2 お嬢様と執事
「冬獅郎、私を連れてここから逃げて」
お嬢様は、ある日俺にそう言ったんだ。
それはとてもよく晴れた日の午後だった。
いつものように、大きな部屋の窓から小さな世界を見渡しながら。
「それは出来ません。俺はただの世話役だ」
「なら同じじゃない。ここ以外でもお世話してよ」
「...花音様、我儘言わないで下さい。仮に貴方を連れ去るとしたら、俺は処刑なんてもんじゃ済まされない」
そう言うと、お嬢様は今日初めて俺の方を向いた。そして一歩ずつ俺に近付いてくる。
「冬獅郎、わたし隣の国へお嫁に出されるみたい」
「...それは初耳です」
しかしこんな事になってもおかしくはない。うちのような小さな内陸国、こうでもしていかないと生き抜いていけない。王の判断は間違っていないだろう。
「...政略結婚っていうやつ?」
「そうですね」
「お父様は私を他国に売るのね」
お嬢様の表情は悲しみに満ちていて、その表情に俺の心は酷く痛んだ。
俺は何もしてやれないのだから。この城の中でお嬢様に仕える事だけが仕事。
「この国を思っての事ですよ」
「...冬獅郎はお父様と同じ考えなの?」
「一般的にこの国の情勢を考えると、という事です」
私情を挟んではいけない。
お嬢様は俺にすがっているから。俺が揺らぐとお嬢様が決心出来なくなってしまうから。
「冬獅郎の言葉が聞きたい」
「俺の意見なんてない。俺は貴方の執事、世話役です」
俺の契約内容は、姫の身の回りの世話、安全の確保。今まで守り通してきた。他の情などあってはいけない。
「冬獅郎、好きよ」
「そんな言葉、軽々しく使ってはいけません」
お嬢様は俺を強く抱き締めている。俺はこの両手の行方に困惑した。柔らかい髪の毛が頬を掠め、心地良い香りがふわりとする。
「冬獅郎...好き」
「花音様、俺をからかわないでくれ」
「いいえ、本当よ」
「貴方は勘違いしている。貴方が俺に対する気持ちは愛じゃない」
「勘違いなんかじゃない。貴方を愛す覚悟くらい、初めから持ち合わせていたわ」
俺の胸から顔を上げたお嬢様は笑っていた。
夕焼けがお嬢様を更に綺麗に照らしている。
それから、俺たちは見つめ合う。禁断の関係を示唆するかのように。
「......もうよろしいですか、お嬢様」
「うん!楽しかった!...ていうか冬獅郎役に入り込みじゃない?なんというか、心理描写とか...ね」
「執事たるもの、お嬢様とのお遊びにも全力を注がせて頂きますよ」
「なんか最後の禁断の関係がなんちゃらとか寒過ぎてやばかったんだけど」
お嬢様は暇になるとすぐ、俺と茶番劇を始めたがる。仕方なしに付き合うが、手を抜くと機嫌を損ねるからそれは大変だ。
この揺れ動く心理描写もお嬢様のシナリオ通り。
「シナリオ通りこなしたんだから俺との約束、守ってくれますね?」
「はいはい、勉強すればいんでしょー」
「俺が良いというまで、ですからね」
お嬢様は見せつけるかのように大きな欠伸をした。俺はその仕草を無視して大量の教科書を積んでいく。
貴方を愛すということ
それは、貴方の我儘に付き合うこと。
それは、貴方の平穏無事な生活を守ること。
「冬獅郎好きよ」
「そんな安い嘘じゃ俺には届きませんよ」
「ほんとなのになー!もう!」
貴方はそうして何の心配もせず、俺に全てを任せていけばいい。