「......鍵閉めろよ、危ねえな。女の一人暮らしなんだぞ」


日が落ちて来た頃、冬獅郎は玄関のチャイムを鳴らさずに私の部屋のドアを開け、静かにリビングに入ってきた


「それに俺の部屋を随分荒らしたみてえだな、つーかそれよりも身体の調子が良くねえのにフラフラ歩いてんじゃねえ。あとは...「冬獅郎、お帰りなさい」


きっと、冬獅郎は私にどう接していいのか分からず、言葉を一生懸命に紡いでいたのだろう。事実、私のこの一言で冬獅郎は言葉を紡ぐのをやめた。私の瞳をじっと見つめる。半信半疑のような、そんな感じで。


「一週間ぐらいで帰ってくるって言ったのにまるで帰って来ないし、私たちっていつも勝手にいなくなっちゃうんだね」

「......嘘だろ...、こんな事あり得ねえ。俺の研究でもこんな症例無かった筈だ」


こんな風にしてしまったのは、私のせいなんだろう。冬獅郎の研究だって私の病気の事だった。冬獅郎は私に縛られて生きている。きっとあの最後の日のせいで。


「...最後の日、覚えてる?私たち喧嘩したの」

「ああ...、あれは俺が...「ごめんなさい、本当に、本当に。本心じゃなかったの、怖かっただけなの...死んでしまうのが」


ずっとずっと、私が記憶を無くして目を覚ました時から引っかかっていた胸のわだかまり、そして探さなくてはいけない人は冬獅郎だった。どうか、私を冬獅郎に会わせて下さいと強く願った、記憶を無くす前に。

深く冬獅郎を傷付けてしまった、もしかしたら冬獅郎は私を憎んでいるのかもしれない。でも、謝らないと、全てを清算しないといけない。お互いのために。


「ずっと、辛い思いさせてきてごめんなさい。...冬獅郎、もう良いんだよ、頑張らなくて。冬獅郎は本当の自分の人生を歩んで」


冬獅郎を何年も蝕んできた私が言えるのはこれが精一杯だった。冬獅郎は私から離れて生きた方が良いに決まっている。こんなにも辛い道を歩ませてしまった、私を切り離した人生を歩ませてあげたい。


「......冬獅郎...?」


しかし私が見たのは、涙を一粒だけ流した冬獅郎。
今まで一度も見た事がない、感情をこんなにも顕著に現す冬獅郎を。

自分でもそれに驚いたのか、ずっと合っていた視線を外し顔を背ける。


「...花音はいつもそうだよな、」

「え...?」

「俺の事ばかり考えて、二人の幸せを考えようとしねえ。そして本心でもねえ遠回しな別れ話して...。馬鹿花音」


冬獅郎は私を強引にベッドに押し倒すと、私の手首をきつく掴んだ。否が応でも視線の先には冬獅郎がいる。


「...俺は、ずっと後悔してきた。あの日の事を。そして花音の事だけを考えて生きてきた。...俺がお前と再会出来た時、どれだけ嬉しかったか分かるか?俺がこうしてお前と一緒にいられる事がどれだけ幸せか分かるか?」

「...冬獅郎の人生は、私だけじゃないでしょ?」

「花音は俺と離れたいのか?」

「それは...」


その問いはとてもずるいものだった。冬獅郎は私の気持ちを分かっていて聞いているのだから。私は嘘がつけないのも分かっているから。


「...守ってやれなくてごめんな。でも今なら守れるから、お前の心も身体も全部」

「冬獅郎...、」

「あの時、何も出来なかった。花音が苦しむ姿を見ている事しか出来なかった」

「そんな事ない、冬獅郎のおかげで私は今こうして幸せ。冬獅郎のおかげで私と冬獅郎の日々は無くならなかった、そうでしょ?」


冬獅郎はまた私をきつく抱き締めた。「...記憶が僅かでも戻るなんて奇跡だ...っ」と、本当に嬉しそうに。どれだけ冬獅郎は辛かったのだろう。どれだけ冬獅郎の心は痛んでいたのだろう。どんな思いで冬獅郎が今まで生きてきたのか、今まさにそれが形にして見えた瞬間だった。冬獅郎の心が見えて、私の失っていたピースも埋められてきて。


「冬獅郎、...ありがとう。あの日記のおかげだよ」

「...ったく、勝手に人ん家の開かずの間を開ける馬鹿がどこにいんだよ」


相変わらずの口調だけど、その本心は全く違う。冬獅郎は笑っていた。私も泣きながら笑った。しばらく沈黙が続いた後、


「「ごめん」」


仲直りをした。あの最後の日の喧嘩も、そして今までもたくさん。二人同時に言うから一瞬、お互いに戸惑ったけどすぐに笑ってしまった。なんだか可笑しくて。


「花音はいつも泣いてんな、昔からそうだ」

「うるさいなあ、人はそうそう簡単に変わんないでしょ?それに冬獅郎だってさっき泣いたくせに」

「泣いてねえよ」


冬獅郎は私の涙を優しく拭う。
冬獅郎を好きで好きで仕方なくて、どうにかなってしまいそう。出会って間もないのにこう思ってしまったのは、必然だった。私と冬獅郎はずっと前からこうして一緒にいたのだから。



愛しいあまりに、愛しい



珍しく私からキスをした、冬獅郎は顔を離そうとする私をぐっと引き寄せ、そして再びキスをしながら私のシャツのボタンを器用に外していく。


「薄々は気づいて居たが、やっぱりデカくなったよな。俺の努力の賜物か。」

「今結構良い雰囲気だったんだからぶち壊さないでよ、ど変態」

「...まだのびしろはあるか...」

「んもうー...」


冬獅郎に触れられるのはとても心地良い。冬獅郎の温かさを、優しさをいっぱい感じられるから。そして、お互いの愛してるという気持ちが伝わるから。


「冬獅郎...幸せだね」

「...本当に花音は変わんねえな」


私はきっと、冬獅郎が言うように変わっていないのだろう。僅かに戻った記憶も私の気持ちとリンクしていて、その時の私も冬獅郎にこうして触れられる度に幸福を感じていたのだろう。

私たちは今、最高に幸せを感じている。
あの時のような決められた未来などない。私たちの力でどうでも未来を切り開ける。今度こそ、二人で幸せになれる、そう思っていた。





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