッションが飛んできた。聡介の顔は怒りからか照れからか、微かに赤みを帯びている。

「んな女みたいなこと言うかよ!」
「素直になれよ」
「くっそ気持ちわりぃ」
「そんな本気で引くなって。ここから真面目な話するから、まぁ、聞いてよ。俺がお前と住んでいて思ったこと、な」

 そう前置きをすると、直は先ほど飛んできたクッションを抱き込むように座り直し、まっすぐ聡介を見つめた。

「俺さ、お前のことすごいと思う。良い大学出て、良いとこに就職してさ。仕事でくたくたになってるはずなのに、帰ってきてもそんな様子いっさい見せないし。なんかあればさらっと一人で解決させちゃうしさ」

 急に何を言い出してんだこいつは。と、聡介の眉間にぎゅっとしわがよる。

「そんくらい普通だろ。別に改めて言われるようなことじゃねぇ。仕事に関しては、俺より忙しい奴なんて数えらんねぇほどいる」
「他の人は今関係ないんだよ。今はお前の話をしてんの。お前は、いつも眉間にしわ寄せてやる気なさそうな顔してるけど、やるべきことに手抜きしない。相手に対して否定的な言葉はいくらでも吐けるけど、それ以外の自分の感情はあんまり出さない」

 直は淡々と、真面目に話を進めて行く。聡介は、背中の皮膚にぞわぞわとしたむず痒さを感じながら、直の言葉の続きを待った。


「お前さ、人に甘えられないだろ」

 直の視線が聡介を縛る。聡介は、まるで身の内を透かして見られているような居心地の悪さを感じた。


「誰かに頼ったこと、ないだろ。恐い顔して、弱音を隠して、必要以上に自分を強く見せようとしてる」

「……何が言いてぇ」
「とりあえず試しに一回さ、口に出してみろよ。寂しい、って。俺がいなくなったあと、明かりのついてない家を想像してみて。今はそう思ってなくても、言葉に感情がついて来ることもあるから。ほら!」


 

 真っ暗な部屋。生乾きの洗濯物のにおい。電気をつける自分。誰もいない部屋。




「……寂しい」


 聡介が唇を微かに動かす。喉の奥が引きつったようだった。
 そして、彼の目玉の奥のほうから、ぐるぐると渦巻いた感情が込み上げてくる。


 ぐしゃぐしゃに丸めた満点の解答用紙。来てくれた試しのない参観日。埋まらない夏休みの絵日記。話し合いにならない進路相談。優しいしょうこさん。結婚して、遠くに行ってしまったしょうこさん。


 陽炎が揺れるように、聡介の視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。目にはうっすらと涙の膜がはっていた。
 あぁ、そっか、俺は、ずっと。




「な、なに泣いてんだよ」

 涙を浮かべる聡介の様子を見て、直は慌てて声をあげた。我に帰った聡介は、隠すように目元をこすった。

「泣いてねぇ」
「……さいですか。これをきに少しは素直になりゃいいけど」

 直は苦笑いを浮かべて、聡介の背中を叩く。殴り返してやろうと反射的に握った聡介の拳からは、なぜだかすぐに力が抜けていった。


「……俺、言ったからな」
「あ?」
「だから! 俺はてめぇに言われたとおりにしたっつってんだよ! てめぇ、ここに残んだろうな!あぁ!?」
「はー? 俺は、『直がいないと寂しくて死んじゃうからここにいて?』て言ったら残るって言ったんだよ」
「はぁ!? んなこと言ってねぇだろカスが!」
「ははっ」


 笑いながら、直はごろりとフローリングに寝転がった。
 遠くで5時のチャイムが鳴り始める。しばらく二人は黙って、それを聞いていた。
 不思議な安らかさが部屋に溢れていた。



「荷物……」

 直が横になったまま、ぽつりとこぼす。

「荷物、こっちに運んで、部屋片付けて、解約しないとな。大家さんに連絡すっかぁ」

 引っ越し、お前も手伝えよな。と直がにやりと笑った。



前編 おわり





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