「名前さん」
「おや、どうしたの快、斗…」
ーーこの世界に来て二回目の朝、快斗と私、二人分の朝食の後片付けを終えたところ、高校に行くため制服を着た快斗に首に何かをかけられた。
目を丸くしながら自分の首元に目をやれば、そこには静かに青く佇む宝石のついたネックレス。
どういうことかと快斗を見上げれば、ウインクする彼。
「名前さんにプレゼント。これからよろしくって意味で!」
「…ふふ、家政婦だけれどね」
ーー昨夜、快斗と色々と話をした。
私はてっきり怪盗キッドの下に雇われたのだとばかり思っていたのだけれど、どうやら快斗の下に雇われたらしい。
つまり私の仕事は、怪盗キッドの犯行の手伝いや護衛ではなく、高校生で一人暮らしをしている黒羽快斗の付き人、まあ家政婦のようなものだ。
怪盗キッドにはもう他に仲間がいるらしく、加えて確かに、私は怪盗キッドやその仲間のようには上手く怪盗という職をこなせないだろう。
けれど色々なものを提供してもらってそれに対する返しが身の回りの世話だけだなんて、快斗は良くても私の気が済まない。
もちろん居候させてもらいながら仕事を探しお金を貯め、私が一人で暮らしていける位になればそれまでにかかった費用を返すつもりだ。
…けれど……前の世界ではそう珍しいことではなかった。
年齢が若くても身寄りが無く、一人で暮らす者達は。
しかしこの世界では、高校生ならまだ家族と暮らしている者が大半。
そんな中一人暮らしをしている快斗の詳しい事情を知る権利は無いし知るつもりもない。
…ただ、朝おはようと挨拶をしご飯を作り一緒に食べる…すると嬉しそうな笑顔をする快斗にーーまあしばらくはこのままで、のんびりいこうーーそう思えた。
「プレゼント、か…」
ひんやりと冷たい宝石の深い青をのぞき込む。
そうして見えた仕掛けに口元で弧を描いた。
「綺麗なネックレスだね。ありがとう、快斗」
「いいえ、っとそろそろ俺、学校いってきます!」
「うん、いってらっしゃい」
朝の挨拶、か……私にとっても、久しぶりのものだな。
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ーー掃除洗濯などを終えた私は夜ご飯の買い物をついでに散策をしていた。
そうして再び米花町へと来て少し経った時、誰かに尾けられていることに気がついた。
…散策が目的だからと色々な路地をしらみ潰しに歩いている私と全く同じ経路を歩くなんて、まず有り得ない、確実に私を尾けている。
けれど前の世界ならまだしも、この世界に来て三日目の私を尾行する理由…一番妥当なのは、ただの窃盗。
姿を見せない相手を誘い込むように暗い裏路地へと足を進める。
日陰に入ることで感じる空気の冷たさ。
埃、土っぽい匂い。
すると前方の路地入り口から現れたのはスーツ、帽子、サングラスまで黒で統一された恰好の体格のいい男。
足を止めれば靴の下に感じる石の欠片がジャリと音を立てる。
それとほぼ同時に後頭部に銃を突きつけられたことが音と感触、経験から分かった。
拳銃……?
確かこの世界でも銃刀法違反の規定はあった筈…それどころか前の世界よりはずっと、違反者に該当するような者は少ない。
この国、日本以外ではそもそも規定が無かったり、条件が緩和されている国はあった。
だとすればその国の者……いや、輸出入の面でもこの国はかなり規制が厳しく徹底されている。
そんな中で銃を所持している者がただの窃盗犯だとは考えにくい…かといって、警察関係者にはとても見えないな。
両手を頭の高さまで上げながら微かに眉を寄せる。
私のいくらか前で足を止めた男もまた、拳銃を私に向けて構えた。
少し歩けば路地を抜け、日だまりの下に出るこの場所を。
耳を澄まさずとも車の走行音や鳥の鳴き声なんかも聞こえる、この場所を。
支配するのは緊迫感。
速さはいつもと変わりはないが、心臓が動きそれに意識がふと行く程度に鼓動は強い。
今の私の体を指の先まで血流に乗り巡るのは、警戒。
脳裏に浮かぶ選択肢は逃走、戦闘、いや両方か。
どちらにしても体を動かすその瞬間を見極められないよう、呼吸を抑えた。
「おい」
沈黙を破ったのは後ろの男の、低い声。
「お前の故郷について、聞かせてもらう」
ーー瞬間、ドッと強く速く動き出した心臓に押されるように、私は体をひねり後ろの男の腕を蹴り上げた。
それにより拳銃は上空に飛んでいき視界から消え、私の目がとらえるのは、微かに目を見張っている銀色の長髪の男の姿。
けれど目を見張っていたのもその時だけのこと、男は直ぐに、蹴りを繰り出したことで体勢が傾いている私に手を伸ばしてくる。
こちらの世界では見なかったーー久しぶりに目にする冷酷な瞳の色に、一旦彼を相手から外すことを瞬時に決断した。
前屈みになっていた勢いそのままに地面に両手をつき、左手で地面に落ちていた石ころを数個掴み取ると体を腕の力で押し上げ回転させ宙に浮き上がる。
その間に足首に付けていた小刀を右手で取り、前方の男を見やった。
焦ったようにサイレンサー付の拳銃を空中の私に向け構える男の指が、引き金を引く。
それと同時に両腕を振れば、空を切り裂く弾丸は小刀で両断され、左手に握っていた数個の石ころが男の視界を奪う。
その間に着地した私は地を蹴り前方の男の懐まで一瞬で移動すると、男の顎に下から肘鉄を食らわせる。
するとくぐもった声を上げふらりと傾いた大柄のこの男の顔に回し蹴りを見舞いし、路地を構成する建物の壁に叩きつけた。
逃走か、戦闘かーー。
脳裏に浮かぶ二つの選択肢を後方の近づいてくる気配が消し去る。
ハッと息をのみ、倒れた男が手放した拳銃を掴むと構えたままその勢いで振り向いた。
ーー先ほど蹴り上げた拳銃が戻ってきたのだろう、再び銃口を私に向けるこの男と、けれどさっきと違うのはお互いの視線と銃口が対峙していること。
射抜いてくる男の深緑色の瞳。
引き金にかかる細く骨張った指。
呼吸。風の音。走行音。鳥の鳴き声。
今存在しているすべてのものを五感を最大限に研ぎ澄まして収集し好機に繋げる。
すると呻き声を上げながら先ほど倒した男が後ろで身じろいだ。
「動くな、ウォッカ」
ーーウォッカというらしいこの男が、張りつめた水面に波紋を起こそうとしたのを長髪の男が制する。
「コイツは久しぶりの大物だ。下手に動けば殺されるぜ」
「人を殺しそうな目つきはあなたも同じだけれどね」
「ハッ、心配しなくても、お前を殺す気はもう無くなった」
言うと本当に彼は銃を下ろし胸元に仕舞うと、代わりに煙草を手に取り吸い始めた。
その行動にウォッカが、アニキ!と焦ったように声を上げる。
「どうせ銃を向けたところで、俺達がコイツに勝てる保証は無いに等しいだろうよ。狙撃手でも連れてれば、話は別だったかもしれねえがな」
言うと白い煙を吐き愉しそうに口角を上げる男に、ウォッカは諦めたような納得したようなーーまあ見るからに弟分なのだろう、上の意向に従おうと体の力を抜いた。
それを視界の端で確認した私も銃を下ろす。
サイレンサー付きとはいえ穏やかな午後の昼下がりに発砲があったのは事実、加えて裏路地といえど大通りの近くだ…普通を装うにこしたことはない。
とは言ってもこの二人、恰好からして到底普通には見えないけれど。
ーーそれにしても、私の故郷、か……。
異世界の者である私にこう問うた意図は一つしか考えられない。
この者達もおそらく、世界の真理から生じる力や異世界の可能性の欠片を手かがりに、それらを得ようとしている者。
けれど前の世界にいた似たような者達と同じように、世界の真理が存在していることは知っていても理解は出来ない。
しかし弊害もまた知っている。
理解していない者が口にすれば、災いが起こる。
だからぼかして、故郷と言った。
「経緯が解せないね。私だと理解した、経緯が」
「経緯以外は理解したのか。体だけでなく頭の使い方も上手いようだな」
「どうもありがとう。まあ過去に同じような経験をしているからね」
攘夷戦争時代と、そして今回この世界に飛ばされた時のこと。
…前の世界と今の世界、両者はとても似ているのかもしれないな。
理解者はいないに等しいが、けれど確かに存在していて、また彼らの様子からして異世界の者がこの世界に紛れ込むことは初めてではないんだろう。
そして理解者ーー利益の欠片を利用しようとする者達がいることも、また同じ。
「俺達組織は、お前らのような奴が極まれに存在することを知っている」
「そして利用している」
「利用出来れば、の話ですがね」
疲れたようなため息と共に言ったウォッカに目を向ける。
「極まれな存在だから、俺はそういった奴を見るのはアンタが初めてですけど、昔の話を聞けば、逆に利用しようとしてきた奴がいたり、それに特に不安定な奴が多かったみたいで、組織が半壊滅状態にさせられたって話ですぜ」
「不安定、か……ーーまあ世界も人も鏡のようなものだからね。初対面で拳銃を突きつけてくるなんて、ふふ、君たち第一印象が良くないことは確かだよ」
「人間であり兵器のような存在のお前らに、ただの人間の俺達が丸腰で向かうには怖くてな。まあお前は今までの奴らとは身体能力だけで考えても高い方だろう。あの方もお喜びになるだろうぜ」
「あの方…」
「俺達組織のボスだ、お前達のような存在にご執心でね。ーーお前の問いに答えてやると経緯、お前がそういった存在だと理解した理由は、お前らのような存在が皆同じように発する波のようなものがあり、それらを探知出来る装置を俺達組織が持っているからだ」
「波?」
「昔組織にいた連中が研究し作った物ですから、波や装置については理解が曖昧なんですがね。ただそいつらは皆現れた時に一番強く波を発し、そこからは時折発するだけ。アンタで言えば今日はもうほとんど消えていて、確証は無かったんですよ」
その賭けにもし負けていたら、私を殺していたんだろうな。
「悪いけれど私、君達に利用されるつもりは毛頭無いよ。むしろ君達のような組織には昔からうんざりしていてね」
「ハッ、利用するつもりはもうねえよ。出来ると思ってねえからな。ーーただ、相互協力ならどうだ?」
「…ギブアンドテイクだね。私のメリットは?」
深々と被った黒い帽子の下、静かな深緑が射抜くように私を見た。
「故郷への帰り方を、教えてやる」
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