冬獅郎は確実に弱っていた。
私にも覚悟しなくてはいけない時期が訪れている。何度も覚悟していた筈なのに、いざ目の前にその覚悟が現れると私の心は脆く崩れ去ろうとしてしまう。

でもその度に思い返すのは、冬獅郎も同じような覚悟を背負ってたということ。
私が負けてはいけない。

どんなに冬獅郎の辛そうな姿を見ても、私が逃げてはいけない。冬獅郎は私と一緒に1秒でも長く過ごそうとしてくれているのだから。


「冬獅郎、今日も良い天気だね。窓開けようか」

「ああ...、花音が来ると晴れるな」

「じゃあ台風の時に一緒だと晴れるかな?」


辛い。確実に毎日弱っていく冬獅郎を見るのが。
チューブの数がどんどん増えていくのが。
注射の跡がどんどん増えていくのが。
...それでも冬獅郎が弱音を吐かないのが。




「日番谷さん、ちょっといいですか」

「あ、は、はい」


日番谷さんと呼ばれるようになった私。こればかりはなかなか慣れない。幸せな戸惑い。
そんな私を尻目に、もはや何度行われたか分からない手術の待ち時間、私は医者の待つ部屋へ呼ばれる。


「...以前お話しましたが、旦那さんの時間が刻一刻と迫っています。どうしますか」


それは、延命治療を施すかという事。数週間前から言われていた事。...私がずっと悩んでいた事。

私が冬獅郎の命の時間を決めなければならない。1秒でも長く一緒にいたい。そんな事、当たり前。でも、それは冬獅郎の命を蝕む病と強制的に戦わせなくてはいけない。ずっと見てきた冬獅郎の苦しむ姿を。あの見てるのも辛い苦痛をまだ冬獅郎に味合わせようとしているのか。意識が途切れる程の苦痛を。


「...先生、私...どうしたら「私にはどうとも言えません」


冬獅郎を失いたくない。
でも、冬獅郎をこれ以上苦しませたくない。1秒でも長く一緒にいる代わりに与える代償は大き過ぎる。...分かっているのに、私が自ら冬獅郎の命の期限を短くしてしまう事に抵抗しか感じない。そして、冬獅郎の前で堪えていた涙がぼろぼろ零れ落ちる。


そんな時、私の頭の中で蘇った冬獅郎の「花音の作った飯、食いてえな」といつも言っていた言葉。私は、爪が掌に食い込むくらい拳を強く握り締める。


「...主人と......家に帰って、...ご飯を作ってあげたいです...」


泣きじゃくりながら、霞んだ声で静かに言った。


「分かりました、一日だけ外出許可出しましょう」


医者は速やかに席を立ち、しばらくの間、私は看護師さんに何度も背中をさすられた。涙が止まらなくて、何も話せなくて。初めて冬獅郎を主人と呼んで、私は日番谷さんと呼ばれて。私たちは誰から見ても夫婦で、大人で。自分達の道を自分で決められて。


「旦那さんに、美味しい料理作ってあげてね」


看護師さんの言葉に、私は何度もひたすら頷き、そして声を上げて泣いた。


「しっかりして、貴方がしっかりしないと」

「もう、可哀想で、私の為に、いつも...。私が心配するから、弱音も吐けないで...」

「貴方いつも笑ってるでしょ?だから、旦那さんは幸せなの。苦しいけど、辛くないの」


看護師さんは、優しく笑った。


「本人から言うなって言われてたんだけど、旦那さん、いつも私達に自慢するのよ、貴方が最高のお嫁さんだって」

「えっ、」


私がきょとんとしていると、看護師さんはふと時計を見る。


「ほら、手術終わるわよ。いつも旦那さんに会いにいってあげて」


看護師さんは私の背中をぽんと押す。

冬獅郎に会いに行くと、またチューブが増えていた。冬獅郎を生かす為だけにつけられた機械たち。腕はもう針の刺し過ぎで血管がぼろぼろになって、足の甲に刺したりするくらい。

ぎゅっと手を握り泣いた。
冬獅郎の前では絶対に泣かないと決めたけど、ごめんね、やっぱり私は冬獅郎みたいに強くないよ。こんな冬獅郎を見て、笑ってる事なんて出来ない。でも、冬獅郎の目の前で大泣きする勇気もないから、せめて今此処で泣かせて。眠っているうちに。



「冬獅郎...、家に帰ろっか」


漸く目を覚ました冬獅郎に、精一杯の笑顔を向ける。


「......そうだな、俺もそうしたいと思ってたところだ」


冬獅郎は分かってる。これが一体どういう事を意味するのか。いや、その前からもう気づいてた。こうなる事に。...皮肉にも医療に携わっているのだから。


「...辛い思いさせたな」


だから、こういう事言っちゃうの。本当は言ってはいけないんだけど、冬獅郎の心が我慢出来なくて。冬獅郎は私が傷つく事を何よりも恐れるから。だから、私が冬獅郎の見えないところで泣かないように、こう言うの。


「...そんな事、あるわけないでしょ」


やっぱり私は冬獅郎の思い通りになってしまう。冬獅郎は私の事を私以上に分かっているから。冬獅郎はゆっくりと私の頭に手を置く。高校生の時から変わらない、どんなに状況が変わっても冬獅郎は涙を流す私を子どものようにあやす。


「大人になったな」

「当たり前だよ、もう私たち大人だよ」


そう、私たちはもう大人。
でも変わらない、ずっと。出会った時から。
いつも私が泣いて、冬獅郎が私の涙を止めてくれる。再会してからもずっと。






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