拍手文 | ナノ
×
「#寸止め」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -
街を一望できる高台にやって来た私は、周囲に何の気配もないことを入念に確認すると目を閉じた。
両親、先生、天人、そして異界の彼――闇を創り出し、或いは呑み込まれてしまった人たちの記憶を辿っていく。


全ては今、ここで闇を創り出すために。


私は昨晩、米花町にあるビルで起きた事件に巻き込まれ、そしてそこで死のうとした。
死因となるはずだったものこそ犯人の仕掛けていた爆弾であったが、あれは確かに自らの意思によって選んだ死だった。
光のない人生から――闇のある人生から、逃げようとした。
つまりはそれだけ私にとって闇は忌避する存在であり、それに呑み込まれるくらいならば死を選ぶ、というものなのだ。
だがいま私は自ら闇を創り出し、それに呑まれようとしている。


青い鳥を見つけよ――この言葉の意味を私は、理解者にとっての幸せは闇に呑まれることだと解釈したが、この解釈は間違いであって欲しいと思っているし、たとえ合っていたところで納得はできない。
やはりどう考えたところで、あの闇に呑まれることが幸せだとは思えないのだ。


――逃げちゃ駄目だよ、自分の、運命から。


だが闇は、確かに私の身近にある。
自分の運命が何であるかは分からないが、私の歩む道に闇が関わってくることだけは間違いない。
だから私は闇から逃げずに、対峙しようと思う。


コナン君が言った言葉の意味が、逃げずに闇に呑まれろ、なんてことではないことは分かっている。
彼はそもそも私の事情を知らないし、たとえ知ったところで、異質な黒い塊に呑まれることを良しとはしないだろう。
かく言う私も、闇に呑まれることが即ち自分の運命から逃げないことになるのか正直、疑問だ。


(だけど、きっとこれが一番良いんだ……)


帰る道は見つけていない。
行く道は、図形は見つけたが何故だか世界を越えるための光は出現しないから、きっとまだ何かが足りないのだろう。
だが闇ならば何も必要とせず、そして往復路を探すことと比べれば格段に短い時間で創り出すことができる。


それでも、ここまで急ぐ必要はないかもしれない。
この世界にはお世話になった人たちがいるのだから、きちんと礼をして別れの言葉を告げるべきだと思う。
だが同時に、一刻も早く彼らから離れなくてはならない、とも思うのだ。


闇に呑まれることを決断した一番の理由は、それだった。


理解者を狙う連中も、累が及んでしまわないかと気遣う人々もいなければ、私はきっと往復路のどちらかの道を探すことにしていただろう。
闇とは違い、それらの道は光となって現れるが、それに向き合うことも恐らくは自分の運命から逃げないということに繋がるから。


だがこの世界には黒の組織のような連中がいる。
そして累が及んでしまわないかと気遣うくらいに好ましく思う人々がいる。
何より私は理解者だ。
理解者の傍には、闇がある。
他の何よりも、誰よりも、私自身が持つ牙が人々を喰らってしまう危険がある。
彼らのことを想うならば、礼をするよりもまず先に、離れた方がきっと良いのだ。


(……それに彼らに真摯に引き止められれば、別れを惜しまれれば、心が揺らがずにいられる自信がない)


彼らのためだと何だと言って−−勿論その気持ちも本心であるが−−結局、私は自分のことばかり考えているのだ。
黒づくめの組織や闇の脅威があるからと言って、最後に一目会うことが許されないほど切羽詰まった状況ではない。
たとえ鋭い面々に追及されたとしたって嘘を吐いて笑顔でかわし、至って穏便に別れを告げればいいのだ。
それだけで済む−−済むというのに、ただそれだけのことが出来そうにない。
彼らとの別れを辛いと感じるほど、その存在が私の中で大きくなっていたのかと思えば胸が痛く、弱い自分に嫌気が差した。


闇に呑まれた先に何があるのかは分からない。
ひょっとしたら死が待っているのかもしれなかったが、つい一日前にはそれに半分足を踏み入れていたような状況だ、今更大きく変わるところはない。
ただ分かっていることが唯一あるとすれば、それは私がこの世界から消えるということだ。


「……逃げなければ、いつか必ず、光がある」


願いを込めるように呟いて、私は目を開いた。
夜闇に溶け込んでいるため目視することはできないが、確かに闇がそこにはある。
気づかぬことなど決してできない、圧倒的な存在感。
そこにいる−−黒い畏怖の塊が、獲物を求めて大きな口を開いている。


「……やっぱり、先生のようにはいかないなぁ」


創り出した闇の不完全さに、私は苦笑混じりに呟いた。
闇に分類があるとすれば、これは異界の彼が創り出してしまったものと同じ類、出来損ないの闇だろう。
まあ、あのとき「消えろ」と念じて消すことができた、つまりは征することができたのだから「呑み込め」とでも念じればそれも叶えてくれるはずだ。
そうでなくとも闇は元々、獲物を欲しているのだし。


私は息を吐くと、震える唇を噛み締めた。
せり上がってくる涙と吐き気を呑み込んで、後退ろうとする足を踏み出す。
高台には木の柵が設けられており、それより先は急斜面になっている。
私はその柵ぎりぎりまで近付くと、宙に浮いている闇を見詰めた。


−−どうした、ここまで来い、私を喰らえ。


しかし闇は襲い掛かってこない。
創り出したとは言え、やはり私が理解者だからだろうか。


私は腕を上げると手を伸ばした。
震える指先が、もう少しで闇に掛かる−−確かに感触を捉えたそのとき、走行する車の音が聞こえて私は、はっとすると振り返った。
見覚えのある白のスポーツカーがドリフトしながら駐車する。
降車した人物が私に向かって声を上げた。


「名前、そこから動くなよ!」
「−−透」


私は呆然と呟いた。


「どうして、ここに」
「コナン君から、君を捜して欲しいと連絡が来たんだ」
「コナン君−−?それじゃあ彼、目が覚めたのか」


私は、良かった、と胸を抑える。
そうしてその手を上げると掌を透に向けて、近付いて来ようとする彼を制した。


「そこまでだよ、透。それ以上は近付かないで」


走り寄ってきた透は足を止めると、厳しい眼差しを私に向けた。


「いったい何をするつもりなんだ」


その言葉に、私は僅かに瞠目した。


(透には闇が見えていないのか)


闇は夜の暗がりに溶け込んでいる。
私は闇を創り出した張本人であり、その存在を知っているから、目視できなくともそこにあることが分かるが、存在を知らず、また超常現象といったものとは凡そ関わりのない世界の人間であれば確かに、得体の知れない塊が浮いていることなど考えもつかないだろう。


だが知覚していようといまいと関係ないのが、この闇の恐ろしいところだ。
これ以上、透がこちらに来れば−−闇に近付けば、彼が呑まれてしまう可能性がある。


「君には関係のないことだ」
「−−自ら命を絶つつもりか」


私は目を開くと彼を見た。
透は言う。


「コナン君から聞いたんだ。昨晩起きた事件と、そして名前が死のうとしていたことについてを」
「だからコナン君は私を捜すよう頼んだ。私が未だ死のうとしている可能性があるから、か。……それにしても君、いつから捜してくれていたかは知らないけれど、よくもまあこんな広い街でここへ辿り着いたものだね」
「人気のない場所にいるだろうとは思っていた。そして名前はこの辺りに来てから、まだ日は浅いと聞いていたからね。君が知っている数少ない場所の中で一番、独りきりになれるところは一体どこだろうと考えて、そして思い出したんだ。名前と初めて会った日の夜に来た高台のことを。とは言っても別の場所も回りはしたのだけど……最悪なことになる前に間に合って良かった」
「……なるほどね。しかしその日のことを考えたと言うのなら、交わした約束も思い出してくれないかな。君と初めて会った日の夜に話したはずだよ。適切な距離を守ってくれるのならば逃げないよ、とね」
「つまりは今この状況から君を置いて立ち去れとでも?笑えない冗談だ」


透から発せられる明らかな怒気は、肌を刺して痛いほどだった。


「……もう死のうとはしていないよ」
「なら何故、そんな崖ぎりぎりのところにいるんです?」
「心配しなくても、飛び降りたりしない」
「到底、信じられませんね」


私は息を吐くと腕を組んだ。
彼に目を向けて首を傾げる。


「透、君は私の嘘を見抜く数少ない人間の内の一人なのだけれど、嘘が嘘だと分かるのならば真実もまたそうだと見抜いてくれるよね?」


私は透を見詰めて微笑んだ。


「私はここから、飛び降りたりしない」


言って「どう?」と首を傾げれば、私を見定めていた透はやがて眉を顰めた。
私は微笑う。


「良かった。どうやら真実だと分かってくれたみたいだね」
「いや−−だが」
「なら申し訳ないのだけど、少し一人になりたいんだ。飛び降りることなどせず、ただ高台の縁に立っているだけの女ならば、何も心配することなく置いて帰れるでしょう?ここは公共の場で、だから独り占めすることなど本来はできないのだけど、君は見ず知らずの他人なんかではないからね、お願いするよ。そしてどうかそれを聞き入れて欲しい」


待ってくれ、と透は言う。


「それじゃあ、少しこちらに来てくれないか?」


私は目を細めた。


「……何故?まだ飛び降りるのではないかと疑っているの?」
「いや……恐らく、先程の言葉は嘘ではない、と思う」
「なら別に良いでしょう?ここに他に危険はないのだから」
「いや、ある」


断言した透を私は驚いて見る。
透は切羽詰まったような顔をしていた。


「僕にもよく分からない−−分からないが奇妙で、そしてとても危険な感覚がするんだ。これだと言うことはできないが、そちらには何か異変がある。君をそこから離したいと思う何かが」


(目視できていなくとも、本能的に察知しているのか)


透もまた冴えた人間であるし、それに感じている恐怖は、ひょっとしたら闇に近いところに立っている私よりも大きいだろう。
私は闇を知っている、不完全なものであれば征することだって可能だ。
だが透はこれを知らない。
そして人は知らないものには恐怖を抱く。
探偵というものは探究心と、そして危険なまでの好奇心を持つものだと、こちらの世界に来て知ったが、そんな彼らでさえも暴くことを躊躇するほどに、闇には畏怖が詰まっている。


「だから、こちらに来てくれないか。飛び降りないという言葉が嘘ではないことは分かった。だからこれ以上、無理に近づくことはしないし、君がそう望むのなら離れよう。だが、だとしたら君だって、そこに執着する理由はないんじゃないのかい?」


私は口を閉ざした。
透が目を細めて私を見る。


「それとも何か、そこから離れられない理由でも?」


私は彼から目を逸らすと息を吐いた。


――背後にある強大な圧迫感の源は、私が移動すれば、どうなるのだろう。


先程の時点では闇はまだ私を喰らおうとはしなかった。
だから私が近づこうと離れようと何も変わらないもかもしれない。
だが、もし生みの親とも言える私に付いて来てしまえば、そのときは外灯の明かりに照らされた闇を透の目に曝すことになってしまう。
透が闇を認識すると同時に闇もまた透を認識してしまったら――と思うと、とてもじゃないが身動きできなかった。
それに闇に向けられた畏怖の眼差しが次いで私へと注がれることを想像すれば、それだけで胸が引き裂かれるような思いがする。


反対に、私が下がる――闇に近づき呑まれるという選択肢もないではないが、取るつもりは毛頭ない。
知り合いが異質な黒い塊に呑まれるなんてトラウマ確定の光景は見せたくない。
まあつまり、闇と彼とを少しも関わらせたくないのだ。


私は困ったように微笑った。


「どうすれば、君は私を置いて帰ってくれるのかな」
「名前がそこから離れれば、僕も同じく下がりますよ」
「それ以外で、お願いしたいのだけれど」


透は口を噤むと暫しの間、沈黙した。
やがて、ぽつりと言う。


「……君の安全が確保されるならば」
「――え?」
「僕もコナン君も――皆、君のことを心配しているんだ。だから君の安全が確認できれば、今日のところは大人しく身を引きますよ。本当は、安全、などという下位も下位の保障だけでは納得できないのですが」
「……安全、か」
「保証できませんか?」


私は透を見詰めた。
視線が交わる。
心の奥底にある蓋が――蓋をしたその中身が揺れているのを感じ取って、私は苦笑を零した。


「できない」


言えば透は目を開いた。
眉根を寄せると、不審そうに私を見る。


「断言しますね。嘘を、吐かないんですか?」
「確実に騙されてくれるという保証があれば、私だってそうしていたさ。だけど君に嘘を貫き通せる自信がない、特に今はね。同時に、その一か八かの賭けに出るほどの余裕もないんだよ」
「……君は一体、何をするつもりなんだ?」
「それは言えない」
「身の安全すら保障できない君を一人置いて僕が帰れるとでも本気で思っているのか?」
「これは私の秘密に関わることなんだ。だから……言えないんだよ」


透は、はっとすると低く問うた。


「君が持つ、牙か」
「……そうだ」
「牙が何を指しているのかは分からないが、安全でないということは、つまり裂かれようとしているのか」
「そうだよ」
「裂かれてしまえば、君はどうなる」
「確実に言えるのは、私は君たちの前から消えるということだけだ」


目を見開いた透に、私は吐き捨てるように笑う。


「本当は礼の言葉も別れの言葉も告げずに姿を消そうとしていたのだけれど、どうやら君のお蔭で、そんな最低の人間にならずに済みそうだ」
「いまの話を聞いて、僕が大人しく君を見送るとでも?」


それとも――と透は軽く腕を上げた。


「無理矢理にでも振り払って行きますか?だとすれば僕は全力でそれを阻止するだけですが」
「そうだね……君が納得してくれないというのなら、それもまた仕方ないかな」
「ならば先に言っておきますよ。どんな理由があろうとも、君が消えることを――牙に裂かれることを納得することは有り得ない」


私は息を吐くと髪を掻き上げて言う。


「詳しいことは言えないけれど、どうか分かってくれないか」
「無理ですね」
「確かに安全は保証できないし、私は君たちの前から姿を消す。だけどこれが最善なんだ」
「――最善?」


そうだ――と言おうとして、しかし私は口を噤んだ。
私に目を据える透の瞳に湛えられた強い光に、息を呑む。


「君が、僕たちの前から消えることが、最善?」
「透――」
「笑えない冗談は、この辺りで止してくれないか。いくら僕が温厚で、そして相手が君であろうとも……そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ」


覇気に圧されて私は僅かに後退った。
だが手を握り締めると真っすぐに彼を見返した。


「譲るつもりはない。これが最善だ。皆にとっても、私にとっても」


そしてきっと、本来異界やら何やらと関わりのなかった、この世界にとっても。


「――ふざけるなよ……!」


透が声を荒らげた。
彼の怒りが震えとなって現れる。


「僕や他の誰かにとっての幸せを、君に決める権利はない!」


透の声が、覇気が、空気を揺らす。
それは波となって私に届き、震えを伝染させた。
私は拳を握り、もう一方の手でそれを掴み込む。


「そんなこと、分かっているよ」
「いいや、分かっていない」


透の返答はにべもない。


「最善だと言うことは、他にも何か選択肢があるんだろう?それはいったい何なのか教えてくれ」
「――それは」
「詳しく言えないのなら、それでもいい。しかしこれだけは聞かせてくれ。君が僕たちの前から消えずに済む道も残っているのか?」


言葉に詰まれば、透はにやりとした笑みを浮かべた。


「あるんだな」
「透――」
「だったら、それが最善だ。僕たちにとっても、そして、君にとっても」


私は苦しく笑って見せる。


「君、可笑しなことを言っていることに気づいていないの?私に君たちの幸せが何かを決める権利がないように、君たちにだって私の幸せが何かを決める権利はないんだよ」
「確かにそうだ。だが決定的に違うのは、君が言う最善は間違っているが、僕が言った最善は当たっているということですよ」


私は呆気に取られて口を開いた。


「間違っているとか当たっているとか、そんなことを、どうしてそうも言い切れるんだ」
「簡単なことですよ。だって僕たちは君から離れたいなんて、少しも思っていないのですから」
「……だけど、私の幸せは」
「君の幸せだって、僕たちのそれと重なっているはずだ」


目を見開いた私に、透は言った。


「本当は君は、孤独を望んでなどいない」


私は震えた――違う、と咄嗟に言えば、透は眉を顰めた。


「逃げるのは、もう止めろよ。どうしたって僕たちがそれを許すわけはないのだから」
「違う。逃げてなんかいない」
「逃げているだろう。組織から、周りの人間から――そして自分から」


違う――と言おうとして私は唇を噛みしめた。
溢れ出てくる激情を抑えようと手を握り締める。
深呼吸しようとして、しかし開いた口から「だったら……」と意図せず言葉が漏れてしまった。
駄目だ、もう――抑えられない。


「だったらいったい、どうしろって言うんだ……!!」


私は、分かっているさ、と震える声で言う。


「牙に体を裂かれることが即ち運命から逃げないことと同義ではないことなんて、分かってる!だけどそれは確かに運命と向き合うことに繋がるはずなんだ」
「運命」
「言われたんだよ、コナン君に。死のうとしたら、運命から逃げちゃ駄目だ、ってね。だから私は運命と向き合う最善の道を選ぼうとした。なのにそれさえ逃げていることだと言われてしまえば……私にはもう、どうしたらいいか」
「――道は他にもあるだろう」


項垂れていた私は顔を上げた。
透は真摯な眼差しを向けて言った。


「その道を選ぶことが、逃げないことに繋がるんだ」
「……どうして?自分でも分からないというのに、どうして透が、私の運命が何なのか分かるの?」
「名前の運命が何かを分かっているわけじゃない。ただ僕には、君の望みが分かるんだ」
「私の望み……?」


透は強く頷いた。


「僕は君の嘘を見抜ける。だから君自身でさえ気づいていないような――ずっと前に嘘で塗り固め、色々な事情や思惑やらを交錯させ、奥の奥に埋もれさせてしまったような願いの一つを、見つけることができる」
「……その一つというのが、孤独ではない道を歩むこと?」
「ああ」


私は力無く首を振った。


「望んだところで、叶わないんだ」
「簡単に叶うものを願う人間はいないでしょう」
「だけど――」


脳裏で小さく声がする――いつか必ず光がある、と言っている。


「絶対に敵うはずのない何かと対峙しようとも、それが望みを捨てる理由にはならない」


そう言って、透は私の名前を呼ぶ。


「君は本当に、周りの人間から離れることを望んでいるのか?」


私はくしゃりと顔を歪め、そして首を振った。


「違う……そんなこと、思っていないよ」


目を閉じれば元の世界と、こちらの世界の人々の顔が浮かぶ。


「もう嫌だよ……大切に思う人たちと離れてしまうのは」
「だったら――」


透の言葉を遮って私は、でも、と言う。
脳裏に浮かぶ人々の顔に禍々しい斑紋が生じ、それは広がると闇になって彼らを呑み込んでしまう。


「もっと嫌なのは、その人たちが私のせいで消えてしまうことなんだ」


私は視界に上げた掌に目を落とした。


「組織のような連中がいる。そして何より私には牙がある。……確かに私は、孤独ではない道を歩むことを望んでいるのかもしれない。だけどその願いは、共に歩んでくれる人々を犠牲にしてまで叶えたいものじゃないんだよ」
「――どうやら君は僕たちのことを見くびっているようだ」


悄然としていた私は顔を上げると目を開いた。
透は自信に満ち溢れたような笑みを浮かべていたのだ。


「僕たちが組織に負けるとでも?」
「それは――でも」
「それに君が持つ牙が何であれ、少なくとも僕たちはまだそれに身を裂かれていませんよね。君がそこまで怖がっていることからして、ひょっとしたら過去に何かがあったのかもしれないし、詳しいことは分かりませんが、君がその牙に誰も掛からせたくないと思っていることは知っている。そして実際、被害が出ていないことからして君はそれを抑え征することができるのではないのですか?」


言葉をなくす私に、透は手を差し伸べた。


「こっちへ来るんだ、名前」


私はそんな透と背後の闇とを見比べる。
前後どちらからも引っ張られるような思いがして、様々な気持ちが交錯して、迷子になったように立ち尽くした。
動かない足を見下ろすと、透に視線を移して私は笑った。


「ごめん、無理だ。足が動かない」
「名前――」
「いままで、ずっとこうして生きてきたんだ。いまさら変えられないよ」


ごめんね、と再び詫びたところで、私をじっと見詰めていた透が足を踏み出した。


「だったら僕が、変えてあげますよ」






160407