足がもつれて、何度も体制を崩す。その度、転ばぬように踏ん張って絶えるが、体力の限界は近い。麟太郎はすぐ後ろまで迫ってきている。
 ついに彼に追いつかれ、ぎゅっと腕をつかまれる。反動でバランスを崩し、俺の体は前のめりに倒れてしまった。

「は、はっ……やっと捕まえた。直」
「…はぁ、……はっ、ん、はなっ……せ…!」

 息が続かなくて美味く話せない。急に止まったせいで心臓も痛い。俺の体を引きずる力にも抵抗できず、建物の陰へと連れられてしまった。
 今だ息が上がって立ち上がることも出来ない俺の上に、麟太郎が馬乗りになる。俺の顔を見下す彼の表情は、にたにたと締りのない笑みを浮かべていて、気持ちが悪かった。

「直、素直になれって」
「俺はいつでも素直だ! 今すぐ俺の上からどけろ!」
「本当、直は意地っ張りだな」
「き、も、い! お前の思考回路どうなってんだよ! 離れろっつってんだろ!」
「そんなことばっか言って……煽ってんのか? わかったよ。仲直り記念に今日は外でシようか」
「はぁ!? テメェは何言ってんだ……って、やめろ!」

 俺の上着を脱がせようと麟太郎の手がうごめく。それを止めようと腕を伸ばしたのだが、その腕はあっさりと彼に捕まり、意図とは逆に自分の動きが拘束されてしまった。


「きめえんだよ! どけろ!」
「……直は本当に口が汚いな。でも、そんなところも好きだよ」

 いまだ麟太郎は寝ぼけたことを言う。ふざけている様子はなく、至極真面目そうに呟いているから、余計に気持ちが悪い。
 彼は口元を薄く笑わせて、俺のほうへと自分の顔を近付けてくる。付き合いたての頃に見たような、甘い表情だ。まつ毛の根元が見えるような距離に麟太郎がいる。あ、これキスされそうじゃね?と気付いたところで、突然麟太郎が、ぶぎゃっ、と尻尾を踏まれた猫のような叫び声を上げた。そうして地面へ倒れていく。
 突然の出来事に頭がついていかない。
 俺のすぐ横で、麟太郎が脇腹を抑えてうずくまっている。その姿を呆然と見つめていると、手首にぎゅっとした圧迫感を感じた。


「おい! 何してんだよ! さっさと立て、逃げるぞ!」

 誰かに手首を掴まれている。その腕を辿るように視線を上げると、そこにいたのは梶木だった。驚きで固まっていると、彼は焦れたように声を荒げた。

「ほら! 早く立て!」

 彼に引っ張られるように立ち上がり、麟太郎を背に走り出す。今度こそ追いかけて来る気配はなかった。







「……びっくりした。まさか梶木に助けられるとは」
「びっくりしたのは俺のほうだ……」

 帰宅後、二人してソファーに体を預ける。
 俺と麟太郎のいた場所は、梶木の帰宅コースに立つ古本屋の裏だったらしい。丁度帰宅途中だった梶木は、俺によく似た(結果として俺本人の)叫び声に気付き、あの場面に出くわした。そして、状況の理解よりさきに、麟太郎の脇腹を蹴りつけたのだ。
 もう少しで気色の悪い体験をさせられるところだった。助かった、ありがとう。と息を漏らすように伝えると、梶木はきゅっと目を細めた。

「……あれが、噂のストーカー兼元彼か」
「おう。バイト先で待ち伏せされてた」
「きめえな」
「本当にな」
「俺、ホモがホモってるところ始めて見たわ」
「そりゃ良い経験が出来てよかったな」
「ははっ、そうだな」

 梶木は肩を揺らして笑った。彼の柔らかく崩れたその表情に、胸の奥のほうがむず痒くなる。
 俺は無意識の内に、自分の手首の皮膚を撫でていた。先ほど、梶木が触れていた部分だ。握り込んでみると、どくどくと脈を打つリズムを感じた。内側から少しずつ温かさが滲んでいく。
 梶木が急に「あ!」と声をあげたことで、俺は反射的に自分の腕を離した。いきなりなんだ、と文句を言おうとしたが、それより先に梶木が言葉を続けた。


「お前バイトどうすんだよ。また今日みたいなことになるかもしれねぇんだろ?」
「あっ」

 何も考えてなかった。今のバイト先をやめるわけにはいかない……というか、やめさせてもらえないのだけれど。しばらく休ませてもらうしかないが、シフトの穴埋めは自己責任にされそうだ。
 痛む頭を抱えながら悩んでいると、最近流行りの失恋ソングが控えめな音量で流れ始めた。俺の携帯のメール受信音だ。
 送信先を確認すると、メールアドレスが直に表示されていた。サブアドレスで有名なドメインが付いている。
 不審に思いながらもメールを開いてみて、呆れを含んだため息を漏らす。



「……多分、もうあいつは俺のところに来ない」
「どういうことだよ」
「これ見て…」


『お前があんなに野蛮な人間だとは思わなかった。お前は俺に釣り合わない。さようなら』

 先ほど届いたメールにはそう打たれていた。宛先人不明となっているが、文面から察する相手は一人しかいない。


「釣り合わねえってよ。よかったな」
「なんで上から目線なんだよ! そもそも野蛮ってなんだ! てめぇに言われたくねぇ! そして俺はなんもしてねぇ!」
「都合の良いように記憶塗り替えてんだろ。縁切れそうで良かったじゃねえか」
「そうだけど、なんか腑に落ちない!」


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