番外編
初めて殴られたお話




「ウエディングドレス着てみたいな」

「お前が着ても胸んとこ余るぞ」

「...冬獅郎嫌い」

「怒んなよ、胸なんか無くても俺は好きだから」

「......もっと嫌い」


今日も俺たちは狭い病室にいる。
偶然一緒にウエディングドレスのCMを見て、なんの気なしにそれを着たいという花音。
きっと、着たら喜ぶんだろうな。...着せてやりたい、絶対に、一日でも早く。






俺は、花音がいなくなってしまう事が何よりも恐ろしかった。それは、自分が死ぬよりもずっとずっと。毎日が怖かった。もしかして、今日が最後かもしれないなんて、毎日思っている。

...俺は自暴自棄だったのかもしれない。苦とも思った事の無い勉強をしなくなった、というよりは解答を放棄するようになった。考えるのが面倒で、くだらなくて。その代わり、年齢を偽ってバイトを始めた。金がどうしても欲しくて。

花音が少しでも望む事は全て叶えてやりたかった。だから、そのためには金が必要になる。
日中はほぼバイトに行き、夕方に病院へ行く。そして日中のバイトが無い日は深夜バイトをするという生活サイクルとなっていた。花音には黙っていたが、学校には殆ど通っていない。


「日番谷くんはやっぱり、国立大学だよね」


数日ぶりに学校へ行くと、進路希望の用紙を提出しなくてはいけなかった。しかし俺は、目の前の事に精一杯で何も考えていない。


「......うるせえな、どうでもいいだろ」

「今日提出じゃん、日向さんの事で悩んでるの?でもさ、そういうのって...「お前には関係ねえだろ」


その女は、俺が花音と付き合い出してもずっと連絡してくる奴だった。俺がどんなに返事をしなくても、"数学のテスト範囲は..."など勝手に送って来る。


「日番谷くんさ、日向さんと付き合ってからダサいよ。たかが彼女のために人生棒に振ってどうすんの。学校だって来ないし、毎日何してるの?」


俺は自分の机を大きく蹴り飛ばし、教室のドアが壊れそうなくらい勢いよく開けた。
まるで花音を否定されたような気がして、許せなかった。教室中の視線など気にせずに出て行こうとすると、そいつは俺の腕を掴み、耳元で囁く。


「バイトすんならもっと効率良くしなよ」

「うるせえな、離せ...「4万」

「は?」

「4万円で私を抱いてよ。お金欲しいんでしょ?」


それは、そいつが俺を買うという事だった。理解出来ない。俺にそこまでしてでも、抱かれたいという精神が。愛情など無くても抱かれたいという精神が。


「お前、ただの馬鹿女だったん...「行為中にキスしてくれたら、更に5000円払ってもいいよ」


「絶対、日番谷くんにとっても悪くない話だと思うんだけど」なんて言うその女は、俺が話に乗るとでも思っているのだろう、勝ち誇ったような表情をしている。

...それは、俺が迷っていたからだ。どう考えても一晩で4万円はかなり割りが良い。しかし、俺の花音への愛情がそれを迷わせる。

一日に深夜バイトで一万円にもならず、日中のバイトでも一日5000円なるかならないか。ウエディングドレスなんて一着買う程の金になるには時間がかかり過ぎる。明日には歩けないかもしれない、話せないかもしれない、...俺を忘れるかもしれない、そんな状況で、俺は何を優先するか、だった。


「......ちっ、」


時間が無いんだ。金は金、清いも汚いもないだろう。金の稼ぎ方なんて、綺麗事を言っていられるような状況でもないのだから。


「日番谷君は賢いね、やっぱり」


一日でも早く、花音の満面の笑顔が見たかった。一日でも早く、花音に着せてやりたかった。ただ、その一心だった。





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