数日後、冬獅郎は教授の学会に付いて行く事になったから数週間会えないと言われた。携帯を持っていないせいで当然連絡は取れないから、いつ帰ってくるのかも分からない。出掛ける時に、「いい加減携帯持ってよ」って言ったのにやっぱり冬獅郎は否定した。

...気長に待っていようと思っていた、でも冬獅郎は一ヶ月経っても帰って来なかった。心配になって乱菊さんに冬獅郎の行方を聞いても、有力な情報は得られずただ不安な日々が続く。


そんなある日、何か手掛かりがあるのかもしれないと冬獅郎のマンションへ向かった。やっぱり冬獅郎が帰ってきている痕跡は無くて、ポストには郵便物が溢れている。


「......何...これ」


郵便物を取り出すと、チラシや水道光熱費の明細書と共にあったのは、あれだけ持たないと言っていたはずの携帯電話の明細書。頭が真っ白になった。もしかして私は捨てられたのだろうか。
その場でその明細書を開くと、確かに冬獅郎は携帯電話を契約している。しかも高校時代から継続して。そして更に驚いたのは、全く使用した痕跡がない事。電話もメールもパケットも何も使っていない、ただ契約しているだけ。

持っていた合鍵で部屋に入ると、相変わらず綺麗にされていた。何かがおかしい。私はその携帯電話を探すために、電話をかけたけどやっぱり電源は切れている。ということは身につけてはいないだろう。

私は冬獅郎と付き合って、一箇所だけ足を踏み入れた事がない場所がある。ほとんど物がないこの部屋には不似合いなスペースである物置のような、そんな場所。いつも鍵が掛かっていて、「ここって何入ってるの?わざわざ外側から鍵掛けて」と以前冬獅郎に聞いた事がある。そうすると、「男のロマン、俺も男だからな」とさらっと答えた。その時はその言葉を真に受けてちょっと軽蔑しちゃったけど、今はそれが嘘のような気がしてならない。

その鍵は硬貨を使って簡単に開けられる簡易な物だった。深く深く深呼吸をして、覚悟を決めると一気にその扉を開けるた。そこ自体は畳一枚分くらいのスペースしかなくてきっちりとガムテープで封をされた段ボールが二つ積み上がっている。心臓の音がうるさいくらい聞こえる、手が震えてなかなか段ボールを開けられない。

それでも本日二度目の覚悟を決め、ひとつ目の段ボールを開けると、入っていたものは衣料品。でもそれは女物のパジャマやセーラー服、ワンピースだった。冬獅郎の物だとは思えないけど、何故か私には見覚えがある。...思い出せない。なんで私は知ってるの?分からない。思い出せない事に苛々が募り、そして動悸もする。


「...嘘...、なんで...?...冬獅郎、」


それは二つ目の段ボールを開けた時だった。高校の教科書やノートやプリントが沢山入っていたが、それは冬獅郎の物ではなくて、全てに"日向花音"と私の文字で署名されている。そして、一緒に携帯電話も。

一冊ずつノートを見ていると、数冊だけこの前に見た冬獅郎の日記と同じ物を見つけた。開くのが怖い、きっとこれを読むと全てが分かる気がして。私の全てが、失った記憶の断片が詰め込まれている気がして。...でも、開かなければ後悔する事は目に見えている。震える手でその日記を開くと、涙が止まらなくなった。


「冬獅郎の......、馬鹿...」


それは紛れも無く、当時の状況が書かれている。私は冬獅郎を愛していて、冬獅郎が居なければ生きていけなくて、でも我儘で冬獅郎を困らせて。なのに冬獅郎は、私を愛してくれて、私の心を守ってくれていた。


『私の記憶も、私の幸せも全部冬獅郎が覚えていてくれる。だから今日もたくさん冬獅郎と一緒に幸せになろうと思う。あ、冬獅郎が今隣でまさかのうたた寝をしてる、可愛い』


それは幸せに満ち溢れているものばかりだった。

...その日記を読んで他人事とは感じない。それは私が書いて、体験した事であるから当たり前の事なのだけど。書いていない事もその日記を読むと情景が浮かんで来る。間違いなく、私は冬獅郎と共に生きていた。

ひどい頭痛と共に浮かぶ私の過去。
...私は死ぬ筈だった。
少しずつ記憶が消えながら死ぬのと記憶の全てを無くす代わりに生きる事。当時この二択を迫られた私は前者を選んだ。

そしてあの日、何も言わずに私は冬獅郎の前から姿を消す事になる。今まで病院に姿を見せなかった両親が現れ、やっぱり私を見殺しに出来ないと泣いていた。冬獅郎と離れたくないと拒否すると、交際していた事に怒った父が私をすぐさま他の病院に転院させた。そして無理矢理手術を受ける時に両親と約束したのが"もう一生私に関わらないで"

...数々の記憶が少ないながらも断片的に浮かぶ。あまりの情報の多さに私の頭はパンクしそう、動悸もひどい。私は座っている事すら辛くて横になった。

涙は枯れる事なく流れる。それは冬獅郎に対する懺悔の気持ち。一体どんな気持ちで私と接していたのだろうかと考えただけで胸が張り裂けそうなくらい痛む。

あんなにも愛してくれていたのに、別れの言葉ひとつも言えずに去り、その上私の存在が冬獅郎のこれまでの時間を、人生を、心を全て奪ってしまっていた。
なのに何ひとつ怒る事なく記憶を無くして再び現れた私に、今までの関係をずっと隠し通していた。...それは間違いなく私の為に。



君がくれた白い嘘






冬獅郎の書いたあの日記は、私のための日記だった。私が忘れてしまっても、いつでも思い出せるように、私と冬獅郎の日々が色褪せないように。

携帯電話も、きっと必要ないのではなくて、使えなかったんだろう。辛いから。だからと言って他の携帯電話にすると、私を切り離してしまうようで出来なかった。

今までの冬獅郎の言動や行動、表情全ての理由の意味が理解できた瞬間だった。


冬獅郎の時間は止まっていたのではない、私が止めてしまっていた。

私は冬獅郎の人生全てを奪ってしまっていた。





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