「花音、」


いつものように病室に行き、名前を呼ぶと笑顔で俺を迎えてくれる。


「あ、冬獅郎だ」


そして、安堵する。
今日も花音は俺の名前を呼んでくれる、と。今日も俺を待っていてくれるのだ、と。


「どうしたの?」

「いや、...そういえば顔色少し良くなったか?」

「今日は良いことあったからかな」


花音のいるベッドに腰掛けると、花音は俺に擦り寄ってくる。頬に当たる花音の柔らかい髪の毛が少しくすぐったい。


「へえ、何があったんだよ」

「病院の外で四つ葉のクローバー見つけたんだよ」

「摘んでこなかったのか?」

「摘んだらすぐに枯れちゃうから、そのままにしておいたの。幸せってそういうものでしょ?」

本当に些細な事なんだ。それでも、花音には幸せで。俺はそんな事を思える花音にまた惹かれて。
一緒にいるだけで十分だと思っていた。でも一緒にいればいるほど、更に上の幸せを望んでしまうんだ。それは、いけない事なのだろうか。それは、四つ葉のクローバーを摘んでしまう事に値するのだろうか。


「...冬獅郎、」

「なんだ」

「何かあった?」

「いや、別に」


そして花音はいつも鋭い。
俺の気持ちの微妙な変化にいつも気付く。しかしそれは、今回ばかりは気付いて欲しくなかった。


「...ちゅーしようか」


いきなりこんな事を言うなんて珍しかった。少し顔を赤らめて言う姿に俺も少し照れてしまう。
花音の小さな唇に俺の唇を重ねると、柔らかい唇の感覚が俺を支配する。それがとても心地よかった。


「幸せだね」


こんな小さな事でまた、俺に微笑んでくれる。「冬獅郎にも私の幸せお裾分け」だなんて、恥ずかしげも無く言っている花音は、きっと俺に何かあったのだと思い、俺を励まそうとしているのだろう。


「また明日、かな?」

「そうだな、学校終わったらすぐ行く」


数時間後、病室を出ようとすると花音は俺をじっと見つめる。


「自分を見失わないで、ね」

「...どういう事だ」

「うーん、わかんない、...何となく。女の勘?」


女の勘は、やはり当たるのだろうか。

...俺は花音が電気を消し、目を閉じた事を確認すると、病院を出てその足であの女がいるというホテルへ向かった。





指定されたホテルの部屋へ通されると、その女は真っ先に約束の4万を差し出す。


「前払いの方が安心でしょ?」

「...どうでも良い。それよりさっさと終わらせてえんだが」


「シャワー入ってくる」と言ったそいつの腕を引き寄せ、ベッドに押し倒した。


「...意外とそういうところあるんだ」

「早く終わらせてえだけだ、さっさと脱げ」

「脱がせてくれないんだね」


ぶつぶつと文句を言いながら自分でシャツを脱ぎ、俺はあっという間に下着姿となったそいつを真上から見下ろす。

...嫌悪感しかなかった。それは、俺自身に。何をしてんだ、という。花音の帰り際の言葉が、もう一度蘇る。

「自分を見失わないで」

ああ、何を勘違いしているんだろう俺は。こんな事で金を稼ぐ意味なんてあるのだろうか。花音の為だと言って、花音を裏切るのなら元も子もない。どんなに相手が望んでいても、こんな行為に正当性はない。欲しかった金すらも意味を成さない。
こんな事をして得た花音の笑顔に俺はきっと、心から笑えない。花音との幸せを共有出来ない。

花音を裏切った俺に、必死に生きる花音を支えるだなんて事、俺自身が許さない。


「...悪りい、やっぱり無理だ。抱けねえ」

「なんで?お金まで払ってんのに」

「金は返す、ホテル代は俺が払うから気にするな」


ベッドから立ち上がると、そいつは俺の腕を強く掴んだ。


「お願い、一回でいいから。...好きなの、ずっと前から、だから、...「自分で自分を悲しませるような事すんなよ」


散々泣かれた。
俺も相当馬鹿だった、自身への嫌悪は相当だ。結局はこいつも傷付けたのだから。誰一人、良い結果になどならなかったのだから。


「...日向さん、大丈夫なの?」

「ああ、一応」


ようやく話せるまでに泣き止んだそいつは、淡々と脱いだ制服を着ながら、俺に話し掛ける。


「また明日から学校に来ないの?...本当に進路とか卒業の事とか何も考えてないの?今のままだと卒業出来ないよ」

「あいつの側にいてえんだ、あいつの為に生きたい。...だから、もう俺に関わるな」


もう、他の奴らと同じような人生を歩むつもりはない。卒業なんてしなくてもいい、退学になっても構わない。理解して貰わなくてもいい、どうせ理解出来ないのだから。だから、せめて俺には関わらないで欲しかった。

俺の力になりたいというのなら、俺に干渉して欲しくなかったんだ。それが、俺に対する協力の方法。


「俺はここに泊まっていく。家に帰るの面倒くせえし、今すぐ寝てえんだ」

「うん、分かった。......ごめんね」

と一言残して、早々に部屋を出て行った。





「シフト増やすか...」


俺は俺のやり方で花音を笑顔にする。花音の最高の笑顔を見る為に。俺の力で。

瞼を閉じると何かを考える暇もなく、意識が勝手に遠のいた。
そういえば2日くらい寝てなかったかもしれねえな、この怠さはそのせいだったのかと自嘲した。





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