あいつの視線は窓の外へと向けられて動かない。
 何か珍しいものがあるわけでもなく、ただ何の感情も無くそこに視線を向けているだけだ。

 呼吸を繰り返すだけの人形のようになってしまった男。
 心をどこかで落としてしまったかのように、彼は何に対しても反応を見せない。

 ベットの上に力なく置かれたその手首には、縛られていたような赤黒い後が残っていた。今は隠れているが、両足首にも同じような跡が残っているのを俺は知っている。



たとえば誰かが死んでしまったとしても



 路地裏でゴミのように横たわるあいつを見つけたのは、他でもない俺自身だった。

 手放したことをどれだけ後悔したか。
 何があったのか真実はわからない。唯一それを語ることができる人物が、声を発することはないからだ。
 だがその身体に残る傷跡から、想像もしたくないような事実が見えてくるのは確かだ。

 何度か重ねたことのあるあいつの肌は、暴力を受けた痕で埋もれていた。




 初めて出会ったあの日、あいつは居場所を求めて夜を彷徨っていた。
 彼はあの時のように夜道をひとりで歩み、俺に拾われたのと同じように別の人間に拾われたのだろうか。
 そしてその結果、身体に無数の痣と心に大きな傷を残して捨てられたのだろうか。

 そう考えては自身を責め、あいつの弟に言い表せないほどの怒りを抱いた。
 あの男があいつを幸せにすると言ったから俺は身を引いたのだ。それなのにこれはあんまりだ。と。

 しかしそれさえも自身の行動に対する言い訳なのではないかと感じ始めた頃、急な知らせが耳に届いた。



******


「……空に、何か見えるのか?」

 返事はない。わかっていて声をかけたのだから、それに対して思うことは何もない。
 どうせ自己満足な一方的な会話なら、そう思い言葉を続けた。


「お前がこんなにも傷ついてしまったのは俺のせいだ。謝ったとして許されるなんて思ってはいない。でも、もう一度俺を信じてくれるなら、今度は絶対に離さない。誰よりも幸せにしてみせる」

 指先を絡めるようにして手を握る。
 血の通った彼の手の温かさは、体温を失った遺体を俺に連想させた。
 急に目の奥がじんと熱くなる。


「……早く、心を戻してくれ。もうお前の居場所を奪おうとする奴はいないんだ」


 そう、いないんだよ。

 お前が空ばかり見ている間に、俺に知らせが届いたんだ。
 生意気だったお前の弟は、自宅で首を吊っていたそうだよ。



ほら、世界は変わらない。



おわり




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