「いなくならないよ、大丈夫」


いつもとは明らかに違う冬獅郎を見た。初めて見せてくれた弱い姿。私は気がつくと冬獅郎の頭を優しく撫でていた。


「......悪りい、...あともう少しだけこのままで良いか」

「もっと私に甘えて良いんだよ、冬獅郎」


そう、もっと甘えて欲しいの。私を求めて欲しいの。そうしてくれれば、私は精一杯の返事をするから。冬獅郎は私の病気を気にして、毎日のように体調はどうかとか薬の副作用がどうとか聞いてくる。冬獅郎はいつもいつも自分の事を後回しにして、そしてこんな風に疲れきって。私と出会う前は一体どんな生活を送っていたのだろう。怖くて想像すら出来ない。


「...眠い」


しばらく頭を撫で続けると、冬獅郎は独り言のように呟いた。ベッドまで誘導すると、横になった冬獅郎は私をじっと凝視する。何を言いたいのか分からなくて首を傾げると、


「抱き枕欲しい、ほら来い」


自分の隣を軽く叩いて私を呼ぶ素振りを見せる冬獅郎。その言葉で意味を理解した私は冬獅郎の隣に横になると、すぐにぎゅっと抱き寄せられた。本当の抱き枕のようにきつく、ぴったりとくっつく。そしてすぐに聞こえてくる規則正しい寝息。...ずっとこのままでいい、冬獅郎と二人でずっと。


「...花音、」

「んー?どうしたの?」

「...記憶を取り戻したいと思うか」


それは突然の質問だった。
すっかり寝ているものだと思っていたから驚いたのもあったけど、それ以上にこの質問に驚いた。今まで冬獅郎がそんな事を聞いた事がなかったから。


「冬獅郎は、私の記憶が戻った方が良いと思う?」

「...俺はお前がより幸せだと思う方を支持する、だな」

「うーん...、」


きっと、冬獅郎は私に記憶を取り戻して欲しいだろう。それはずっと感じてきた。言葉では絶対に言わないけれど、なんとなくそんな気がする。...でも怖い。記憶が無いのも怖いけど、記憶が戻ってしまうのも怖い。だから分からない。でもひとつだけ確かな事はある。


「...私は二人で幸せになれるなら取り戻したい、だから冬獅郎が知っている私を教えて?」


冬獅郎の方を向き、綺麗な翡翠の瞳を見つめながら言う。一瞬その瞳は戸惑いの色を見せたけどすぐにその色は消え、


「俺が知ってる花音は、今の花音と同じだ、何一つ変わってねえよ」


こうしてまた、うやむやにしようとする。
何かの確信に触れようとすると、冬獅郎はいつも逃げようとする。それがすごく悲しかった。一緒にいるのに、すごく距離を取ろうとして。


「...なんで泣いてんだ」

「私は...、冬獅郎を救いたいの。何をそんなにも背負っているの...?」


優しく私の涙を拭う冬獅郎。部屋が薄暗いのと涙で滲んでよく見えないけれど、その表情は悲痛を浮かべているようだった。
冬獅郎はまた私を抱き寄せる。ふわっと冬獅郎の香りが私を包み、その香りに酔いしれたくて首すじに顔を埋めた。


「...俺は、花音とこうして一緒にいる事で救われてんだ。嘘じゃねえよ」

「......そんなんじゃ冬獅郎が頑張る理由になならないよ」

「お前の笑顔が俺の生きる理由なんだ。花音は何も心配しなくていい、俺が必ずお前の不安も悲しみも苦しみも全て消し去るから」


その言葉を真意をこの時はまだ理解出来なかった。冬獅郎のどれ程の覚悟が、人生が詰まっていたのかを。私はただ冬獅郎の体温を感じ、その声に聞き惚れ、そしてその香りに心を奪われていた。どこか懐かしい感覚に。


「...花音さえいてくれれば、俺は何も要らねえ」


そう呟いた冬獅郎は、いつもより長いキスを求めた。


「だから花音は幸せでいてくれ、笑っていてくれ。それが俺の唯一の幸せだ」


こんなにも冬獅郎が語ることは今までない。そして、こんなにも露骨に私への想いを伝えてくれる事も。...変だった。今日は何か変。とても嬉しいけれど、まるでもう会えないかのよう。胸騒ぎがする。


「冬獅郎...、私は冬獅郎と一緒にさえいられれば、笑っていられるんだよ」


冬獅郎の反応を見るのが怖くて、寝ているのを確認してから聞こえないくらいの声で囁く。出会った頃よりも痩せたその頬に手を添えると、小さく身じろぎをした。冬獅郎の考えている事は相変わらず分からないけど、でも気持ちだけは伝わってきて。
よっぽど疲れていたのか、安心しているのか冬獅郎の無防備過ぎる寝顔にこの上ない愛しさを感じつつ、私も瞼を閉じた。





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