「…忍に頼めば良いのに」
例の『誰か』から返信されてきたメールを読んでそう呟いたのは、まだ太陽が真上にある時。
たった数時間前の話だ。
――吉原桃源郷。
この町に、華蛇の隠した情報の元がある。
それを連絡したら、その情報の元さえもを手に入れる命が下された。
条件は、極めて隠密にそれを手に入れることだけれど…幕府の者と気付かれなければ良いと、そんな含みのある書き方だったな…。
まあ出来るなら、誰にも気付かれず事を為すのが一番だ。
いや、一番――だった。
「主、何をしている」
何だか今回の仕事、上手くいかない気がする…。
ただの勘、だけれども。
右手の甲をかすったクナイにより流れる血を見ながら、そう思った。
――吉原の裏通路、というか店の裏側。
薄汚れたパイプの上を静かに歩いていくと、例の物は華蛇の話通りそこにあった。
けれど手をかけた瞬間、右手の甲をクナイが走っていき、後ろに誰かが降り立つ靴音が聞こえた。
細くて硬い靴音…ヒールだね…女……百華か…。
舌打ちしてやりたい気分になりながら、けれど特に焦る必要は無かった。
顔だけでなく全身を覆い隠す黒い布を纏った私は、ピリピリと痛痒い右手で、瞬時に、足に仕込んだ小刀を投げつけた。
「っ!」
目を見開いて飛び退く百華の女は、隙を与えず追撃として宙からクナイを放ってくる。
この人…百華の二代目の頭領か…。
確かあの元御庭番衆の地雷亜の教え子…。
ということは、忍と言ってもおかしくない。
――速さで勝負することは、考えない方が良いね…。
クナイを避けた私は身を翻し例の物を手に入れる。
「逃がさぬ!」
私がそのまま逃げると思ったらしい彼女が、壁を蹴りクナイを右手に突き出しながら向かってきた。
――逃げないよ。
速さで勝負は、しないから。
その右手をいなすように掴むと、彼女は目を見開き、咄嗟に左手で攻撃しようとした。
その前に彼女の右肩の着物を掴み――、
「がっ……!」
腹に、膝蹴りを喰らわせた。
力が抜けた彼女の首元の着物を掴み、身体を捻り、堅いパイプの上に叩きつける。
「…う……」
まだ意識がある彼女に内心で少し驚きながらも、私は彼女の傍に膝を下ろす。
うつ伏せに倒れ、眉を寄せ掠れた目で見上げてくる彼女。
振り上げていた右手を、真っ直ぐ首元に落とした。
「――あれ?名前さんじゃないですか?」
弾んだ声が後ろから聞こえてきて、私は一瞬、振り返ることを躊躇った。
けれど微かに止まってしまった足を、再び何も無かったかのように動かし出すのは不自然で。
自分に舌打ちしながら、微かに眉を寄せた。
やっぱり今日の仕事、上手くいかない気がする。
「――…ああ、新八。それに銀時、神楽も」
「キャッホウ!名前!久しぶりネ!」
「なになに、お前こんな所で何やってんの?」
「まあ新八が居るなら神楽と銀時も居るとは思ったけど…ああ、新八が一人で此処に居ることの方がおかしいか」
「銀さんの話はスルーですか?!」
笑みは浮かべているけれど、内心は穏やかとは言えない。
件の物は既に手に入れたのだし、百華の彼女にも出くわしてしまったから、早めに立ち去るに越したことはないんだ。
「あ、ツッキー!」
「って、ど、どうしたんですか月詠さん」
「酷ぇ不機嫌な面してんぞ。あの日か」
ドス!と銀時の額にクナイが突き刺さった。
そのことにも驚きつつ、加えてクナイだということに、固まった。
――月詠さん。
確かに新八はそう言った。
資料なんていくらでもあるのだ、特に私が勤めている幕府の、警察庁なんて所は。
「ツッキー!名前ネ!」
月詠。
現、百華の頭領だ。
苦虫を噛み潰した気分、とはこういうことを言うのだろうか。
とにかく苦々しい気持ちで、けれど至って普通に、疑問符を浮かべて振り返る。
「万事屋の知り合いか?」
「ああ、うん、そうだよ」
「わっちは吉原の番人、百華の頭領、月詠じゃ」
以後よしなに、と手を差し出す月詠。
握手に応えようと右手を差し出し、気付いた。
というか、目に入った。
赤く線が走る、右手の甲が。
「…!主…!」
月詠も気がついたのか、目を見開くと私をギッ…!と睨み付けてクナイを取り出した。
けれど私は月詠よりも早く気がついていたので、咄嗟に演技した。
「え、な、何かな」
「ツッキー!何やってるアルか?!」
「月詠さん?!」
「おいおい!お前マジでどうしたんだよ」
万事屋の三人が慌てるのも気にせずに、月詠が私に向けて右手を振り上げた。
その手にクナイが握られているのを確実に目で捕らえていたけれど、避ける、なんて選択肢は私には無かった。
避けたら、それこそ確信されてしまう。
「っ……!」
――再び、鋭い痛みが。
そしてさっきよりも遥かに大きな痛みが、身体に走った。
110531.