奇跡を踏み躙ってしまった。
花音はいなくなってしまった。
俺が突き放した。
俺が傷つけた。あんなに大切だったのに、俺があいつを、もう一度殺してしまったも等しい。
...全ての物事から逃げ続けていた俺に、花音と再び向き合う覚悟なんてなかった。
あれから2日、いつもと同じ日が続いた。ただ、いつもと違うのは、この片付いた部屋。この部屋に帰る度、あの出来事が夢では無かったと実感するんだ。
「死ねば、会えるのか...?」
会いたかった、何よりも大切な花音をあんな目に遭わせても尚、俺だけこのように生きていけというのか。花音に会いたい、花音ともう一度会えたら、もう傷つけなんかしないから。覚悟を、もう一度だけ。
俺には、花音しかいないのだから。
同じように死ねば、花音に会えるのだろうか。その一心で、花音が最期を迎えたあの場所へ向かう。あの、花音が行きたいと言っていたあの場所へ。
もう、吐き気も頭痛もしなかった。それはきっと、花音と会える気持ちが勝っているからだろうか、それはもうこの世界と決別する決意が出来たからだろうか。
丁度良く来た電車にほくそ笑み、なんの迷いもなく線路に落ちようと、大きく身を乗り出した。周りの悲鳴が聞こえた。俺の口角は上がっていた。
「...何してるの」
しかし、電車は止まったんだ。ドアが開くと大勢の人の乗り降りが始まる。線路に落ちた筈の俺は、ホームにいたままだった。強く腕を引っ張られている感覚だけがリアルだった。
「邪魔すんなよ」
「邪魔するに決まってるでしょ馬鹿」
その言い草に腹が立ち、顔を上げるとそこにいたのは花音だった。
「こうなると思ったから...!こうすると思ったから会いにきたんだよ...!!」
良かった、間に合って。と続けて言う花音。俺はまた、どうして良いか分からなくなった。まるでそれでは、俺の為に会いにきたようなものではないか。
「なんで、俺の為に...」
「当たり前でしょ、冬獅郎の彼女なんだから」
温かかった。その言葉も、体温も。
「冬獅郎は電車乗れないでしょ?私がいなくなってからずっと。」
そうだった。花音が死んでから、この駅だけだけではなく、全ての電車が駄目になっていた。俺から花音を奪った電車に乗れなくなっていた。あの無残な姿を思い出すから。
「一緒に乗ろうと思ったの。冬獅郎がこれからは1人でも乗れるように。...だけど、理由も言わずに冬獅郎を傷つけるような事言って本当にごめんなさい」
もう、何がなんだか分からなかった。
また会えたことも、そして、こうした花音の発言の意図も。
「また俺を置いてくなよ、馬鹿野郎」
でも、気が付くと、花音を精一杯抱き寄せていて、同じくらい、花音も俺をきつく抱きしめていた。
「花音...、なんで俺を置いていったんだよ...」
絞り出した声に、花音は小さく反応した。
「ごめんね、私だって死にたくて死んだ訳じゃないよ」
その一言に、俺は驚きを隠せない。自殺だと聞かされていたから。
「私だって、...死にたくなかったよ」
俺は、思ったんだ。
俺の心も救うと同時に、花音自身も救われたいのだと。自殺だと思われていた事を、それは違うと俺に伝えたかったのだと。
そして、そのせいで俺が壊れていく事も、全部、全部、花音はそれ以上に苦しんでいたのだと。
君の涙を、苦しみを、
今度は俺が、今度こそ俺が、花音を救う番なんだ。
あの日、落とした指輪を拾おうとして、だなんて、俺が自分を責め続けるだろうから言えなかった、と言う花音は泣いていた。