「待てよ」
隊長は私の腕を掴んだ。私が逃げられないように強く、痛いくらいに。
気が付くと隊長は、音もなく私の背後に近づいていた。逃げた筈なのに。簡単に捕まってしまう。
「...離して下さい」
「無理だと言ったらどうする」
振り向かなかった。いや、振り向けなかった。隊長を見てしまうとまた自分の欲望に呑み込まれてしまいそうになるから。
「俺に話せ、全部」
「......何を、ですか」
心臓が、いや、全身の機能が止まったような感覚に陥った。そして、血の気が一期に引く。なのに、額から汗が一粒垂れる感触が気持ち悪い。
「...あの日見た事、全部」
「何も見てません...」
「......もう、やめようぜ。逃げるのは。あの日に戻ろう」
瞬間にして思った。この人は、隊長は私を仏だとでも思っているのだろうか。違うのに、私はそんなに優しくなんかない。
三席のいたあの日に戻っても、私は変わらない。私の心の中はあの日から変わらない。隊長と三席の関係に羨望し、でも妬んで、憎くて辛かった日々に。
...隊長は、何も分かっていない。
「私は、見ました。三席と思しき死体を」
「......それで良い」
「隊長は、この言葉を聞きたかったのですか」
意を決して振り向いた。隊長は、私をしっかりと見据えていた。真っ直ぐな眼差しで。
...私はこの一言が言えなくて、隊長を突き放しているわけではないのに。
隊長は自分を責めている。隊長が三席の死を認めないから、私が苦しんでいると。
「悪かった...、お前があいつの探索から戻ってきた時の顔見てから、本当は気付いてたんだ」
隊長は私を抱き寄せた。あの事は知られていないという汚い安堵と共に、またもや自分を守った事に襲いかかる後悔。ずっと愛してきたのに、こんなにも苦しい事はあるのだろうか。
...それでも、私は隊長のために隊長の中の私であり続ける事が、私も隊長もこれ以上傷つかない唯一の方法なのだろうか。
「ずっと側にいてくれたのに俺は、お前に何もしてやれなかった」
「隊長、救われたいですか?」
搾り出して紡いで言葉は、隊長への問い掛けだった。
「俺1人ではなく、花音と共に抜け出したい」
あえて救われるだなんて言葉を使わない。それは、隊長は自分の力で自分を救おうとしているから。だから、抜け出すと言う。
私とは、違う。誰かにどうにかしてもらおうとする私とは全部が。
「...隊長は、私を救ってくれるのですか」
「ああ、それがお前の望みなら」
きっと私と隊長は、決して心が交わる事はないだろう。あまりにも隊長は私を知らな過ぎる。あまりにも隊長は私を美化している。そして、...あまりにも私は隊長を愛しているから。
だから、もはや私はどこまでも偽善を貫き悪へ堕ちるしかないのだろう。
「...もう、あいつはいねえ」
しかし、ふと零したその言葉に隊長は何を思うのだろう。
...そんなの決まっている。
隊長は、三席をまだ愛している。私なんかの事は何も想っていない。ただ、胸の苦痛を緩和したいだけ。なのに私は偽善を貫き通せるのだろうか。