そっとカップを持ち上げて口元へと運ぶ。そいつのその動作は驚くほどしなやかで、たったそれだけのことなのにとても品が感じられた。 彼の節目がちな瞳を見つめながら、つくづくあいつとは似ていないと思った。 ふたりとも質の違う整った容姿をしているが、まとう雰囲気は間反対だ。 あいつはいつも切なげでどこか脆そうで、見ているとほうっておけない気持ちにさせられるが、こいつは見るからに勝気で、自分という人間にとても自信を持っているように感じられる。 正直、苦手なタイプだと思った。 「兄は、こんなところにいるべき人間ではないんです。彼のことを理解しているのなら、よくわかるでしょう?」 カップから口を離すと、上から押し付けるような口調でそう言ってきた。 こんなところ、という言葉に一瞬怒りを覚えたが、ここで揉める訳にもいかないため口を噤む。 あいつがここにいるべきかそうでないのかなんて、俺が決めることではない。 でも、こんな暗闇の中で過ごすよりも、日の当たる場所で真っ当な幸せを掴んで欲しいという思いは確かにあった。 「兄は社会からはみ出し落ちぶれているわけではない……あなた方とは違うんです。兄のことを大切に扱ってくれていたことには感謝しています。でも、もう彼を解放してあげてください」 「解放」という言葉を聞いて、膝の上で拳を握る。 まるで今まで俺らがここに縛り付けていたかのような言い方だなと言うと、「違うんですか?」と馬鹿にしたように返された。 ぎりっ、とまた拳に力が篭る。やはりこいつは好きになれそうにない。 「たしかにこちらの世界に誘ったのは俺だ。だが最終的にあいつは自分の意思でここへ来た。そうさせる理由があったんじゃないのか?」 正直、俺はあいつが族に入る前のことなんて何ひとつ知らない。双子の弟がいたということも今日始めて知った。 表情のない顔で夜の街をさまよっていたあいつを、居場所が無いならと族に誘ったのが俺らの出会いだった。そんな始まりだったからこそ、互いのことは深く聞けなかったし、話そうとも思わなかった。 俺と出会う前、あいつがどんな境遇に生きていたのかはわからないが、それでもただ平凡に生きていた人間は誘われだけでこんなところに入ったりはしない。 何かから逃げたかったのか、あるいは何にも干渉したくなかったのか。その理由が何なのかは知らないが、それなりに心に闇を抱えていたのだろう。 「……何が言いたいんですか?」 「さぁな。俺よりお前のほうは良く知ってるんじゃないか?」 兄弟なんだろう? そう続けると、目の前の男の無駄に整った顔が酷く歪んだ。 「……とにかく、兄には早くもとの生活に戻って欲しいんです。本当に兄のことを思っているのなら、彼の幸せを望んでいるのなら、どうすることが一番かわかるでしょう? 協力していただけますよね、総長さん」 元より、こんなところにいて本当の意味であいつが報われるなんて思ってはいない。彼のためを思うのなら、いつまでも闇に引き止めてはいけないこともわかっている。 だが、こいつのわざと断りにくくさせる言い回しが癪に障り、すんなりと首を縦に振ることは出来なかった。 「……たしかに、兄が夜の世界に入ることを選んだのには、それなりの理由があったと思います。そしてそれに僕は大きく関わっている」 いつまでも返事を返さない俺に痺れを切らしたのか、ぽつぽつとあいつの弟が話し出す。 その声はさきほどまでの威圧的なものではなく、か細いとまではいかないものの酷く頼りないものに聞こえた。 「後悔しているんです。とても。…………だから責任をとるという訳ではないですが、兄は僕が幸せにします」 そう言ったあいつの弟の瞳はとても真っ直ぐで、俺は考えるより先に頷いてしまった。 そこからは言われるがまま。 説得するよりも手っ取り早いから、そう言われて弟に惚れた演技を続ける。彼の言った通り、すぐにあいつは族を抜けたいと切り出してきた。 本心を言えば、あいつを手放したくはなかった。ずっと側にいてほしいと、初めて思った相手なんだ。 でも、ここで手放すことがあいつのためになると信じている。 せめて最後くらいはあいつが傷つくことなく送り出されてほしい。 そんな願いから、あいつに関しては別れ際に暴力を振るうことも禁止させた。 最後に見たのはお前の笑顔。 「ありがとうございました」 あいつは涙を流しながらそう言い終えると、すぐに身を翻し闇へと消えてしまった。 信じている。 お前は俺らとは違うんだと。 真っ当な所でちゃんとした幸福を見つけられると。 できることなら俺が幸せにしてやりたかったけれど、それは叶わないから。 せめてこうやってお前の未来を信じさせてくれ。 最後に見たのはお前の、 おわり ←|→ |