「…お前、今なんと言った」
「ふふ、聞こえませんでした?――お断りします、と。そう言ったのですよ」
レイ・クローディアス。
一惑星の王子の目が少し見開かれた。
けれどそれも直ぐに怒りへと染まる。
「ぶ、無礼なっ!分かっているのか!私はレイアーク星の王子だぞ!」
「分かっていますよ」
「ならばっ!…ならば、断ればどうなるかも分かる筈だ。地球との商談を蹴るなど、容易いことなのだぞ」
びりびりと空気を震わせていた彼の声は、しかし次第に落ち着きを取り戻し、自分で紡ぐ言葉が自分に染み込んでいくのか、表情も誇らしげになっていっていた。
「私は、人間ですから」
「……何を言っている」
「星とは結婚出来ません。レイアーク星とは、結婚出来ないのですよ」
「……私だって、地球とは結婚出来ない、したくない。お前は人間と天人は違うと言いたいのか」
「いいえ」
にこり、笑顔を浮かべて、王子様を見る。
「ねえ、王子。地球の女性なら他にも大勢居ますよ?なのに何故、私を?」
「……地球に来た時にお前を見て、気に入ったのだ」
「ふふ、ありがたいお言葉です。けれどまあ、お世辞として受け取りますよ。王子が私を選んだのは、私が幕府機関に勤めているからですし」
「……何を……」
「だってそうであれば、地球と交渉が出来ますからね」
「……!」
「ふふ、王子、」
――王子は、嘘吐きですね。
「地球と結婚など出来ない?したくない?――違います。王子は地球との結婚を、望んでいる筈ですよ」
燃えるような赤い瞳を真っ直ぐに見据える。
すると王子は苦虫を噛み潰したような表情になり、私から目を逸らした。
「……商談、結婚、など…少なくない。――悪いか?」
「いいえ。けれどそれを私は断ると、ただそれだけの話です。 幕府機関に勤めている女性なら、私の他にも居ます。王子は見目麗しいですし、きっと話を受けてくれますよ」
体を少し後ろに下げて、そして静かに、浅く頭を下げた。
立ち上がると畳が心地好い音を鳴らす。
襖へと足を進めると、
「……やっぱり、同じだ…」
ゆっくりと振り返る。
レイ・クローディアスは下を向いて、諦めたような、吹っ切れたような、そして切なさを孕んだ笑みを溢していた。
王子…?と名前を呼ぶと、彼はその表情のまま私を目だけで見上げた。
「お前を選んだのは、お前だけを見掛けた訳ではない。その前にも何人か見掛けた。幕府機関に勤める女は調べてあった。――私はそうしてお前を選んだのだ」
「…………」
「――…似ていたんだ…凛とした立ち姿が、真っ直ぐとした瞳が、纏う雰囲気が…私の、両親に」
か、こん。
閉じている障子が張られた円の窓の向こうから、鹿威しが鳴る音が聞こえる。
「私は両親がとても誇りだ。憧れている。……だがしかし同時に、憎しみ、劣等感が私を蝕む」
「劣等感……?」
「ああそうだ。両親はその一代でレイアーク星をここまで繁栄させた。……はは、私はどう足掻いても両親には適わない。現に、両親は私を…認めていない」
「…………」
「お前と結婚し、地球との商談を成功させれば、きっと認めてもらえると思った。そして同時に、お前が私を認めることも、つまりは両親に認められる事だと、そう、勝手に思ったんだよ、私は」
焦げ茶色の机に肘をついて、両手を額にあてて下を向くレイ・クローディアス。
口元はどこか不自然に上がっている。
しゃ、らん。
足を踏み出せば、髪飾りの装飾が乾いた音を生み出す。
王子の隣に腰を下ろすと、王子は私を見ないまま、
「……笑えるだろう。寧ろ笑ってくれ。私は星のことを思って事を為したことなど一度も無い。何時も、何時も、ただ私が両親に認められたいが為に行動してきたのだ」
「……それは、悪いことなのですか?」
「……何…?」
「自分の為に行動するのは、悪いことでしょうか、王子」
再び、赤い瞳と目が合う。
けれどさっきとは違う、その頼り無さげな瞳に、思わず笑みを溢した。
「自分の為に行動することは何も悪くありません。たとえ王子が、一惑星を背負う王子だとしても」
「…………」
「それに、思いと目標が結びつかないかぎり、価値ある物事の達成は不可能と言います」
「……しかし、価値ある物事など私は出来ていないぞ…?」
「―――ディオニ星」
「……!」
目を見開いた王子に構わず言葉を続ける。
「ディオニ星の紛争を止めたのは王子、貴方です。レイアーク星の様々な制度を改革したのも。ああ、それに一般の市民からも絶大な人気なようじゃないですか」
「……お前…何故…」
「ふふ、素晴らしい手腕などは星が違えど届くものです」
か、こん。
再び聞こえた鹿威し。
立ち上がって、円の窓を開けに行く。
上質の木の擦れる音がさらりと響いて、次いで透き通った空気と、木の葉が揺れる音が聞こえてきた。
「王子、王子にとって価値あるものが、両親に認められた事柄だというのは分かります。けれど、どうでしょう?これを機に、少しでも他の者の意見を取り入れてみては。王子が望むのならば、私は何時でも、王子の力になりますよ?ふふ、私なんかに褒められても、何にもなりませんけどね」
軽く笑って、自然の香りを深く堪能する。
目を閉じて、深く息をして。
くるりと軽やかに振り返る。
「それに、両親が王子を認めていない?ううん、王子は嘘吐きですねえ。嘘をつくのはあまりお上手ではありませんので、ふふ、止めることをお勧めしますよ」
「う、嘘ではないっ。私は両親に――」
「認めていないと、人は誰かに何かを頼まないものです」
「……!」
認めていない相手に、大事なことは頼まない。任せない。
「そして、信頼していないとそれはありません」
「……お前は、私の…父上と母上は、私を認めていると…言うのか…?信頼して、いる、と…」
「ふふ、はい」
何かを言おうと開いた王子の口は、けれど空気を飲み込んで閉じられる。
「ねえ、王子、王子の両親は一代で星を繁栄させたのでしょう?ならば並大抵のことでは褒めてはくれませんよ。王子のご両親は、もっと偉大なことをなさったのですから」
乾いた風が入ってきて、しゃらん、髪飾りが鳴る。
視界の横を、淡い桃色の花びらが舞っていった。
「だからもう少し、もう少しだけ頑張ってみて下さい。努力が必ず報われるとは限らないですが、成功した者は努力しているものです」
庭の方へと体を戻す。
ひらひらと舞ってきた桜が、手の平の上に乗った。
「地球には江戸以外にもたくさんの国があります。――山が高いからといって、戻ってはならない。行けば超えられる。仕事が多いからといって、ひるんではいけない。行えば必ず終わるのだ。――その中のひとつの国のことわざです」
手を傾けると、少しの擽ったさと共に花びらは手の平を滑り、そして再び吹いた風に乗っていった。
「幸せというものは、悲しみや苦しみ、辛さの上で輝きます。――王子の幸せは、きっと誰よりも、輝きます」
月の光が降りてきて、桜を照らすスポットライトのよう。
透き通る花びらを見上げると、畳の音がして、レイ・クローディアスが隣に立った。
「……地球は、美しいな。父上と母上を是非、招待したい。――地球との商談を、呑もう」
「お手伝いしますよ」
「……お前に、私の名を呼ぶ名誉を与えよう」
「ふふ、光栄ですね」
「レイ、と。そう呼べ」
「はい、レイ」
「……だから、お前も…」
「ふふ、はい。名前と呼んで下さい」
名誉を与えましょう、の方が良かったかな?なんてね。
110309.