指輪と手錠の違い | ナノ
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「この出品物は偽物だ!!」


そう声が上がったのは、所謂裏のオークションが始まって間もなくの頃だった。
私と、そして新しい私の雇い主であるナリキさんを含め他の者たちが、何事かと振り返る中、一人立ち上がっている厳つい体躯の男は依然ステージへと指を突きつけている。
出品物を運んでいた眼鏡を掛けた若い女性はきょとんと目を丸くさせていた。
広がる険悪な雰囲気に身を固まらせていた私は、そのオークションスタッフの女性を見て、首を傾げた。


出てきた時から思っていたけど、やっぱりあの人、どこかで見た気が……けれどいったい、どこで見たのだったか。
何しろ世界を何種も渡りそれなりに多くの人々を見てきたものだから、自分でも記憶を整理しきれていないというか、時たまに記憶が混乱していることがある。
誰と、どこでーーどの世界で出会ったか、ということがこんがらがっているのだ。
だから眼鏡を掛けたこの彼女も、似たような人物を別の世界で見ただけで、彼女とはまったくの初対面だという可能性は大いにあるーーと、そんなことを考えている場合じゃなかった。


立ち上がっている男の隣に座っていた初老の男性が、得意気な顔で同じく立ち上がって、私は意識をそちらへと戻す。


「いま言ったとおり、出品物は偽物じゃ」
「どうしてそんなことが分かるんだ?ああ!?」


観客の中からそう声が上がったが、私からしたら、どうして彼らのような人間はいちいち凄むのか、甚だ疑問だ。


こやつはーーと初老の男性が、体格の良い隣の男を見上げる。


「わしが此度のオークションのために雇ったボディーガード、そして、念能力者じゃ」


その言葉に、観客の一部からざわめきが起こる。
雇い主であるナリキさんは不思議そうな顔をしていたが、私は小さく息を呑んだ。


念能力者ーー忘れもしない、この世界で初めて就いたあの仕事で、美術館に襲撃を仕掛けてきた窃盗団の奴らが口にしていた言葉だ。


しかし念能力者とはいったいーーと、考えたところで私は、はたと止まる。
錆びついた錻力のように、オークションスタッフの彼女へと顔を向けた。
騒ぎが起こっているにも関わらずまるで動じてない様子の彼女の姿が、脳裏に、とある記憶を呼び起こさせる。
ぎょぎょぎょい、という特徴的な鳴き声が耳許で聞こえた気がした私は、息を詰めてナリキさんの腕を強く掴んだ。
声を潜めて、けれど必死に訴え掛ける。


「今すぐこのオークション会場から逃げよう。ここは危険だ」
「出品物が偽物だからか?というかあれは本当なのか?」
「おそらくは。あのスタッフは窃盗団の一人だ。前の仕事で見たことがある」
「なら本物を手に入れなければいけないな!」


言われて私は、は、と目を見開いた。


「何を言ってーーはやく逃げなければ殺される。躊躇のない様子を、私は前にこの目で見たんだ……!」
「だけど僕は商品が欲しい。呪いの花瓶が欲しいんだよ!ナマエ、お前は僕が雇った使用人なんだ。ご主人様の言うことは聞け。本物の呪いの花瓶をーー」


ナリキさんが言いかけたところで、会場が揺れた。
困惑して辺りを見回せば、ステージの上に大男が一人立っている。
出品物が偽物であることを指摘した男も体格が良かったが、はっきり言って比べものにならないくらい大きい。
大男は笑った。


「コルトピの念を見破るとはなかなかの腕だな、お前。俺が相手してやるよ」


ま、前にはいなかったが、まさかこの男も窃盗団の一人なのか……!?
そうだとしたら、逃げる以外の選択肢なんてありえないだろう!
あんな、半ば人間を通り越しているような大男と戦うなんて真っ平御免だ!


しかし窃盗団と戦う気になっているのは、どうやら最初の二人組だけではないらしい、やはり裏のオークションというだけあって参加する観客たちも皆血の気が多い奴らばかりなのか、各々武器を取り出し構えている。
ちなみにナリキさんは先ほどからずっと、呪いの花瓶が欲しいと、子供のように駄々を捏ねている。
そんなナリキさんを見て、何よりもまずこいつを大人しくさせねばなるまいーーと、そう思った私は間違っていないだろう。


窃盗団にしろ、ナリキさん含めた観客にしろ、どうしたってこう闇の住人っていうのは頭のおかしな奴ばかりなんだ?
命よりも、趣味の悪い出品物のほうが大事なのか!?
それとも自分は死なないとでもーー目の前の大男に勝てるとでも、本気で思っているのだろうか。
そもそも呪いの花瓶って何だ。
それを欲しいと思う気持ちがまったく理解できない。


とは言えーーと私は息を吐く。


ここで自分一人が逃げれば、報酬は当然入ってこない。
ナリキさんが命を落とせば報酬を支払ってくれる人間がいなくなるし、たとえナリキさんが奇跡的に生き延びたとしても、一人逃げた私に与えられるのは報酬ではなく罰だ。
いつか表の世界で生きていくためにも、裏の世界とは綺麗さっぱり縁を切りたいから、逃亡生活なんてありえない。
だとしたら、私が取るべきーー取らなければならない選択肢は、一つだけだ。


「ナリキさん、先に避難を。呪いの花瓶は、私が必ずや後で届ける」


だからどうか、必ずや報酬をーーという言葉は、銃撃音によって掻き消された。
内心で悲鳴を上げながら、私は咄嗟に身を低くする。
ナリキさんの背を出口へ向かって押し出した。
銃撃音と、埃混じりの白煙が会場を覆う中、私は死ぬ気でステージへ向かって駆け抜ける。
大男の気配だけは、この見えにくい会場の中でも顕著に感じるから、そちらを避けて、自分の気配をなるべく消して。
ステージの袖から舞台裏へと滑り込んだ私は、多くの出品物の中に埋もれるようにして立っていた人影に、ぎくりと体を強ばらせた。
次いで、信じられない気持ちでその人物を凝視する。


「戦闘に夢中になってるとは言え、ウヴォーを抜けてくるなんて……僕の念能力を見破った奴って、もしかしてこいつかな。……あれ、でも声を聞くかぎり、男だったと思ったけど」


な、な、ーー何だ、この可愛い生き物は……!
小さな体、顔のほとんどを覆う長い髪、唯一出た目は円らで吸い込まれそうだ……!
私は恐ろしいものは大嫌いだが可愛いものは大好きなんだ。
け、けれどこの子も、窃盗団の一人なのか……そう考えたらーー駄目だやはり可愛い。


思ったところで、私は銃撃音が止み静かになっていることに気づきはっとした。
まことに不本意ではあるが、視線を、可愛い子供から趣味の悪い出品物へと移し、これまた趣味の悪い花瓶を見つける。
威圧感のような気配を感じ、咄嗟にその場から飛び退けば、私がたった今までいた場所に、大男の拳が叩き込まれていた。
にやりと笑った男と目が合って、私は震えそうになる体を叱咤すると何度か床を蹴り花瓶に手を掛ける。
大男の攻撃を避けつつ何とかステージ、そしてギャラリーのほうへと戻った私はーー


「ぎょぎょぎょぎょ」


二度と聞きたくないと思っていた鳴き声を耳にして、戦慄した。
振り返る勇気がない、が目は防衛本能から状況を判断するため自然とそちらへ向かう。
そこにはぎょろりとした目玉を付けた掃除機と、それに吸い込まれている死体となった観客の者たちがいて、私は再び視界の暴力を食らった。
会場の隅で行われているその惨劇から目を背けるようにして逸らせば、ステージに立った大男と目が合った。


「お前、どうやら念は使えねえようだがすばしっこいな。さっきの男より見所あるぜ。あいつは見破ることに特化していただけで、腕っ節のほうはてんで駄目だったからな」


男の言葉を聞き流しながら、私は必死で、どの能力を使用するかを考える。
まことに遺憾なのだが、私はこの世界で、一つの能力につき一度しか、一日には使えないのだ。
今までの世界では、ちょっとでも恐怖を感じたらすぐさま逃げていたけれど、この世界ではそれができない。
使うタイミングと能力は、慎重に考えなければいけないのだ。


「だがまあ、悪いがここで、死んでもらうぜ。安心しろ。花瓶は割らねえように、気をつけるからよ」


瞬間移動は使えない。
とてつもない勇気を振り絞って花瓶だけを逃がすこともできるのだが、美術館の時の展示物と違って、今回は飛ばした先で割れる可能性がある。
そうなっては体を張る意味がない。

空を飛行して逃げることも、今回は難しいだろう。
なぜなら前回は、美術館が建っている場所が周りに何もない丘の上だったから、空を飛んで逃げれば追いつかれることはなかったが、今回のこのオークション会場は街中にある建物のため、追跡される可能性があるからだ。


相手を追跡できない状態にするにはーーあの能力しかない。
ただ私はこの能力をあまり使ったことがない。
なぜならーー恨まれるからだ、確実に。


男が走り、向かってくることで、倒れてしまいそうになるほどの威圧感と恐怖を感じる。
歯を食いしばって何とか持ちこたえた私は、男が右拳を振りかぶるのを見て、同じように構えを取った。
能力を発動して、男の拳に、自分のそれをぶつけ合わせる。
ーー途端、目を見開いた男は吹き飛んだ。
ステージの壁をぶち抜けて瓦礫に沈んだ男に、私も唖然としたけれど、すぐに我に返ってその場を走り去る。


男が吹き飛んだ原因は私の能力であり私の拳であるのだが、その力は男自身によるものだ。
この能力は相手の攻撃をそのまま跳ね返すものだから、相手が強ければ強いほど真価を発揮する。



あれほど力が強いとは思ってなかったが……と戦々恐々としながら、私は死に物狂いで街を駆け抜けたのだった。


ーーその後、呪いの花瓶を持ち帰った私は褒美として報酬を貰い、また雇用を継続してもらえることとなった。


……就職先、ゲットだぜ。






150510