冬獅郎の家に行った。いや、私達の家。
冬獅郎が婚姻届を書いたあの日、


「来月の家賃、もう払ったか?」

「まだだけど...、どうしたの?いきなり」

「じゃあうちに来い、荷物も全部一緒にな」

「それって...」


冬獅郎はいたずらな笑顔を私に向けた。
私たち二人の住む家が決まった瞬間。

奇跡を望んだ。お願いだから、冬獅郎と2人で夫婦としてこの家で過ごさせて欲しいと。
私と冬獅郎がこうしてまた会う事が出来たのに、私と冬獅郎を離れ離れにしないで、と。冬獅郎の奇跡が私と再会出来た事とするならば、私にも奇跡を与えて欲しい。
もう奇跡にすがったって、しょうがないのに。こう私が思ってしまうのは大人になった証拠なのだろうか。

ため息をついて、初めて訪れた時とは大分変わった我が家のリビングに進む。
ほとんど物がなかったシンプルな部屋は、私の家具や荷物で生活感がある。
明日が冬獅郎の外泊許可日だから、冬獅郎に怒られないように黙々と片付けをした。そして、空っぽだった冷蔵庫には買ってきた食材を入れる。

...明日はこれが冬獅郎とあの白い病室から出る事が出来る最後の日。
絶対に、今度こそ絶に対泣かない。冬獅郎が安心出来るように、私自身の為に。







「...なんか家の中賑やかになったな」

「もともとテレビすら置いてなかったじゃん。これが普通普通」


やっぱり冬獅郎の第一声はこれだった。
でも、病室にいる時よりずっと笑顔が多くて、ずっと口数も多かった。それは薬のせいで身体が楽なんだろうけど、でも、それでも冬獅郎とここにいた時のような錯覚をしてしまう。


「こう考えるとやっぱり病院の飯は不味いな」

「素直に私の料理が美味しいって言いなよ」


冬獅郎が毎日言っていた、ささやかな、でも何よりも難しかった、私の手料理を食べたいという事。それが叶えられた今。ここでご飯を食べたのはもう結構ぶり。それくらい、冬獅郎はこの病気と闘い続けていたという事でもある。


「...高校1年の時、初めて花音の料理を食った」

「1年生の時?そんな機会あった?」

「バレンタインでな。他の奴等はみんなチョコだったんだが、お前だけチョコケーキだったんだ。邪魔臭えから食っちまおうと思ったら、すげえ不味かった」


冬獅郎は私が不機嫌な顔をするのを横目で楽しんでいた。それは昔からずっとされている意地悪。...久しぶりの意地悪。


「...そんなお前も、こんなに料理出来るようになったんだもんな」

「そんな一回の失敗でぐちぐち言わないでよ」

「懐かしんでるんだよ、花音との全部。最近ずっと、思い返されるんだ。自然と」


冬獅郎と私の記憶。冬獅郎には私の何十倍以上もの記憶があるはず。そして、きっと冬獅郎は無意識のうちに自分の記憶を私に分け与えている。
冬獅郎と私の失った記憶は、冬獅郎がいなくなってしまったら無くなってしまうから。なかった事と同じ事になってしまう。私が覚えていれば、冬獅郎がいなくなってしまっても、私と冬獅郎の日々はなかった事にはならないから。色褪せないから。


「...もっと、たくさん聞かせて。私たちが付き合う前の話も全部」

「すげえ量あるぞ。初めて会った時の話、俺がお前に殴られた話、初めて大喧嘩した話、俺がお前に殺意を感じた話、修学旅行、浮気...「え?!どっちが?!」

「正確にはお互いの浮気疑惑、だな」


忘れている事ばかりだった。それでも冬獅郎は悲しい顔ひとつしなかった。むしろ楽しそうに、幸せそうに話してくれた。いくら話しても話し足りないくらい。
楽しくて、でも哀しくて。私たちは付き合う前からも色々な事があってそれを乗り越えてきて。でも今こうして愛し合っている。
きっとこれが奇跡なのではないかと思った。たくさんの人と出会って、たくさんの困難があって、時にはお互いを遠ざけて、なのにこうして今一緒にいる事が。


「...あ!冬獅郎、ちょっと出掛けよ!」

「こんな中途半端な時間にどうした」

「いいからいいから!」


私は、今日この日に絶対しておきたかった事があった。外に出て、少し歩いた所にある小さな写真館。驚きを隠し切れない冬獅郎を尻目に私は重いドアを開け、中に入る。


「おい、一体どういう...「冬獅郎の買ってくれたウエディングドレス、家中探すの大変だったんだからね。冬獅郎もタキシード着て待ってて」


そう、冬獅郎があの日私の為に買ったウエディングドレス。あの開かずの間の奥にあったダンボールに綺麗に入っていた。年月を感じさせないくらい保存状態も良くて、シンプルだけど、センスの良さを感じさせられる物。

サイズもぴったりで、写真館の人にも驚かれたくらい。
冬獅郎の前に現れると、冬獅郎は私に笑顔を向けた。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいるような気がする。冬獅郎の後悔がひとつ、救われた瞬間なのだから。


「...どう?」

「ああ...綺麗だ、すごく」


タキシード姿の冬獅郎は、とても病と闘っているようには見えないくらいに健康に見えて、相変わらず素敵だった。


「でもやっぱり少し太ったか、胸の辺りがなんか...「大きくなったの!もう!」

「ほらほら、喧嘩しないで。笑って下さい」


2人で写真を撮ったのはこれが初めて。それはとても幸せな瞬間だった。出来上がった写真を選ぶ時も2人でああでもないこうでもないと言いながら、ようやくの事決めて。
普通の新婚さんなら当たり前の事なのだろうけど、私達にはいまこの瞬間全て財産で。どの夫婦よりも幸せだという自信がある。それくらいに私は冬獅郎を愛していて、冬獅郎も私を何よりも愛していて。






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