最近竜二が笑わなくなった。
 いや、笑うと言えば笑うのだけれど、声を出さずに口元だけで笑うようになった。竜二はだらし無い声をあげながら笑うのが癖だったから、違和感を感じてはいたけれど、そのことについて問いたりまではしなかった。



******



「和市?」
 確認しているようで確信が込められている声。名前を呼ばれて振り返らないわけにもいかず、渋々と後ろを向くと、見知った男が立っていた。
「やっぱり和市だ! この間ぶりだなー。あれって2ヶ月くらい前だっけ?」
 男が人好きのしそうな笑みを浮かべながら近付いてくる。会いたくないと思っていた男だった。

「久しぶり。そうだね、あれからもう2ヶ月くらいは経ってる」
「あん時は楽しかったよなー。また三人で飲もうな。てか、今から俺ん家で飲まない?すぐそこなんだよね」
「……相変わらず急なお誘いだね」
「いいじゃん。どうせ用とかないんだろ?行こう行こう」

 三嶋といると自分のペースが崩れる。断るタイミングを見つけられず、流されるがまま三嶋の家。もうどうでもいいやと出された発泡酒の缶を開けた。

「それでその先輩がさー」
 三嶋の話に適当に相槌をうちながら床の雑誌をめくる。つまみを取る際に、積み重なった本の中に卒業アルバムを見つけた。
 本のタワーが崩れないように抜き取ると、ゆっくりとそれを開いた。相槌はもう忘れていた。

「すげえ理不尽だと思わないか?てか話聞いてる?……なに、卒アル?懐かしいなー」

 3年2組。たくさんの生徒の顔写真の中には、髪の毛を馬鹿みたいにワックスでたてた三嶋もいる。まだ髪を染めたことがなかった時の俺もいる。ふたりともまだ幼さが抜け切らない中学時代だった。

「和市も春斗も変わんないよなー」

 俺らが載っているページの中で、一際輝いて見える笑顔。春斗。小学校から高校まで俺ら三人はずっと一緒だった。その長い間、俺はふたりに隠していたことがあった。
 ずっと、春斗が好きだったのだ。




 2ヶ月くらい前、春斗から呑みに誘われた。行けば三嶋もいて三人。
 近況を話しながらしばらく呑んでいたら、明日は早いからと三嶋が先にひとりで帰った。残された俺と春斗。
 何がきっかけだったか。いや、きっかけなどなかったかもしれない。春斗が俺を誘った理由がそれだったのだ。

「和市は引くかもしれないけど、隠しごとって嫌だから言う。あのな、俺と三嶋、付き合ってるから」

 脈略もなく告げられた事実。
 心臓が一度動きを忘れたかのように思う。手先が冷たかった。
 俺の好きだった幼なじみは、もうひとりの幼なじみと数ヶ月前に交際を始めたらしい。それ以上は聞かなかった。聞けなかった。偏見はないということだけはやっとの思いで伝えた。春斗は安心した笑みを見せた。その後俺はやけ酒して記憶をなくし、起きたら竜二と一緒に寝ていた。



 アルバムの中の春斗を指でなぞる。その笑い顔はどこか竜二に似ていた。最初竜二に興味を持ったのはそんな理由からだ。でも、知れば知るほどふたりは違う存在だった。彼は少し怒りっぽいけれど、竜二は怒りより先に悲しむ。彼は頭のいい人だったけれど、竜二は馬鹿。そんなところがまた可愛らしいのだけれど、なんて思っている俺は元家庭教師としてどうかしている。


「……春斗を幸せにしてやれよ」
 三嶋に会いたくなかった。もう少し待ってほしかった。何しろ初恋が春斗だったのだ、小学5年生から大学1年までずっと好きだった。今はもう他に好きな人ができたが、それでもやはりやりきれない。三嶋に会って、全てを受け入れて、祝福するのには、もう少し時間がほしかった。

 言われた三嶋はぽかんと口を開けて固まっている。その姿が面白くて小さく吹き出した。

「……春斗から聞いたの?」
「ああ、三人で呑みに行った日に」
「……ごめん」
「なに謝ってんだよ」
「俺、和市が春斗のこと好きなの知ってたし……」
「だからって謝らないでくれ。惨めになる」
「でも、俺、最低だから」

 最低なのは俺だよ。
 お前も春斗を好いていると気付いていたんだ。だから高校卒業と同時に打ち明けたのだ、先手を打つように。春斗に告白する勇気もないくせに。

「春斗を、幸せにしてやれ」

 今はただそれだけだ。




 玄関を開けると、電気がついていた。基本的に竜二がうちに来る日は曜日で決まっているのだけれど、合鍵は渡しているため自由に入ることができる。今日はその曜日ではないから、竜二が気まぐれで来たんだろう。わかっていたらもっと早く切り上げてきたのに。
 居間のつけっぱなしのテレビの前で眠っている竜二。風邪をひいてはいけないと思いベッドに移そうと抱き上げると、竜二はうっすらと目をあけた。途端、腕の中でもがき、慌てたように抜け出る。いつもの竜二なら、途中で起きてもされるがままになっているところ。小さな違和感。

「……竜二?」
「あ、えっと、おかえり」
「ただいま。来るなら連絡してくれればよかったのに」
「ごめんね……いっちー、お酒呑んできた…?」
「ああ、うん。友達とちょっとね。どうかした?」
「ううん……酔って、ないよね?」

 違和感は膨らむ。竜二の口元は笑っているが、瞳は暗い。まるで、俺に怯えているようだった。






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