「今日は久しぶりに外出したり疲れたでしょ?」

「んな事ねえよ、...有り難う」


きっとこういう事をするのは私の我儘なのかもしれない。冬獅郎をどうしてもこの世に残しておきたくて、冬獅郎と私が過ごした日々を残したくて。


「...本当は、こんなつもりじゃなかった」

「ん?」

「本当は、ずっと花音と生きていくつもりだった。もう、悔いはねえってくらい一緒にいてやろうって思ってた」

「........じゃあ冬獅郎の悔いって何?」

「花音がしわくちゃになって白髪になった姿を見れねえ事だな」


...ベッドに横たわる冬獅郎は天井の一点を見つめながらこう言った。こんな話なんかしたくない。冬獅郎が本当にいなくなってしまう事を考えないといけなくなってしまうから。でも、もう向き合わなくてはいけない。冬獅郎の今をこの目に焼き付けて、この耳で冬獅郎の声を一言も漏らさずに聞く。


「花音、よく聞いてくれ」


天井から私に視線を移した冬獅郎。その瞳は相変わらず綺麗で澄んでいる。私も視線を合わせると、2人には狭過ぎるシングルベッドのせいで距離はとても近くなった。


「愛してる、言えなくなる前に俺の今後全ての愛してるを込めて。ずっと、ずっと。俺がこの世から消え去っても」

「...うん、私もだよ冬獅郎」


精一杯だった。これ以上何かを紡いだら確実に泣いてしまうから。泣いてしまったら、何も話せなくなってしまうから。
今日は笑顔でいるって決めたから。


「だから、キスして」

「...今日は何回でもしてやる、飽きるくらい」

「じゃあずっとして、私が眠るまで」


冬獅郎は小さく笑った。
久しぶりのキスは、冬獅郎の体温を感じられて、冬獅郎の鼓動を感じられて、冬獅郎がここにいる事を感じられて、握った手を離す事はなかった。

無数の注射針の痕と手術の縫い痕をなぞる。これを見る度に胸が痛くなる。現実に引き戻される。冬獅郎の頬を撫でると、冬獅郎はうっすら目を開けた。


「何も心配すんな、お前が俺の前から消えたあの時間の方が何倍も辛かった」

「...冬獅郎は、どうして弱音のひとつも吐かないの?痛いでしょ?辛いでしょ?」

「何度も言わせんな、俺にしてみればこんなのは痛みじゃねえんだ」


冬獅郎は、弱い力で私を引き寄せた。
私は冬獅郎を強く抱き締めた。「ありがとう」と何度も言うと、冬獅郎は何も言わずキスを求め、最後に


「俺と出会ってくれて、ありがとう。...花音は俺の人生の一筋の光だ」


と私の頬に手を添えて、囁いた。





次の日、病室に戻った冬獅郎。
2人で家に帰った事が嘘のように、苦しそうに悶える。決して口には出さないし、私がいるから少しでもそういう表情を出そうとしないけど、それも、もう限界なのだろう。
眠っている時すら、痛みに悶絶しているのだから。きっと昨晩言っていた事は、今日を見越していたからなのだろうか。

...見ていられない。もう冬獅郎を許してあげて下さい、神様。
手を握り、そればかり心の中で叫ぶ。

医者は隣にいる、私の選択をまた待っている。こんな冬獅郎を見たら、私のエゴなんてどうでも良い。最後の手段、それは本当に最後。それからは安らかに衰弱していく事になる。冬獅郎とのお別れを告げる呪文となる。でも、言わずにはいられなかった。


「もう...、楽にしてあげて下さい...」


一刻も早く、病と闘い続けた冬獅郎の苦しみを取り除いてあげたかったから。


「冬獅郎...、もう少しで良くなるからね」


冬獅郎が私を見て小さく手を握り返した。
それでいいんだ、と言ってくれているような気がした。


冬獅郎は私の為に全てを費やした。私の為だけに生きているかのように。乱菊さんがいつか言っていた、私が今でも飲んでいる薬は冬獅郎の研究の成果なのだと。

私は冬獅郎の側にいる事しか出来ない。冬獅郎を愛して、冬獅郎に愛されて。
...でも、私たちが離れ離れになった時間が何よりも苦痛だと冬獅郎が言うからこそ、もしかしたらこの最期は私達にとっては最良なのかもしれない。


「冬獅郎をもう1人にしないよ」


もう、あんな悲しみを背負わせない。私の元で安らかに旅立って欲しい。
それが、私の精一杯の愛。私を愛してくれてありがとう。
大好きだよ、これからもずっと、永遠に。






きっとそれは、最後に見る夢だから






「花音...」

「ん?どうしたの?」

「...英語のテスト勉強、ちゃんとしたか」


意識が朦朧としているのだろうか、冬獅郎は私にこう問う。きっと、冬獅郎の愛したあの日に帰っているのだろう。


「うん、ちゃんとしたよ」

「身体は...平気か」

「...冬獅郎が治してくれたじゃない、...もう元気だよ」


そう言うと、冬獅郎は今日初めて笑った。


「そうか...良かった...、毎日...一緒に、学校行けるな」

「そうだね...!毎日一緒に学校行って、放課後はいっぱいデート出来るね」

「...ああ、すげえ楽しみだ」


冬獅郎は口角を上げたまま、ゆっくりと瞼を閉じた。一筋の涙を流して。
それは悲しみの涙ではない。安堵の涙。
冬獅郎の心の中で、あの時の私たちは新しい日々を歩む。それは、私の病気が治って冬獅郎も病気なんかしていなくて。そんな、幸せな日々を。


冬獅郎を生かしていた機械達が止まった。
目を瞑ったままの冬獅郎は、まるで寝ているかのように静かに息を引き取った。


「冬獅郎、お疲れ様。...もう頑張らなくていいよ」


そう、私が言ったのとほぼ同時に。





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