「あんたたち、よくその程度で私に声が掛けれたわね」
ぴしゃりと言い放たれた声が聞こえたのは、任務報告からの帰り道、陽も落ち、ネオンサインが浮かび始めた裏通りからだった。
建物の屋根を軽く飛び越えていた私は、聞こえたその声から不穏な雰囲気を嗅ぎ取って、建物の屋上に着地すると、少し戻ってその路地裏を覗き込む。
そこには腕を組む一人の女性と、そんな彼女に相対する二人の男性の姿があった。
見たところ、どちらも里の者でも忍でもないらしい。
旅の恥はかき捨て、とでもいうのだろうか、旅先で少し火遊びでもしようとしているように、男性二人については見受けられた。
「何だと、てめぇ」
「お高くとまりやがってよ」
「あんたらなんかお呼びじゃないって言ってんのよ」
凄む彼らに、女性は怯まない。
それどころか、しっしっというように手を払っている。
男性たちは顔を真っ赤にしたり、あるいは額に筋を立てたりして怒った。
「下手に出てりゃ、いい気になりやがってよ!」
「おら、ついて来い! 大人しくしてりゃ優しくしてやるからよ!」
「ちょっと、やめてよ! 離して! ──誰か!」
声を上げた女性の口を、男性二人が塞ごうとする。
私は地面に降り立つと、彼女に伸ばされようとする無遠慮な手を掴んで止めた。
突然現れた私にぎょっとする男性たちに、口を開く。
「穏やかじゃないですね」
「や、やばい、木ノ葉の忍だ」
「でもくノ一だし──」
言って、引きつったようにしながらも笑いかけた男性は、しかし掴まれた腕がびくともしないことに気がつくと、今度こそ笑みを消した。
恐る恐る、といったふうに私を見やる二人に、笑ってみせた。
「もしお望みのようであれば、他にも誰か呼んできますが」
「い、いえあの、大丈夫です──間に合ってます!」
「す、すいませんでしたぁ!」
道端の木箱に躓いたり、二人でぶつかったりしながら駆けていった背中を見送ってから、私は女性に向き直る。
目を丸くさせて私を見ている彼女に、にっこり笑う。
「お怪我はありませんか?」
「ええ──ええ。大丈夫よ」
「よかった。──いい関係が築けそうなのであれば見守らせてもらおうかとも思ったんですが、どうもそんなふうには見えなかったので」
「そうね。不快だったわ」
女性は言って、綺麗な顔を歪めると、自分の両腕をさする。
それから私に向き直ると、だから、と微笑った。
「あなたが来てくれて、とても助かったわ。本当にありがとう」
「そう言ってもらえると。木ノ葉の里はいいところですが、あなたみたいに綺麗な方だと、惹かれて寄ってくる方たちも多いと思いますので、気をつけてくださいね」
「ふふ。ええ、そうするわ」
「よかったら、大きな通りまで送りましょうか?」
彼女は、そうね、と少し考える素振りを見せると、ややあって、
「通りじゃなくても構わないの。ただ案内してほしいところがあって・・・・・・助けてくれたところ、さらにお願いするなんて、図々しいのは分かっているのだけど」
「そんな、図々しいなんて。まったく構いませんよ。何でも仰ってください」
にこにこと笑んでいれば、彼女はぽかんとした顔で私を見た。
首を傾げれば、いいえ、と笑う。
「あなた、いい子ね」
「いえ、当然のことをしているだけですよ」
「そういうのが、もういい人の典型的なパターンだもの」
「そうでしょうか」
瞬けば、彼女はくすくすと笑った。
そして遠慮がちに口を開く。
「案内してほしいところ、っていうか、ある人に会いたいのだけど」
「はい」
「あなた──はたけカカシって、知ってる?」
私は再度、瞬いた。
「まあ、知ってるわよね。忍の世界では有名だ、って話だし」
「あの──はい、まあ──知ってます」
知っているどころか、恋人なのだけれど──と思いながら、頬を掻く。
恋人なのだと改めて思うだけで、じわじわと沸き上がってくる喜びと少しの熱に苦笑を零しながら、私は改めて彼女を見た。
カカシ先生のお知り合いの方だろうか、先生はいまどこにいるだろうか、と思考を巡らせていれば、彼女は身を乗り出すようにする。
「じゃあじゃあ──はたけカカシの恋人は? 知ってる?」
私はぽかんとしてしまった。
あんぐりと口を開けている私に、彼女はじれたようにすると、
「ねえ、どうなの?」
「はい──その、知っているというか──」
「やった! 本当、あなたに会えてよかったわ! ねえ、その恋人のところまで私を案内してほしいの」
「えっと」
「忠告してやるのよ。はたけカカシは普通の女じゃ釣り合わないわ、だからやめておきなさい、ってね」
言われた言葉に、私は困って頭を掻く。
「そうですよね、それは重々承知しているのですが」
「でしょう? って、いまの言い方だと、なんだかあなたがその恋人本人みたいね」
「あの──はい」
「・・・・・・は?」
今度は彼女が、あんぐりと口を開ける番だった。
注がれる視線に、私は思わず、ごめんなさい、と謝罪する。
「隠すつもりはなかったんですが、その──私なんです」
「私なんです、って・・・・・・あなたが、恋人? カカシの?」
「はい。とても信じられないお気持ちも、よく分かるんですが」
眉を下げて言えば、ぽかんとしていた彼女は、そうしてはっとすると距離を詰めてきた。
私の頬を包んで引き寄せると、ぺたぺたと触ってくる。
「嘘でしょう、あなたが?」
「あの」
「確かに可愛いし、顔も整ってるけど、でもいままでのタイプと違いすぎない? 性格だって!」
「その」
「カカシったら、いったいどうしたのかしら。もしかしてあなた、何か騙されたりなんてしてないわよね」
「お姉さん、ちょっと──」
「ランよ。──って、そうじゃなくて」
彼女──ランさんは、我に返ったようにすると、少し離れた。
それから腰に手を当てて、何か考えるようにする。
ややあって、まあ、と腕を組むと私を見据えた。
「それなら話は早いわ。カカシと別れてちょうだい」
「それは・・・・・・」
「あいつの相手は、並の女じゃ釣り合わないわ。最近さらに名を揚げているようだし」
「そうですね」
「でしょう? それにあなただって、カカシに対して、不満の一つや二つくらいあるわよね」
「いえ、それはないですけど」
「はぁ!?」
私の返答に対してぎょっとしたランさんに、こちらが驚いてしまう。
あまりの形相に半ばたじろぎもすれば、ランさんは一歩を踏み出す。
ヒールの音が、かつん、と鳴った。
「あなたそれ本気で言ってるの? え? もしかしてはたけカカシって名前の男は他にも二、三人いるのかしら」
「私が知るのは一人だけですが・・・・・・」
「だったら! 一つや二つなんてものに飽きたらずあるでしょう? あの男といったらこんないい女相手に素っ気ないし、まったく会おうとしてくれないし、気持ちだって全然向けてきてくれないじゃない。会ったら会ったで淡泊だし──」
何やら止まらなくなってしまったランさんに、私は呆気に取られたまま瞬いていたが、聞いているうちにだんだんと事情も見えてきて、僅かに胸をよぎった複雑な気持ちに、微かに目を伏せた。
詳しいことは分からないけれど、ランさんはきっと、昔カカシ先生と何らかの関係にあったんだ。
そしてそれはきっと、男女のもの。
(少しも胸が痛まないって言ったら、嘘になるけど・・・・・・)
私は、そっと胸元に手を当てた。
カカシ先生がいま私に向けてくれているあれこれを、過去、別の誰かにも注いでいたことがあると思うと、ずきりとしたものが胸に走る。
でも同時に、よかった、とも思うのだ。
想いを向ける相手や、あるいは向けてくれる誰かがいることは、とても幸せなことだ。
私はそれを、カカシ先生や、皆から教えてもらった。
だから先生が過去、少しでもその幸せを感じるときがあったと思うと、よかった、と安堵する。
・・・・・・この左眼で、何度かカカシ先生に関わる過去を見たこともあるけれど、それはたいていどれも、見ているだけのこちらが泣いてしまいそうになるほど、辛いものだったから。
(それに──過去があるから、いまがある)
そして私はカカシ先生のことを──愛している。
大好きな人のことを想えば、自然と暖まる胸元に、私はそっと微笑むと、一つ頷いた。
それから、しかし、とランさんを見る。
ランさんって、すごく愛情深い人なんだなぁ。
カカシ先生はもったいないほどに想いを伝えてくれるけれど、それでも素っ気ないと思うくらいなんだから。
「ええと、それで──ああもう、何の話だったっけ?」
ランさんは苛立ったように一つ息を吐くと、そうして私を見た。
「そうだ、あなたよ。本当にないと、まだ言うの?」
苦笑するように笑いながら、はい、と言えば、ランさんは目を剥いた。
とても綺麗な人なのに、飾らないその様子はむしろ愛らしくて、とても好感が持てて、素敵な人だなあと心から思った。
私は笑みを浮かべると、口を開く。
「カカシ先生が伝えてくれる気持ちは、私にはもったいないくらいのもので、とても幸せです。それに確かに会える日は少ないですが、先生が、里や仲間のことを想い尽力していることを知っています。そんな情に厚いところも、すごく尊敬しているので」
「あなた・・・・・・」
ランさんは、ぽつりと呟くと、それきり言う言葉を見失っているようだった。
何か可笑しなことを言っただろうか──と、僅かに焦れば、はっとしたランさんが再び距離を詰めてきて、肩を掴むと揺さぶってくる。
「駄目よ! 目を、目を覚ましなさい!」
「あの、ランさん──」
「あなたなら、他にも大勢選べるじゃない!」
私は困って、苦笑するように笑うと頬を掻いた。
カカシ先生と別れるよう勧めるため言っていることは分かっているが、あまりにありえない言葉に、何と答えたものか迷ってしまう。
するとランさんは不審そうに眉を上げた。
「何よ、その反応」
「いえ、ただ・・・・・・私を好きになってくれるような変わった人は、カカシ先生くらいなので」
結局、上手く取り繕う言葉も出てこなくて、私は正直に真実を告げた。
するとランさんは絶句してしまったようだった。
申し訳なく思いながらも、正解が見つからず慌てる私を余所に、ランさんは頭を抱えるとぶつぶつと何かを呟いている。
「カカシあいつ、こんな子の自尊心をここまでなくさせて、なんて奴なの・・・・・・」
「あの・・・・・・ランさん?」
「・・・・・・もうどうすればいいのか分からなくなってきたわ・・・・・・」
疲れたように何かを呟くランさんを見ていれば、むずむずと湧き起こってきてしまう気持ちに、私はそわそわとしてしまう。
どこか可笑しい様子が心配なのは確かだし、カカシ先生と別れるよう言ってきているランさんに対して聞くことではないと十分分かっているのだけれど。
するとランさんは、そんな私の様子に気づいたのか、不審そうな顔をした。
「何?」
「えっと・・・・・・」
「何よ、気になるじゃない。はっきり言ってよ」
「ああ、すみません。それじゃあその、おそれながら・・・・・・」
「ええ」
「どうしたら、そんなふうに綺麗になれますか?」
「──は・・・・・・」
言ってしまった、と思うも、またかえって気にさせてはさらに申し訳ないからと私は続ける。
「ランさんって、とても素敵ですよね。容姿の素晴らしさはさることながら、人柄も良くて、もう魅力が溢れ出ているというか」
「・・・・・・」
「それに大人の女性、っていうところがまた素敵で・・・・・・その、そういったものや、色気──というんでしょうか──とかが、私にはよく分からなくて・・・・・・」
「・・・・・・」
「私がカカシ先生に釣り合わないことは、よく分かっています。別れるよう勧めてきたランさんにこんなことを聞くべきじゃないっていうことも。でも私、少しでも追いつければと思っていて」
「・・・・・・」
「・・・・・・ご、ごめんなさい。やっぱり失礼で──」
「・・・・・・いま、分かったわ」
「え?」
ずっと黙っていたランさんがようやく口を開いてくれたかと思えば、しかしぼそりと呟かれたそれはよく聞き取れない。
聞き返そうとした私は、彼女の周囲を纏う怒りのオーラのようなものが見えた気がして瞬いた。
「ラ、ランさん・・・・・・?」
「──どうすればいいのか、分かったわ・・・・・・!」
そう言うと拳を鳴らした、一般人のはずの彼女のその覇気に気圧されて、私は思わず喉が潰れたような声を上げたのだった。
「──カカシ、見つけたわよ・・・・・・!」
頼まれていた案内先である人物──カカシ先生を見つけたのは、私の家の前でだった。
会いに来てくれたのか、と喜ぶことも、いまはできない。
闘牛のごとく──と言っては失礼なのは分かっているが、本当にそのようなものなのだ──走るランさんがいるからだ。
こちらを向いたカカシ先生が、ぎょっとする。
そんな先生の前まで走り寄ると、ランさんは人差し指を突きつけた。
「カカシ、あんた──」
言うと、隣に着いた私のことを抱き寄せる。
えっ、と目を開けば、ランさんは声を上げた。
「この子と別れなさい!」
「──は?」
「この子にあんたは釣り合わないわ!」
「ラ、ランさん! 逆です、逆!」
走ってきた勢いのまま声を上げたせいか、言葉が逆になっているランさんにそう言うが、彼女は荒く息をしたままカカシ先生のことを睨みつけていた。
先生は、そんな私たちのことを見やると、
「どういう状況?」
「あの、それが」
「こんな幼気な子を毒牙にかけて」
「毒牙って、ちょっとお前──」
「黙りなさい! さらに名を揚げてきたからと、一瞬でもあんたともう一度、なんて思った私が馬鹿だったわ!」
その言葉に、カカシ先生は僅かに目を開いた。
しかし流れた沈黙も僅かなもの、先生はすぐに、なるほどね、と言う。
「それで、俺より先にその子に働きかけようとした、ってわけ。相変わらず底意地が悪いこって」
「なんですってぇ!?」
キンキンとした声が近くでして、私は目を白黒とさせた。
カカシ先生は私に視線を移すと、にこりと笑う。
「ほら名前、こっちおいで」
「カカシ先──ぐぇ」
「駄目よ。同じ苦労を分かち合う者同士、もう友達だもの。ね、名前?」
さらに抱き寄せられて一瞬は潰されかけたものの、嬉しい言葉に私はぱっと目を輝かせてランさんを見る。
「本当ですか?」
「ええ、もちろん」
「友達になるのはいいんだけど、別れろはないでしょ、別れろ、は。そんなこと、お前に決められる筋合いないんだけど」
「昔のよしみで忠告してあげてるのよ。さっきも言ったとおり、この子にあんたは釣り合わないわ」
「あの、また逆──」
「──そんなこと」
先生が言う。
低い声音に、ランさんが僅かに息を呑むのが分かった。
「お前に言われるまでもなく、俺が一番、よく分かってるよ」
逆です──とは、もう言える雰囲気ではなかった。
一応話題に関係ある当人であるはずなのだが、ぴりぴりとした二人の空気に割り込める気がしなく、固唾を呑んで二人を見守る。
「カカシ、あんた・・・・・・」
「・・・・・・」
「あんたまさか・・・・・・本気なの?」
カカシ先生は何も答えなかった。
ただランさんのことを見据える。
ややあって、ランさんは溜め込んでいたものを吐き出すように息を吐いた。
天を仰ぐと、軽く頭を振って、そして前髪をかき上げる。
「あんたを変える女がいるとしたら、どんな奴かとは思ってたけど」
言ってランさんは私に視線を移した。
まじまじと見ると、ふっと笑う。
憑き物が落ちたようなその表情は、彼女と出会ってからいままで見た中で一番綺麗なものだった。
「まあ確かに、納得なのかも」
「ランさん・・・・・・?」
「──ねえ、本当にカカシでいいの?」
言うとランさんは私の顔を覗き込むようにする。
「私の街にも、結構いい男たちが──」
「──ラン」
遮るようにして放たれた声音は、先ほどと同じ低いものだ。
それでも今度はランさんは怯まず、それどころかどこか可笑しそうにしていた。
「驚いた。あんた、こんなに心狭かったのね」
そう言って軽やかな笑い声を上げるランさんに、カカシ先生は大きく息を吐くと、がしがしと頭を掻いた。
空気が軽くなったことが分かって、私はほっと息を吐く。
ランさんに向き直ると、口を開いた。
「あの・・・・・・カカシ先生でいいのか、というより──私でいいのか、ということは、いつも思ってます」
ようやく、さりげなくではあるが修正できたことにもほっとしつつ、私は続けて、
「それでも──先生は、たくさん愛情を注いでくれます。そして私のそれも、受け取ってくれる」
「名前・・・・・・」
「だから、私のできるかぎりを尽くして、傍にいられるように、頑張りたくて」
それで──と、言い差して、私は口を噤んだ。
じわじわと羞恥心が湧き上がってきたのだ。
(いや、この気持ち自体は何も恥ずかしいものではないんだけれど・・・・・・ここ、そういえば外だ)
それに本人が目の前にいるのに──と、私はちらりとカカシ先生に目を向けた。
目を細めて私を見ていた先生は、そんな私に気がつくと、にこにこと笑みを浮かべる。
穴があったら入りたい気分になっていれば、ランさんが呆れたように肩を竦めた。
「はいはい御馳走様」
「ラ、ランさん」
「分かったわ。もうあれこれ言わない。これ以上カカシに睨まれるのも嫌だしね」
言うと、ランさんは私に向かって片目を閉じる。
「でも困ったことがあったら何でも言いなさい。──これ、私の住所」
「あ、ありがとうございます!」
「美の秘訣だって何だって、教えてあげるから」
そう言って笑ったランさんは、そうしてカカシ先生に向かって、べーっと舌を出した。
先生は、しっしっとでもいうように手を払う。
最終的にランさんは、なんとカカシ先生に中指を突き立ててから去っていった。
──思い返してみれば、まるで嵐のような出来事に、ぽかんとしながらその背を見送っていた私は、すると繋がれた手にはっとして振り向いた。
優しい眼差しを向ける先生は、そしてにこりと笑う。
「ね、俺いますぐ名前を抱きしめたいんだけど、いい?」
「えっ──だ、駄目です、ここ外・・・・・・!」
「なら・・・・・・家、入ろう?」
ね、と繋がれた手に力が込められた。
私はどぎまぎとしながら、もう一方の手で、ランさんから貰ったメモをポーチに仕舞うと、そのまま鍵を取り出す。
手を繋いだまま向かう間、私はずっと視線を上げられないでいた。
だって家に入れば、抱きしめてもらうことが分かっているのだ。
それでもずっと外で立ち尽くしているわけにも当然いかず、私は玄関の扉を開け中に入ると、カカシ先生のことを見上げられないまま言った。
「ど、どうぞ」
「うん。お邪魔します」
にこりと笑った先生は、そうして私の手を引いた。
──カカシ先生の向こう、玄関の扉が閉まる音がする。
まさか靴も脱がないうちにそうされるとは思っていなかったため、私は呆気に取られていたが、やがて状況を理解すると、ぼっと顔を熱くさせた。
「せ、先生」
「・・・・・・名前大好き」
ぎゅうと抱きしめられると言われた言葉に、胸が締めつけられるようになる。
胸元の服を小さく握れば、先生は優しく頭を撫でてくれた。
「さっき、傍にいたい、って言ってくれて、すごく嬉しかった。・・・・・・私でいいのか、っていうところについては、色々と言いたいけど」
笑って言った先生は、少し離れる。
そうして私のことを見下ろすと、さらにくすりと笑った。
「顔真っ赤」
「う・・・・・・」
「可愛い、名前。──大好きだよ」
言うと、口布をしたまま、額や目元に落とされる口付けに、私はもう胸が高鳴って、締めつけられてしまって、仕方がなかった。
(溶けそう・・・・・・)
幸せで堪らないと思う一方、今し方カカシ先生が言ってくれた言葉が胸に残って離れない。
「さっき、傍にいたい、って言ってくれて、すごく嬉しかった」
(・・・・・・嬉しいと思ってくれることが、嬉しい)
なんだか嬉しいがゲシュタルト崩壊してきたが、けれど真実、そうなのだ。
カカシ先生が私からの気持ちを受け取ってくれることが嬉しい。
だというのにさらには喜んでもらえて、大切にしてもらって──こんなに幸せそうな表情を、してくれる。
愛する人に、愛してもらえる幸せに、指先が震えた。
私はカカシ先生のことが大好きで、この人の幸せを、誰より望んでいる。
そしてその幸せに、自分が繋がることができているのだという奇跡に、目を細めた。
強く思った。
こんな拙い、私なんかの想いでもいいのであれば──伝えたい、と。
「カカシ先生・・・・・・」
「ん・・・・・・?」
「・・・・・・だ・・・・・・大好き、です」
「──・・・・・・うん」
先生は瞬くと、そうしてへにゃりと頬を緩めた。
私は、そんな先生の笑顔に見惚れながら、苦しいくらいに動く心臓に押されるようにして再度言う。
「好き、です」
「・・・・・・うん」
「カカシ先生・・・・・・大好き」
「・・・・・・あのさ、名前。すごく嬉しいんだけど、それ以上言うと、かえって名前が──」
背伸びして、カカシ先生の頬に自ら口付ければ、先生は固まってしまった。
調子に乗りすぎてしまっただろうか──と焦り、僅かに後退ろうとすれば、しかし腰を引き寄せられて、また踵が浮いた。
先生は私を見下ろすと、にこりと笑う。
「散々焚きつけておいてから逃げるのは、よくないんじゃない?」
「先生──んッ」
先生は言うと、口布を下ろし、そして口付けてきた。
唇が重なって、かと思えばすぐに入ってくる舌に、かっと顔に朱が上る。
絡められる舌に、どろどろと思考が蕩けていく。
「せん、せ」
「名前って本当、鈍いよね」
「ん、ぅ。ン、っ」
「こうなること、分かってないんだから」
「ふ、ぁ・・・・・・待っ、て」
「それとも分かってて、やってるの?」
気持ちがよくて、いっぱいいっぱいで、私はカカシ先生にしがみつきながら必死で立っていた。
しかし足が震えてきてしまう。
「せ、んせい、〜〜・・・・・・っ」
限界だということを伝えようと、胸元の服を軽く引っ張るが、先生はくすくすと笑うと、
「ほら、頑張って」
「で、も」
「はー・・・・・・可愛い」
──くらくらとしてきて、しがみつく手にすら力が入らなくなってきたとき、ようやくカカシ先生は解放してくれた。
くたりと胸元に寄りかかったところを、抱き上げられる。
軽く靴を脱がされて、そのまま居間まで運ばれると、ソファの上に寝かされた。
覆い被さってくる先生は、額やこめかみにキスを落としながら、そうして下がっていった先、耳元で囁く。
「ね、名前・・・・・・あいつの言うこと、従ったりしないよね?」
「言う、こと・・・・・・?」
あいつというのがランさんのことを指しているのは分かったが、言うことというのがどれのことを言っているのかが分からなくて、見上げれば、先生は読めない眼差しを私に向けた。
「他にいい男が、とか、そういうやつ」
私は思わずぽかんとすると、そして笑った。
「あれはランさんの冗談ですし、それにいつも言っていますけど、私にこんな気持ちを抱いてくれるのは、カカシ先生くらいですよ」
「・・・・・・いつも言ってるけど、本当に心配」
私はくすくすと笑うと、目を細め、そっとカカシ先生の頬に手を当てた。
「私がこんな気持ちを抱くのは、カカシ先生だけです」
「・・・・・・名前・・・・・・」
「先生だから──好き、なんです」
言ってはにかむように笑えば、先生は再び私に口付けた。
──そっと離れると、注がれる愛おしげな眼差しに、目を細める。
「大好きだよ。──愛してる」
「──はい」
その幸せに、私は笑った。
私もです、と言えば、先生も笑ってくれる。
そして、ねえ、と言うと、
「この後どうされるか、名前分かってる?」
「えっ」
「もう少しくらい学んでおいた方が、名前のためにもなると思うんだよね。俺はまったく、構わないんだけどさ」
首筋を伝っていく口付けにどぎまぎとしながら、えっと、と私は口を開いた。
「でもカカシ先生になら、どうされてもいいので・・・・・・」
「・・・・・・はー・・・・・・」
「先生?」
「本当名前って・・・・・・はぁ、本当・・・・・・」
何やらぶつぶつと呟いている先生に、瞬いていれば、ややあって先生は私のことを見下ろした。
熱が込められた眼差しに、どきりとする。
それじゃあ──と、カカシ先生は言った。
「名前のこと──俺の好きにするからね」
言われた言葉に、えっ、と私は赤面する。
あの、とか、えっと、なんて意味もない言葉を並べてみたが、止まってくれる気はないようだ。
だから私はせめてもとの思いで、小さく言った。
「お、お手柔らかに・・・・・・お願いします」
「──もう遅いよ」
その言葉に目を丸くさせれば、先生はくすくすと笑う。
私はどぎまぎとしながらも、どこか子供のようなその笑顔がとても愛しく思えて、小さく笑うと、自らも手を伸ばしたのだった。
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