放課後、彼を待たせないようにと急ぎ足で歩いていると、スーパーの手前で例の少年が待ち伏せていた。ジャージのひざにアップリケがついているのを見て、自分の小さな頃を思い出す。俺も転んでよく穴をあけていた。あの頃は毎日友達と外で走り回っていた。

「君、もしかしてお友達いないの」
「ご心配なく。今日はこのあとクラスメイトとブランコの予定が入ってますので」 

 ブランコの予定とは、小学生らしいやら、らしくないやら。
 ふふ、と頬が緩ませた俺と対照的に、少年は真面目さを崩さなかった。

「それで、経過はどうですか」
「経過?」
「彼との交流のことです。きちんと友好は築けていますか? 上手く進めないと、地球があぼんですよ」

 まるで、義務や使命感から俺が彼と仲良くしているような言い方に、少しだけかちんときた。

「この間も言ったけど、俺が彼と友人になったことと、君の破壊神の話は全く関係ない。地球がどうとかの使命感から、彼に付き合っているわけじゃないから」
「なんでもいいんですが、下手な真似をして犯されないように気をつけてくださいね」

 少年のくりんとした瞳に吸い込まれて、時が止まる。
 今、なんて言った。
 少年は淡白な表情で、なにかを観察するような瞳で俺を見上げている。
 ――犯されないように気をつけてくださいね。
 かぁっと頭に血が上る。

「あの人は、そういう人じゃない。確かに見た目は少し野蛮に見えるけど、それは偏見だよ」
 俺も初めは顔が恐くて怖気づいてたけど、今ではそれを申し訳なく思うくらい、優しい人だ。

「どこでそんな言葉を覚えたのか知らないけど、虫唾が走るようなことを言わないで。彼に対する侮辱だ」

 気付けば息が上がっていた。自分の認識よりも大きな声が出ていたのだろう。通りすがりの主婦や学生が、怪訝そうにこちらの様子をうかがっている。こんなところで小学生と高校生が口論なんて、人の目を引いて当たり前だ。
 ひそひそと囁く声と、周囲の白い視線。みっともなく声を荒げた自分が恥ずかしくて、顔が熱くなっていく。


「……どうしたんだ」
 その声はすぐ後ろから聞こえてきた。ここ数日間ですっかり聞き慣れたものだった。
 振り向けず顔を伏せた。
 見られていた。どこから。こんな小さな子を相手に怒鳴る俺を見ていたのだろうか。大人気ない姿を、見られてしまっただろうか。
 俺は俯いたまま、彼のほうを見ることができなかった。

 ――ちがうんだ。この男の子が変なこと言うから、だからカッとなって。
 弁解が口から飛びそうになったけれど、ぐっと飲み込んだ。少年についてどう説明しても俺の首が絞まっていくだけだと思った。

 このちび、弟か?と問いかける声に、俯いたまま首を横に振った。
 地面に映る彼の影が小さくなる。しゃがみこんだようだった。

「このお兄ちゃんに、なにか酷いことをしたのか?」

 かたい声が、俺を庇う。状況なんて何ひとつわかっていないはずなのに、端から見れば加害者のはずの俺に味方してくれた。
 居た堪れなくて強張っていた身体が、少しだけ緩んだ。

 少年はなにも話さずに、逃げるようにどこかへ走り去っていく。外野も興味をなくしたようで、不躾な視線は徐々に減っていった。

「行ってしまった……大丈夫か?」

 下から覗き込む彼を見ると、胸が苦しくなった。
 無条件の信頼。それはとても嬉しいが、同時に疑問でもある。信頼の根源に俺への好意があるとすれば、そもそも、なぜこの人は俺のことなんかを好きになってくれたのだろうか。接点なんてなかったはずだ。確かに彼とはあの時が初対面だった。それなのに。

「俺の、なにを、好きになってくれたんですか」

 彼の顔がじわじわと赤らんでいく。視線を右へ左へさまよわせて、周りの様子を伺ってから、上擦った声を上げた。

「な、なんで、いきなりそういう話になるんだ」
「好きになってもらう要素なんてないのに。何も返せないのに。貰ってばかりなのが、嫌になるんです」

 べそをかきそうになりながらそう告げると、彼は「それは違う」と強く否定した。

「でも、」
「君を知らないだろうけど、君は俺の恩人だ」

 それから、彼はぽつりぽつりと話し始めた。
 4人兄弟の長男で、ほとんどの家事を親から任されていたこと。自分のつくる食事を弟たちが褒めてくれるのが嬉しくて、料理を好きになっていったこと。自然と、自分は将来そういう職に就くのだと思っていたこと。

「でも、高校で洋菓子店でバイトを始めて、自分は下手の横好きレベルだって思い知ったんだ。何度やっても、言われたとおりにしても、見本通りにならない。売り物にもならない。自分に腹が立って、だんだん憧れや楽しさが薄まっていった」

 好きなことを仕事にしないほうがいい。趣味でやっていたほうが楽しくて、ずっと好きでいられる。よく耳にする言葉。

「そんなとき、店長の提案で失敗作も商品として売り出すことになった。もちろん味に問題のないものだけ。ちょうど近くに直売品スペースを貸し出しているスーパーがあったから、そこに格安訳あり品として置いたんだ」

 それってもしかして、と馴染みの店内を思い浮かべる。
 自分の作ったものが店頭に並ぶのは嬉しい反面不安だったと、彼は吐露した。どんな人が買って行くのかという期待と、売れ残るのではという危惧に挟まれ、いても立ってもいられず、スーパーに張り付いた。

「初めて買ってくれたのは、近くの公立校の制服を着た男の子だった。彼は店を出てすぐに袋を開けてひとつだけ食べていた。とても、おいしそうに食べる子だった」

 そのとき、自分の中の答えに気付くことができた。確かに、趣味の範疇で自分のやりたいようにやっていたほうが楽しいだろう。けれど、それでは自分の中で完結してしまう。弟たちに褒められて目指し始めた夢。他人に認めてもらわなければ意味がない。彼の表情を見て、迷いが消えた。宙ぶらりんだった将来に、一本の道筋をたてることが出来た。

「そのときの彼が、君だったんだ」

 強い風がぶつかる。耳の横で空を擦る音がごわごわと鳴る。彼の声はそれをすり抜けて、直接頭に響いてくるようだった。

「それから何度も、待ち伏せみたいな真似をした。君の姿を見るたびに頑張ろうと思えた。一目惚れだったんだと思う。君はいつも素直な表情で、直向な瞳を持っていて、そういうところがすごく好きになった」

 真摯な視線が俺を包む。真っ直ぐな気持ちを曝け出す彼を、直視できなかった。
 彼の話の中の青年が、自分とは結びつかない。別の誰かの話を聞かされている感じ。けれど確かに彼の瞳は俺を真っ直ぐに写している。
 何も知らなかった。俺はどんな顔を彼に晒していたんだろう。変なところを見られていたのではないかという羞恥が身を染める。

「俺の知らないところで見られてたんですね……」
「気持ち悪い思いをさせて、すまない」
「気持ち悪いって言うか、恥ずかしいです」

 けれど、これが彼以外の人間だったなら、確かに「気持ち悪い」と身を震わせていただろう。
 彼じゃなければ。
 彼だから。
 

「−−……これからは正面で向かい合って、お互いのことを知っていきましょう。告白の返事は、それからでもいいですか?」

 多分、俺の答えはもう決まっている。けれどそれを口に出すのは、もう少し先でもいいと思った。俺の進路の区切りもあるし、もっと彼との距離を縮めてからでも遅くない。

 彼は一瞬きょとんとして、それから勢い良く数回頷いた。






******






「ていうか、家事全般できるなんてすごいですね」

 予備校へ向けての短い距離を歩きながら、
 彼はそう照れた様子で「そうでもない」と否定した。
 そうでもなくない。俺なんてまだまだ親に頼りっぱなしで何もできない。たまに親が出かけている夜なんかはカップ麺で飢えを凌いでいる。

「カップ麺は健康によくないな」
「わかってはいるんですけどね……そういえば、明日の夜は出かけるって母さんが言ってたなぁ。今日のうちになにか買って帰らないと…」

 ふっと思い出して呟くと、横で肩を並べている彼が、なんだかもじもじとこちらの様子を伺い始めた。

「その、もし、嫌でなければ、明日うちで晩ご飯食べていかないか?」

 駅のすぐ裏で近いし、弟たちはうるさいかもしれないけれど、それでもよければ。
 ちらちらと横目でこちらの様子を確かめながら彼が話す。その様子を見て小さく吹き出してしまい、誤魔化すように咳払いをした。

「じゃあ、明日はよろしくおねがいします」

 ほっとしたように彼が息を吐いた。
 ちなみに、明日は得意なクリームシチューをご馳走してくれるそうだ。


おわり

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