花音は「ごめんね、そうに決まってるよね」と言って足早にいなくなってしまった

それから数週間、毎日のように俺の元に来ていた花音は姿を見せなくなっていた。理由はわからない。
最初の数日間は、またすぐ何食わぬ顔で戻ってくるのだろと思っていた。それが今やこんなに経ってしまった。花音に会いに行くべきか...でも口実がない。

もしかしたら、花音の治ったはずの持病が再発したのか?それも十分可能性としてはあり得る事

......口実なんて後から考えればいい、とりあえず花音の顔を見なければどうしようもない



「おい、今日何時で上がりだ」

一か八か花音の働く花屋に行くと安易に花音を見つける事が出来た。俺を見つけるや否や少し避け気味だったが、近くにあったブーケをレジまで持っていき、否が応でも顔を合わせなければいけないようにした

「...3900円です」

「...ったく良い度胸してんじゃねえか、...待ってる」

花音は一瞬俺を見たが、何もいう事はなかった

何時に花音が上がりなのかはわからないが、とりあえず出てくるまで待っていればそのうち会えるだろうと待つこと数時間、外もすっかり暗くなって来た頃、花音は現れた


「...ずっと待ってたの?」

「これやる」

そう言って、花音の店で買ったブーケを差し出した

「これうちのやつじゃん、しかも要らないからって私に押し付けるのやめてよね」

とは言うものの、久しぶりに笑った姿を見た

「...でも、ありがとう」

「最近見ねえから、どっかでくたばってんじゃねえかと思って心配したんだぞ」

「ばーか、そんな簡単には死なないよ」

安心した。元気そうで、いつも通りで。
そう思ったのもつかの間、花音はなぜか俺の目の前で涙を流し始めた

「...ごめん、」

「そんなに嬉しくて泣いてんのかよ」

笑顔にさせようと思って言った軽い冗談の筈だった

「うん、そうだよ、嬉し泣き」

なのに花音がそんな事を言うから、俺は次の言葉に詰まってしまい、しばらく沈黙が流れた
この沈黙を破ったのは花音からだった

「冬獅郎、私今から変な事を言うから何も言わないで聞いててね」

花音は軽く呼吸を整え、目を数秒閉じた
俺は花音の言葉をひたすら待つ、期待半分と恐怖に近い感覚半分で。

「冬獅郎にとっては、ずっと私を知ってるからどうとも思ってないかもしれない。でも私にとっては違うの、冬獅郎との日々が私にはないの。だから冬獅郎が私をこの道で呼んだあの日からが私の中での冬獅郎との思い出の全て」

外はやけに静かだった
花音のひとつひとつの言葉を聞き逃す事がないくらい、静かな夜だ

「こんな私が言うのも変かもしれない、自分でも何回も思った。でも、やっぱりどうしようも出来なくて」

ゆっくりと話を続ける花音

だが次の瞬間、俺はこの静かさでさえも耳を疑うような事を聞いてしまったんだ
...ずっと待っていた、だけども既に諦めていた事を。

「冬獅郎...好き...、私、冬獅郎が好き、返事は聞かないから、想うことだけ......んっ、」

「...馬鹿野郎」


俺は、吸い寄せるように何度もキスをした
花音はこの時も涙を流していた



あなたを覚えてしまった



怖い、この幸せが壊れていくのが。怖い、次は何を奪われるのかが。怖い、本当にこれが正解なのかが。

でも、今この瞬間だけは全てを忘れて花音を感じた





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