冬獅郎は、優しい、本当に優しい
私をすごく大切にしてくれているというのを感じるし、私の事をきっと私以上に理解している。冬獅郎と一緒にいるだけで幸せだと感じられるの。私は、そう思っているの。



「花音、もう行くからな」

「...うーん」


冬獅郎の朝は早い。しかも夜明け前に寝ているから睡眠時間は私が知る限りごく僅か。毎日、冬獅郎は論文を読んだりなんなり研究に没頭している。何の為にそんなに頑張っているのかもわからない、教えてもくれない。...冬獅郎は私に心を開いてくれていないのではないかと頭をよぎる。


「今日仕事は?」

「うー......お昼から...」

「ちゃんと起きて行けよ」

「うん、...いってらっしゃい」


冬獅郎は私の頭をぐしゃっとしてから「じゃあな」と小さく呟き、家を出て行った。

愛は感じる、幸福感もある、なのに何かが足りない。それは冬獅郎の心。たまに見せる切なそうな表情の理由も、必死にのめり込む研究の理由も、ただひたすらに私を愛しているという行動や言動でうやむやにされてきたような気がする。


「...今日は家に帰ろうかな」


付き合ってから暫く入り浸りになっていた冬獅郎の家。あまり居候するのも申し訳ないから、今日は久しぶりに一人暮らしの自宅へ帰ろう。"今日は家に帰るね"とリビングテーブルに書置きを残した。

冬獅郎は携帯電話を持っていない。だから連絡を全く取ることができない。冬獅郎は「そんなの必要ねえだろ」の一点張り。昔は持っていたそうだけど。...でもそれはまるで冬獅郎の時間がある時点から止まっているようだった。考え過ぎなのかもしれない、好きという感情の強さから出た勘違いなのかもしれない。付き合い始めてこの上ない幸福感と共にやってきたのは冬獅郎をもっと知りたいという欲。

冬獅郎は何も自分の事を話さない。最初はあまり気にならなかったけど、最近ではふとした仕草や声色にも冬獅郎の本心を探ろうとしてしまう。


「......余計な事考えるのやめよ」


まだ少し眠い体を起こして、伸びをした。
そしてリビングへ行こうと数歩踏み出した瞬間、綺麗に整頓されているも山のように積み上がった論文やら本やら書類の束が雪崩のように崩れてきた。


「うわあ......、やっちゃった」


その量と勢いに圧倒されつつも、忙しいで積み直す。冬獅郎の事だからちゃんと並べ方とかもあるんだろうけど、こんな悲惨に散りばめられた中では検討もつかない。怒られない程度に...まあ怒られた事など一度もないけど、でもとりあえず元あったような再現を試みていると、一冊だけ色味の違う物があった。

手に取ってみるとそれは一見少し厚いノートのようで、パラパラと捲ると日記のようだった。...躊躇した。読んでしまおうか、そしたらきっと冬獅郎を少しでも分かるのではないか。恐る恐る一ページ目を開くと、相変わらず綺麗な文字。


『...◯月X日、今日は体調が良いらしいから近くの公園まで歩いた。小さな子供が遊んでいるのを何も言わずにただ見つめていた。と思ったら寝ていた。寝起きが悪いから、寝かしておくのは面倒だと危険を感じてすぐに起こしたが時すでに遅しだったようだ。...帰りは俺が背おる羽目になった』


それは、誰かのために書いているかのような日記だった。自分のためではなく、誰かが読む事を前提に書かれている。冬獅郎視点ではない。冬獅郎と誰かが一緒にいて、それを冬獅郎が書き起こしているような、そんな日記。...何故か胸騒ぎがして、頭がキーンとする。更に適当にページを開くと、明らかに最初と比べてどんどん文字数が減っていた。


『○月△日、手を握ると小さく握り返した。狭いベッドで二人で昼寝をした。』


前の彼女との思い出なのだろうか。あまり良い気分はしない。頭痛もするし、それ以前にこれ以上読むのはあまりにも失礼だから、...本当は読みたいところだけど私の良心がそれを許さない。なんというか...彼氏の携帯を覗いているかのような罪悪感に苛まれる。


「......冬獅郎、ごめんね」


そう呟き、机の上に置いた。
読んではいけなかった。これ以上読んでしまうと、きっと私は全て読もうとするだろう。人の過去を勝手に探るなんて最悪だ。話してくれるまで待たないと。最悪な事をしたのにも関わらず、結局冬獅郎を分からず終い。自己嫌悪と嫉妬と心のモヤモヤが晴れないまま、私は渋々仕事に向かった。

...冬獅郎がどんな人生を送り、どんな人を愛し、どんな事を感じているのか。好きだからこそ知りたい。でも、好きだからこそ知らない方がいい事があるのかもしれない。

私は、冬獅郎のどこか閉ざされている心を溶かしてあげたい。...でもその術を知らない、溶かす事が冬獅郎のためなのかも分からない。きっと私は冬獅郎と共に歩みたいのだろう。私を、冬獅郎の世界の中に入れて欲しい、愛させて欲しいの。





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