花音に出会えた事、花音と過ごせた日々、花音とまたこうして一緒に過ごしている事、全てが奇跡だ

あの頃、未来などというものはなかった。あの頃の俺たちに、こんな未来が想像出来ただろうか。俺だけの記憶となってしまった二人の日々を、たとえ断片だとしても共有出来る事に。

...嘘のようだ。でもこれは現実で。
今まではもう一人の花音と過ごしているようだった。それが今、花音が花音としてここにいる。あの頃と切り離されていない花音が。今のままでも十二分に幸せな筈だったんだ。贅沢過ぎるくらいに。なのに、奇跡が起きたんだ。


花音からの言葉に、俺は全て救われた。後悔と懺悔も、もうない。こうして、またあの頃の花音と会えたのだから。



「冬獅郎、私怒ってるよ」

「...は?」

「二人の幸せを考えてないのは、冬獅郎も同じ。私の事しか考えてないでしょ?」

「ああ...、悪かった」


花音の髪の毛に触れると、すぐに手から滑り落ちてしまう。シャンプーの心地良い香りと手触り。


「全然反省してない」

「してるしてる」


俺の所作に腹が立ったのだろう、花音は眉を寄せる。それすらも相も変わらず愛おしい、再会した時とはまた違う愛しさ。きっと、俺は心底こいつに惚れているんだろうと実感させられる。今までも、そしてこれからも。


「...もう一人で辛い思いしないで、一人で抱えこまないで。これからは二人で、ね」


花音は本当に変わらない。記憶を失う前も、失った後も。感じ方、表現の仕方はずっと同じだ。これが花音という人間なんだろうといつも思っていた。


「それは花音も同じだろ」

「冬獅郎は私に本心を話せなかったでしょ?...私は冬獅郎が拠り所だから辛い思いは何もしてないよ」

「...俺、お前のそういうとこ好きだ」


花音は照れ笑いをしながら、「不意打ち過ぎ」と俺の胸に顔を埋めた。

花音は正直だ。真っ直ぐな瞳で嘘ひとつ無く本心をいとも簡単に俺に伝える。その代わりに、少しでも嘘が見えた時はすぐに顔に出る。そんな馬鹿正直なところ、俺には真似する事なんて到底出来る筈もない。だから更に惹かれるんだ。


「...もっとたくさん知りたいな、昔の事」


花音はぼそっと呟いた。
それは誰かに懇願するわけでもなく、花音の希望として。


「ずっと、思い出すのが怖いと思ってたんだ。...でも、今はね、思い出せない方が怖いと思うの」

「少しずつ思い出そう、...一緒にな」


俺がそう言うと、花音は笑った。
この笑顔に救われてきた俺。この笑顔を守ると誓ったのはあの頃から変わらない。


「なあ、花音」

「うん?」

「俺が卒業したら、結婚しねえか」


ずっと考えていた。果たして花音にとって、これは良い事なのだろうかと。
記憶を無くし、会って間もない男に結婚を迫られるというのは、花音の自由を奪うだけの、俺のただの自己満足にしかならないのではないのかと。

でも、今は迷わずに言える。
俺と花音の時間が、想いが繋がったのだから。


「もっと、なんか雰囲気とか考えないの?」

「早く返事しろよ」

「返事なんか聞かなくても分かってるくせに。...馬鹿冬獅郎」


何度も見ている筈なのに、花音の泣き顔は慣れない。それは、嬉し泣きやらをしょっちゅうするからだろうか。そして俺はその綺麗な泣き顔に目を奪われるんだ。


「私は、世界で一番幸せだよ。冬獅郎と二回も出会えて、そして一緒になれて」


俺は、花音に残りの人生の全てを捧げ、そして残りの人生の全てを花音と歩むと決心をしたんだ。花音のためならば、どんな事も苦にならない。
これが、愛なのだろうか。




与えるならば無償の愛を





「......それは、もうどうしようも無いって事っすか」

「残念ながら...」


大学病院の一室。俺は教授に呼び出された。


「癌か...、どうりで調子が悪いわけだ」

「日番谷、...」


俺はどうやら厄介なものにかかってしまったらしい。
花音も、当時はもしかしたらこんな気持ちだったのかもしれないと悠長な事が頭を過ぎる。

心は、絶望感に苛まれなかった。
それよりも前に、愛する人を一度失った絶望を感じていたから。

薄々は気付いていた。次は何を奪われるのかと、心のどこかで毎日怯えていた。花音が消えてしまうのではないか、花音に次はどんな試練を与えるのだろうかと。

...だから、何よりも安心したんだ。
今度は、奪われていくのが花音自身でも、花音の記憶でもなかった事に。
奪われるのが俺でよかったと心から思ったんだ。

そして、最期まで花音のために生きていくと、もう一度強く誓った。





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