「この…っ、人殺し!!」
その少し馴染みがある男から放たれた言葉に、私の心臓は強く脈打った。
「――……本当に、いいのかな。私は幕府で働いているんだよ?小太郎」
「構わん、気にするな」
「…そう、じゃあお邪魔するよ」
「ああ、くつろいでいろ」
小太郎が連れてきてくれたのは、まさかまさかの攘夷浪士の巣窟。
小太郎が指揮を取る一派のアジトだ。
――……このこと、土方さんに言ったら…、いや、考えるのはやめよう。
一見普通の長屋の群を進んでいき、ある一つの部屋へと入る。
「――桂さん!」
「ん?どうした」
「向こうで宮田達が小競り合いを始めちまいまして…俺らじゃ誰にも止められないんです!」
「そうか、全く仕方のない奴らだな。――名前、少し待っていてくれ、茶は用意させておく」
「ああ、お構い無く」
ひらひら、と手を軽く振って小太郎を見送る。
出された座布団の上で足を崩して、ふう…と目を閉じた。
何だか少し…疲れたな…。
最近どうも寝られていない。
一日…いや、二日かな…。
そろそろ寝なきゃ……――
ガチャン!
お皿が割れるような音に、少し肩を揺らし息をのみ、瞼を上げる。
足音が近づいてきているのは分かっていたけど……――。
音のした廊下に目をやると、一人の男が目を見開いて私を凝視していた。
その足元には割れた茶飲みが転がっている。
――――……?
この男…見覚えがある。
何処だ…何処で見た…?
最近…いやもっと昔…。
…ああそうだ、攘夷時代に
「この…っ、人殺し!!」
――眉を寄せる。
訝しげに男を見れば、男の目は血走っていて、息も荒い。
これは、危ないな。
直感的に判断した瞬間私は腰の刀を抜いて、振り下ろされようとしている男の刀を受け止めた。
「このっ!このぉおっ!何でお前が此処に、居るんだ!あああ!」
「………………」
「俺も、殺しに、来たのかよおお!」
力任せに刀を振り下ろしてくる男の力を冷静にいなす。
ガタガタと震えている腕の、手首を刃の裏で叩いた。
カラ、ン…!
畳の上に落ちた刀を後ろへと蹴り飛ばす。
「ぁ…!」と声を漏らす男のその喉に、静かに、そして速く、けれどぴたりと、刀の切っ先を向けた。
「ひっ…!ぁ、ああ…!」
「……ねえ、あの、落ち着いてほしいんだ。私は君を…殺したりはしないよ?」
というか、誰も。
攘夷時代の知り合いだから、天人のことを言っているなら話は別だけど…。
まさか、ねえ?
だって君はまだ攘夷をしているんでしょう?
警戒を解いてもらう為に、ゆっくりと刀を下ろす。
汗を流す男が、少し驚いたような、それでいてホッとした表情になる。
困ったように微笑んだ。
「ねえ、君は私の攘夷時代の知り合いだけれど、その時に私が人を殺したって言いたいのかな?」
「あ、ああ!そうだ…!」
「…悪いけれど、そんな記憶は無いよ」
「う、嘘だ!嘘だっ!お前以外に誰がアイツらを…!」
「――アイツら?」
眉を寄せて首を傾げれば、男は少し怯んで、けれどまた直ぐに私を睨み付ける。
「お前が天人の奴らに欲しいと言われた時にっ!そうすれば母屋を襲撃しないと言われた時に!お前を渡そうと言った奴らだよ…!そいつらを全員、俺を除いた全員をだ!お前は殺したんだろう!!」
「では襲撃を止めない、と?彼女一人をくれるだけで良いのですよ?」
「お前ら四人共…分かってんのかよ?!軍艦三隻だぞ!」
「あんなデケェ大砲で撃たれたら、防ぐことなんか出来やしねえ!」
「っ、なあ、なあ…!名前を、名前一人を渡せば丸く収まるじゃねえか」
「そ、そうそう!殺すとは言ってなかったしよ!」
――ぐらり、目眩。
視界を闇が侵食していき、それと共に気持ちが悪くなる。
震えながら息を吸えば、視界の歪みが直っていく。
曲がっていたフレームを元の位置へ戻し終えると、ずきん…!鈍く頭痛がした。
――……大丈夫…。
大丈夫だ、大丈夫。
だって私はそんなことしていないんだ。
していない。
私はしていない。
人を、その人達を、殺してなんかいない。
「その人達…殺されたの?」
何時も通りの自分の声音。
安心、そして自信。
「しらばっくれんな!お前以外に誰がっ…!」
「私にその人達を殺す理由は無いよ。私を売ろうとした?そんなこと気にしてなかったこと、覚えてないの?」
「……っ」
「ああ覚えてるみたいだね、よかった。ねえ、もう少し慎重に考えていこう?」
勝手に殺人犯にされたら、たまったもんじゃないからね。
困ったように微笑む。
そして再び座布団の上に腰を下ろす。
おもむろに刀に手をやれば、男は予想通り逃げ腰になる。
敢えてそれには気づいていないフリをして、カラン、刀を畳の上に落とした。
「ねえ、分かってほしい。私は君を殺したりしない。そしてその人達も殺していない。慎重に確実に、探っていこう?私は君を、殺さない」
「…………分かった」
少し警戒して私より少し離れて男は床に胡座をかく。
ありがとう、と薄く笑みを浮かべた。
大体私がこの部屋に居るのは小太郎と、あともう一人の攘夷浪士も知っているんだ。
そんな馬鹿な状況下で君を殺したら、私が疑われるのは間違いない。
――殺すなら、この後。
……なんて。
殺さないけれどさ。
「まず聞きたいことは、何故君だけが生き残ったか、だ。君の言い方からすると、君は犯人を見ていないよね?」
「…っ、ああ…」
「あと、天人の可能性は?」
「それはねェ!っ、アイツらは母屋の中で殺されてた!もし天人が母屋ん中に入ってきてたとしても、何でソイツらだけ殺していく?!直ぐ近くの部屋には、桂さん達も居たのに…!」
「……そう」
静かに頷く。
そして疑問が生まれる。
同時に確信めいたものも。
小太郎たちも居た。
攘夷時代だからつまり、達とは銀時や辰馬や晋助だろう。
四人ともかなりの手練れだから、近くの部屋で悲鳴や、まあ異変があれば気づく筈。
けど彼らは殺され「て」た。
きっと彼らが殺されて、少し時間が経ってから発見したんだ。
まあ異変に気づいた四人が駆けつける前に逃げ出したっていうのも考えられるけど…殺されたのは一人や二人じゃない。
その誰の悲鳴も上げさせずに殺すとなれば、難しい。
可能性は低い。
――つまり殺したのは天人じゃない。
天人じゃない。
天人じゃなくて、きっと、――共に戦っていた誰かだ。
そしてその時期は――
「終戦した後に、事件は起こったんだね」
「……お前は…」
「私はその場には居なかったよ。川で流されて、大分遠くに行っていた。勿論、証拠なんてものはないけれど…」
けれど、何故。
終戦後となればますます理由が分からない。
その殺された彼らに、私云々以外の関係性が何かあるんじゃないだろうか…。
だってそうじゃないと、
「……!そうだ、君は何で生き残ったのかを聞くのを忘れていたね」
この人も確かに私を天人側に売ろうとした。
けれど殺されなかった。
だったら本当は、私に関係ない事件で彼らは殺されたんじゃないだろうか。
「お、俺はその日ずっと桂さん達と一緒に居たんだ。夜も寝なかったし、ずっと、ずっとだ!そしてそのまま江戸へ出てきたんだよ…」
「……そう」
すると廊下から静かな足音と、「桂さん、ありがとうございました!」という声が聞こえてきた。
私は直ぐに、表情を変えた。
110328.