「冬獅郎、」

「なんだ」

「私温泉行きたい」

「はあ?」

いきなりの要求はかなり突拍子もないものだった

「温泉旅行したい、行こ?」

「お前…今日から入院するってのに何言ってんだ」

花音は傘を差しながら俺におぶさっている
…本当に世話の焼ける奴だ

「なんかゆっくりしたいじゃん?」

「うるせえよ、振り落とすぞ」

「思い出作ろうよー」

足をばたつかせているが、俺はこんな我が儘には付き合わないと決めた

「体調悪いのに行けるわけねえだろ」

いつどこで倒れるかわからないのに行けるわけがない、…出来るだけ命を擦り減らすような事をしてほしくない

「…ちっ」

「俺の真似すんな」

花音にどう思われようが、俺は花音が10年でも20年でも生きられる道を選ぶ、そう決めたんだ

「じゃあ…、体調良かったら一緒に行ってくれた?」

「当たり前だろ、どこでも連れてってやる」

そういうと、花音は

「じゃあ、早く良くするね」

と俺をぎゅっと抱きしめ言った
...しかし、これが元気な花音と話した最後の会話だった

花音と望んだ明るい未来はことごとく打ち砕かれたんだ







「花音、俺の事わかるか?」

ゆっくりと頷く花音
このやり取りから俺達の一日は始まる

花音が入院してからは悪くなる一方で、入院する意味があるのかと思うくらいだ
果たして本当に効いているのか分からない薬の副作用に苦しむ花音を俺はただ手を握りしめ、見ている事しかできない


「体調はどうだ」

「昨日よりはマシかな」

話し方もずっとゆっくりになって、声も小さく、一言一言聞き取るのが困難だ

俺のせいなのではないかと思う
もし、花音の希望を聞いていたらこんな風にはなっていなかったのではないか
もし、俺と付き合ってさえいなければ、もっと普通に、穏やかに花音の時間が流れていたのではないか

「ごめんな」

花音に聞こえないくらいの小さな声で呟いた

「......冬獅郎、好きだよ」

「どうしたんだいきなり」

花音は俺の方を見て笑いながら、

「冬獅郎は?」

と俺に問う

「俺だって好きだ、...愛してる」

柄にもない事を言った
なんでこんなくさい言葉が出てきたのかはわからない
らしく無さ過ぎる、キザすぎる、でもこれは本心だった

「じゃあ、それだけで十分」

花音は俺を見つめ、そしてまた微笑んだ

「だから、何も冬獅郎が悩むことないよ」

花音は俺なんかよりずっと大人だ
この状況でも、俺を救おうとするんだ、俺を...愛すんだ

「花音...、旅行...一緒に行きてえな」

俺の口からでたのは、いつか花音と話した話
...もう叶うことは無いであろう話。何故なら、花音の余命は3ヶ月と言われたから

日々弱っていく花音を見ると、それは嘘のようには思えなくて、俺達の希望をひとつずつ確実に奪っていく

俺から花音を奪っていくんだ

信じたくない、今此処に花音がいる。ずっと花音といたのに、なのに、いとも簡単に消えてしまうというのか

「...冬獅郎、そんな寂しい顔しないで?」

「してねえよ...、早く飯食っちまえ」

俺が食事を催促すると、花音は「はいはい」と適当な返事をして大人しく食べ始めた

「俺も飯買って......、どうした...」

病院に寝泊まりしている俺は、近くのコンビニへ行こうと席を立つと花音は俺の裾を掴み、そして泣いていた

「...きたいよ」

「ん?」

「冬獅郎と、遠くに行きたいよ...連れてって?」

「......っ、」

俺は、自分の無力さを嫌という程痛感していた
だから、花音が望むことはなんでも叶えてやりたいと思うようになった
花音の幸せを1番に考えると、それは一日でも長く生きることでは無い
それを望むのは俺のエゴなんだ

「行こう、明日にでもすぐに」

「...ほんと?旅行出来るの?」

「ああ...、だから泣くな、ちゃんと外出届け取っとけよ」

花音は、入院してから1番の笑顔になった
花音には笑顔が1番似合う
俺はただその笑顔が一秒でも長く続くようにしてやるんだ、それしか出来ないんだ





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