舞台上の観客 | ナノ
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「#学園」のBL小説を読む
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「それでサイったら、なんて言ったと思う?」


たん、とグラスを叩きつけるようにして卓に置いたいのは、そしてサイの声真似をしながら言った。


「いのは本当に猫を被るのが上手だね−−ですって! 失礼しちゃうと思わない!?」
「うわ、最悪。サイの奴、相変わらず女心がちっとも分かってないのね」
「でしょ!?」


いのは苛立ったように息を吐き出すと、またグラスを傾ける。
私は口元を手で覆うと、小さく咳をした。


ここは火の国木ノ葉隠れの里、大通に面した場所にある居酒屋だ。
同期の女性陣が運良く全員予定が合うことが分かったため、久しぶりに集まることになったのだ。
ちなみにテンテンさんにも是非参加してほしかったのだけれど、任務が入っていたため、泣く泣く次の機会にということになっている。


「少しくらい嫉妬してくれると思ってた私が馬鹿だったわ。サイったらあの真っ白な顔の色、少しも変えないんだもん」


いのの言いように、私たちは思わず笑ってしまう。
サクラが笑いながら、


「真っ白、って。まあ確かにそうだけど」
「でしょ?」
「それに、嫉妬してくれると思ってた、っていうのも。少しくらい、そういう可愛げがあってほしいわよね」
「ああ──そっか、サスケ君もクールだもんね」
「ええ。まあそこが格好良いんだけど・・・・・・でももう少し妬いてくれたりしたっていいのにと思うわ」
「まあサイもサスケも、内心がどうあれ、そういうことが表にあまり出ない、あるいは出さないのは確かかもだね」


揃ってため息を吐くと肩を落とす二人を可愛いなあと思いながら私はそう言った。
そして視線を隣のヒナタへと移す。


「その点ナルトは、感情表現が豊かだよね」
「う、うん。・・・・・・でもね、ナルト君って、すごく真っすぐな人だから、気持ちも同じように真っすぐ伝えてきてくれるんだけど・・・・・・嫉妬してくれてるときとか、そういうときは、少し言いづらそうだったり、恥ずかしそうにしながら言ってくれるから、少し可愛くて」
「はいはい、御馳走様──って名前、大丈夫!?」


やれやれといったふうに手を振りながら言ったいのが、私を向いてぎょっとする。
私は一方の手で口元を押さえながら、もう一方を、大丈夫だと挙げる。


・・・・・・くっ、お酒が入っていることもあって気を抜いていた。
油断してしまっていた。
確かに話を振ったのは自分だが、まさかこんなにも破壊力のあるものが返ってくるとは。


自分の甘さを反省しながら、冷静になろうと水を飲んでいた私は、ややあって三人の視線がこちらに集中していることに気がつき瞬いた。


「どうしたの? ──ああ、体調なら大丈夫だよ」
「ならよかった。でも名前を見ていた理由は、それだけじゃなくてね」


笑い含みに言ったサクラに首を傾げれば、サクラは続けて、


「サイやサスケ君とはまた違うけど、名前も、嫉妬とかしなさそうだなと思って」
「私?」


逆の方向に首を傾ける。
嫉妬、そしていままでの会話から連想される私の相手は──カカシ先生だ。
思い浮かべるだけで頬が緩んでしまって、私は頭を掻くと、確かに、と口を開く。


「あんまり馴染みはないかもしれない」
「まあでもここの二人は、名前がこうな分カカシ先生が、ね」


にんまりとして言ういのに、サクラとヒナタも、見せる反応はそれぞれながらも同意を示した。
私も言わんとすることを理解して、ああ、と目を開く。


「確かに、私はまだまだ未熟だけれど、その点カカシ先生は大人だからね。いつでも余裕で、本当さすがだと思ってる」


腕を組みながらうんうんと頷いていれば、また三人の視線が私に集中していることに気がつき、瞬いた。
今度は何かと思っていれば、いのが唖然としながらサクラに聞く。


「嘘でしょ、まさか気づいてないの?」
「私もびっくりしてる。まあ確かにカカシ先生、あからさまにはしてないけど」
「そうは言ったって、隠そうともしてないでしょ? あんなに分かりやすく牽制してるじゃない」
「き、気づいてないのはナルト君やキバ君たちくらいかもしれない・・・・・・!」


何やらわちゃわちゃしだした三人に目を丸くしていれば、ややあってサクラが私に聞いてきた。


「ねえ名前、こういうようなことについて、カカシ先生から何か言われたこと、ないの?」


こういうようなこと、というのはつまり、嫉妬云々の話だろう。
それは何となく分かるが、何か、というのが考えてみても思い当たるものは出てこない。


「特にないと、思うんだけど・・・・・・」


三人の圧に圧されながら自信なさげにそう言えば、三人は毒気を抜かれたようにそれぞれ息を吐いた。
サクラが、仕方のない子供に微笑うようにして私を見る。


「まあ、名前が自分のことに鈍いのは周知の事実みたいなものだから」
「えっ」
「二人がこれでいいなら、いいのかも」


言ったサクラに、いのとヒナタが首肯する。
自分の話だというのに一番よく分かっていない私は、再び首を傾げたのだった。




それから数日が経ったある日のこと、私は森の中にある演習場の片隅で一人、鍛錬に励んでいた。
早朝任務から帰ってきて一眠りした後なのだが、その任務の最中、自分の動きで気になるところがあったのだ。
任務自体は上手くいったからそれはいいのだけれど、あのときああしていれば、とか、もっとこう、という思いが出てきて止まらなくなったため、実践しているところだ。


「──よし、っと」


空中で身を翻し、そして地面に着地した私は、脳内でシミュレーションしていた動きがそのとおりできたことを認めると一人頷く。


「こんなところかな」


軽く伸びをすると、そして空を見上げた。
西の空が茜色に染まり始めた光景を見て目を細める。
すると、そろそろ家に帰ろうと踵を返しかけたところで、演習場の出入口、一人の男性がとぼとぼと歩いているのが視界に入った。
ここからではその表情を窺い見ることはできないが、歩き方といい全身から溢れ出ているオーラといい覇気がない。
何か嫌なことでもあったのだろうかと思いながら歩いていけば、私に気づいたのか男性が顔を上げてこちらを向いた。


「──琥珀色の髪」


すると男性がぼそりとそう呟いたのが聞こえた。
目当てのものを見つけた、というような言い方に、私は咄嗟に警戒すると構えを取りかける。


(私が狙い──時空眼が目的の者か?)


相手を見定めようと、ひたと双眸を男に据えた私は、しかしぽかんとして、思わず取りかけていた構えを少し緩めた。
こちらに向かって駆けてくる男性の走り方はどう見ても、一般人のそれだったからだ。


「琥珀色の、目・・・・・・!」


目が合えば、男性はそう言う。
その瞳で揺れ動く戸惑いの色に、私は困惑した。
まさか時空眼を狙う誰かが一般人をけしかけたのだろうかという考えもよぎるが、確証のないそれに、決断することができない。


「・・・・・・」


走る男性のつぶさな音を聞き取ると、武器を持っていないことを確認した私は、意を決すると構えを完全に解いた。
男性はそんな私の行動に、ぐっと何かを堪えたような表情をする。
そして言った。


「ごめんな・・・・・・!」


その言葉に瞠目した私の腕を、男性は引き寄せる。
そしてそのまま私のことを、その腕の中に閉じこめた。


「・・・・・・」


そこから何をされるのだろうかと緊張していた私は、しかしいつまで経っても男性が行動を起こさないことに困惑する。
乱れていた彼の息も、だんだんと収まってきていた。


「・・・・・・あの」


窺うように口を開いてみれば、男性はびくりと体を揺らす。


「本当にごめん・・・・・・!」


そして再び詫びると──私の首元に噛みついた。
思ってもいなかった行動に、私はぎょっとする。


「──!?」
「うぐっ、うぐっ」
「えっ──あの」
「ぐうぅ・・・・・・っ」
「だ、大丈夫ですか? 吐き出してください!」


喉元を食いちぎられるのか、あるいは何か毒でも入れられるのかとも思ったが、そのどちらも起こらない。
むしろ逆にじゅうじゅうと吸いつかれて、私は混乱した。
しかもされている側がそうなるならともかくとして、なんとしている側である彼の方が泣いているのだ。
泣きながらも噛みつこうとさえしてきて、もはや苦しそうだったので、私は慌てて彼の肩を押すと離れさせた。
男性は力無くよろけると、そのまま地面に膝をつく。


「ううっ・・・・・・ごめん、ごめんな」
「だ、大丈夫ですから、落ち着いて」


宥めようと背中を撫でれば、彼は目元を腕で拭う。


「でも俺、はたけカカシに、同じような思い、させたくて」
「──カカシ先生?」


思いも寄らない名前が出てきて驚く私に、しかし男性は気づかないまま続ける。


「あいつを、動揺させたかったんだ」
「そ、そうなんですか? でも、それでどうしてこんなことを?」
「──え?」


カカシ先生を動揺させたいということと、私に抱きついてきたことが結びつかなくてそう聞けば、男性は呆然と私を見た。
首を傾げながら背を撫でていれば、彼の顔色がみるみるうちに青ざめていって、ぎょっとする。


「嘘だ、そんな──人違い・・・・・・!?」
「あの──」
「だって琥珀色の目と髪に、背丈だって──」


焦ったように一人何やら話していた男性は、そして私に向き直ると、地面に手をついて頭を下げた。
いわゆる土下座の姿勢に、私は慌ててその肩に手を掛ける。


「ど、どうしたんですか突然!? 顔を上げてください」
「ごめん、ごめん! 俺どうやら人違いしてたみたいで・・・・・・!」
「人違い、ですか?」
「ああ。俺、てっきりお前が、はたけカカシの恋人なんだと思って」
「えっ? えっと、そうです」
「──え?」


顔を上げるとぽかんとする彼に、状況が把握できないながらも私は頷く。
やっと体を起こしてくれた彼は、あんぐりと口を開けたまま私を指差した。


「お前、恋人? はたけカカシ、恋人?」


なんだか壊れた玩具のようになってしまった彼を不安に思いながらも、再度首肯する。
すると彼は、ひどいじゃないか、なんていうような表情をして私の両肩を掴んだ。


「なんだ、やっぱり合ってたじゃないか・・・・・・! なら動揺するだろ! だって自分の恋人がこんな痕残されたんだから!」


言いながら私の首元を見やった彼は、できた痕が目に入ったんだろう、自分でしたことだというのに、申し訳なさそうに顔を苦渋の色に染めた。
僅かながらも話が見えた私は、しかしだからこそ何と言っていいものか悩み、口を噤む。
すると男性はそんな私を見て、呆然としたように呟いた。


「嘘だろ、まさか・・・・・・動揺、しないのか? 嫉妬しないのか・・・・・・!?」
「・・・・・・あの・・・・・・はい」
「・・・・・・そんな」


男性はがっくりと脱力してしまった。
事情は分からないが、私なんかにこんなことをするほど何かに追い詰められていた彼に、彼が望まぬ真実を突きつけるのは気が引けたけれど、しかし今さら、しかもよく分からないまま嘘を吐くこともできない。
かといってどう声を掛けたものかも分からず、おろおろとしていれば、彼は零すようにして呟いた。


「なんだ、何から何まで、敵わないじゃないか・・・・・・」


その声はまるで自分自身を責めているかのようだった。
あまりに情けなさそうに落とされた肩に、こちらまで眉が下がる。
私は彼に倣って地面に腰を降ろすと、力無く投げ出されていた手に自分のそれをそっと重ねた。


「・・・・・・」
「あの・・・・・・よければ話を、聞かせてもらえませんか?」


そろりと上げられた視線に、努めて明るく笑ってみせる。
彼はうるうると目を潤ませると、うん、と頷いてくれた。


「こんなことまでしておいて何も言わないなんてそんな薄情なこと、できないもんな・・・・・・」


そして彼は、ぽつりぽつりと話し始めた。


「俺の住む村、この間、木ノ葉に仕事を依頼したんだ。最近山賊に襲われる被害が出てて」
「はい」
「でも村の年寄り連中が、部外者に頼ることを嫌がって、それで木ノ葉への依頼も遅れちゃって・・・・・・俺たちの村は、また襲われた」
「・・・・・・」
「そんな真っ只中だったんだ、木ノ葉の忍が来てくれたのは。そして来てくれた忍たちの隊長が、はたけカカシだった」
「そうだったんですか」
「助けてくれたんだよ、あいつ。俺と俺の恋人が、山賊に襲われそうになってるとき。──そうしたら」


握りしめられた男性の手に、いったいその後何があったのかと唾を飲めば、彼は言った。


「それから俺の恋人、はたけカカシに夢中で、口を開けばあいつの話ばかりするんだ・・・・・・!」
「──えっ?」


真剣な表情で話にのめり込んでいた私は、その言葉に一転してぽかんとした。
彼は続けて、


「寝てもさめても、はたけカカシ、はたけカカシ・・・・・・もううんざりだ! 終いには俺、自分で持ってる畑に立てた案山子ですら、見たら苛々するようになってきて」


なんだか可笑しくなってきた話の行き先に瞬きながらも、だんだんと事情が理解できてくる。


「でも俺、はたけカカシに、同じような思い、させたくて」


「同じような思いって、そういう・・・・・・貴方がいま苦しめられているように、カカシ先生にも嫉妬させたかった、っていうことですか?」
「ああ・・・・・・あのとき、俺の恋人があんまり目輝かせてあいつを見るもんだから、別の忍が言ったんだ。はたけ隊長には恋人がいますよ、って」
「それで・・・・・・」
「それなのに、木ノ葉の奴らが帰った後も、俺の恋人、ずっとそのときの話ばかりしててさ。だから俺の恋人も、はたけカカシも、痛い目見ればいいって思ったんだ。もうそのことで、頭がいっぱいだった。・・・・・・それで木ノ葉に近づいてきたところで真っ先に、聞いた容姿をしたお前を見つけて、かっとなって」
「・・・・・・」
「逆恨みだよな、本当に。人違いじゃなかったからよかった、なんて話じゃまったくない。謝って許されることじゃないのは分かってるけど、本当にごめんな」


彼は先ほどとは違い、確かに私の目を見て謝ると、そうしてしっかりと頭を下げた。
ややあって、私は彼の肩に手を置く。


「顔を上げてください」
「・・・・・・」
「大丈夫です──気にしていませんよ」
「でも・・・・・・」
「痕って言っても、一生残るなんてものじゃないんですから。ね?」
「それは・・・・・・」
「心配なことがあるとすれば、それはこのことをもし知ってしまった恋人さんとあなたの関係が悪くなってしまわないだろうか、ということくらいですね」


頬を掻きながら苦笑すれば、彼はぽかんとしてから、まじまじと私を見た。
そして眉を下げて微笑う。


「・・・・・・お前、いい奴だな」


私は笑って首を横に振ると、


「あの、差し出がましいようですが、聞いても?」
「ああ。いまさら何も、隠さないよ」
「ありがとうございます。──その、恋人さんは知ってるんでしょうか? あなたがいい思いをしていないということは」
「それは・・・・・・そんなこと言うの格好悪いから、伝えてない。だから知らないと思う」
「格好悪くなんて、ないと思いますけど」


首を捻った私は、そうしてにっこり笑う。


「だってその気持ちを持つ理由は、あなたが恋人さんのことを確かに想っているからです。もちろん私は、詳しいことは分かりませんが、でもあなたのことを想っている、だから他の人のことをそうもよく言われると悲しいと言われて、格好悪いと思うなんてこと、ないと思いますよ」


言えば彼は、ややあって、そうかな、とぽつりと呟いた。


「・・・・・・俺、自分ではあんまりこういう感情持つこと、いままでなかったからさ。だからこういうの、伝えたら鬱陶しがられるんじゃないかと思って、なんとか抑えて、彼女の言うことに同意したんだ」


実際、と彼は続けて、


「俺だって、すごい格好いいと思ったし」
「はい」
「でもそしたら、なんか彼女、むっとしたんだよ。俺のそれなんて比じゃないと思ってるのかは分からないけど、そんな反応されたら、もう八方塞がりで」


話を聞いていた私は、すぐに頭に浮かんだ考えに、口を開いた。


「もしかして、彼女さんはあなたに嫉妬してほしかったんじゃないでしょうか」
「──嫉妬? 俺に?」


私は、はい、と苦笑混じりに頷いた。


わざと嫉妬心を煽ることは、褒められたことではないという考えもあるから、口にしていいかどうか迷うところでもあったけれど、でも先日サクラたちが言っていたように、嫉妬されれば、少なからず嬉しいと思う気持ちも確かにあるのだ。
度が過ぎれば大変なことにもなってしまうけれど、たいていそれらは可愛いもの、相手に向ける想い故なのだから。
もちろん、だからといってすべてがよしということではないけれど。


「これはあくまで私の勝手な考えで、だから数あるうちの一つの意見として聞いてもらいたいんですけど・・・・・・あなたがいままであまり嫉妬心を抱かなかったこと、彼女の言葉に同意すると、なぜだかむっとされたというお話を聞いたかぎりでは、そういった可能性もあるんじゃないかと思います」
「俺に、嫉妬してほしかった・・・・・・?」
「かもしれません。──だから、格好悪いと思わず、気持ちを素直に伝えてみるのも、一つの手かなと思います」


にっこり笑ってそう言えば、やがて彼も微笑った。


「俺、帰るよ。何も言わず出てきちゃったし」
「そうですか」
「でもその前に、はたけカカシに謝らないとな。お前は気にしないって言ったけど、やっぱり駄目だよ」
「いえ、本当に気にしないでください。カカシ先生は本当に大人な方なんですよ。それにいまは、任務で里を不在にしていて・・・・・・」


言えば彼は、そっか、と答えたものの、まだどこか迷う素振りを見せている。
私は、そういえば、と口を開いた。


「カカシ先生に謝ってくれると言うなら、私もあなたの恋人に、謝りにいかなければでしたね」
「えっ、お前が? どうしてだよ。お前は何もしてないだろ?」


私は、とんでもない、というように首を横に振った。
そして首元に手を当てると、悪戯げに笑う。


「私なんかを相手にこんなことをさせて、すみませんでした、って謝らないと」


その言葉にぽかんとしていた彼は、ややあって噴き出すようにして笑った。


「変な奴だな、お前」




それから自宅へと戻ってきた私は、玄関の扉を開けたところで、並べられてあった靴に目を開く。
はっとして顔を上げれば、廊下の先、居間から光が漏れていて、私は顔を輝かせた。
扉を閉め、靴を脱ぎ、廊下に上がったところで、居間の扉が開かれる。


「──カカシ先生!」
「お帰り、名前」


頬を緩める先生に、私も笑う。


「任務は明日まで掛かる予定だったんじゃ──って、ま、待ってください、私いま修行してきたところで汚れて──」
「駄目。ほら──抱きしめさせて」
「せ、先生」
「はー・・・・・・久しぶりの名前。落ち着く」
「・・・・・・」


腕を引かれて、抱きしめられて。
最初こそ少しだけ抵抗したものの、ぎゅうとその腕の中に閉じこめられてそんなことを言われまですれば、抗うことなんてできない。
カカシ先生と一緒にいるといつも感じる胸の高鳴りは、いつになっても苦しくて、いつになっても幸せで堪らない。


(カカシ先生大好き・・・・・・)


先生の胸元の服を小さく握れば、先生はさらに私を抱きすくめ──そして唐突に、私の肩を押し離した。
瞬けば、目を開いた先生はまじまじと私を見る。


「・・・・・・修行?」
「えっ?」
「演習場で?」
「ああ、えっと──はい」
「・・・・・・誰かと組み手とかした?」
「いえ、一人でですけど・・・・・・」


質問の意図が分からなくて困惑していれば、先生はややあって、そっか、とにこりと笑った。


「ごめんね、わがまま言って、こんなところで抱きしめたりして」
「あの──いえ」
「お風呂、沸かしてあるよ」


そう言うとカカシ先生は、ほらほら、と浴室まで私を案内する。
なんだか様子が可笑しいようにも思えたが、私はひとまずお言葉に甘えることにしたのだった。


──それから体を綺麗にし終え、バスタオルを巻くと洗面台の前に立った私は、見えた首元の鬱血痕に、そういえば、と目を開く。
自分でも些かどうかと思うが、予期していなかったサプライズが嬉しすぎて、頭の中から抜けていた。
濡れた髪を乾かしながら、どうしようかなと考える。


この痕は、数日経ったら消えるようなものだ。
それに彼の話も、もう解決したことだし、元々何か危害が加えられるような話とはまるで違う。


それに普通にしていれば髪で隠れていて見えないし、特段言わなくても──と、そこまで思ったところで脳裏に浮かんだいつかの光景に、私はぼっと顔を赤くさせた。


(・・・・・・きょ、今日、今日・・・・・・する、のかな)


じわりじわりと這い上がってくる熱に、私は堪らず、ドライヤーのスイッチを温風から冷風に切り替える。


──する、のだと思う。
だってこうして会えることになった日は、たいていのことがないかぎり、その・・・・・・して、いるから。


(で、でも、もししなかったら・・・・・・)


いや、別にしなくたって、この痕のことを言ってもいいのだとは思うけれど、なんだか期待していたようで自分が恥ずかしい。
・・・・・・まあ期待してないと言えば、嘘になるけれど。


(──って、私の馬鹿・・・・・・!)


ドライヤーを置くと、熱くなった頬をばちんと両手で叩く。
すると居間の方から不思議そうな声が掛けられた。


「名前、どうかした?」
「な、なんでもないです・・・・・・!」


言うと、私は服を着る。
どぎまぎしながら居間へ戻れば、カカシ先生は私を見やって、おや、と目を開いた。


「顔赤いね。上せちゃった?」
「い、いえ。大丈夫です」
「そう?」


私は頷くと、ソファの上、カカシ先生の隣に腰を下ろそうとして、しかし腕を取られた。
先生の脚の上に、向かい合うように座る格好になって、どきりとする。


「せ、先生」
「んー・・・・・・」


カカシ先生は私の髪に顔をうずめると、そして息を吐いた。


「はー・・・・・・名前の匂いだ」
「え?」
「いや、なんでもないよ」


不思議に思ったが、どうやら先生は答えるつもりはないらしく、そのまま私のことを抱きしめている。
私はどぎまぎとしながら先生の肩に手を当てると、


「カカシ先生・・・・・・その、聞きたいことがあって」
「ん? なに?」
「・・・・・・っ」
「名前?」
「その・・・・・・今日って・・・・・・し、しますか?」


そのまま抱きしめていてほしい、顔を見ないでほしいと思ったけれど、願いはむなしく、カカシ先生は驚いたように私を見た。
真っ赤になっているであろう私のことを見やると、すっと顔を寄せる。


「・・・・・・駄目だった?」


私は恥ずかしくて堪らなかったが、答えが分かっただけでもその分安心できて、首を横に振る。


「言っておきたいことがありまして」
「言っておきたいこと?」


頷くと、そして左側の髪を耳に掛け、横を向いた。
これで付いている痕がカカシ先生に見えたはずだ。
自分から行為の話を始めたことが恥ずかしくて、私は先生から目を逸らしたまま、早口で経緯を説明していく。
その間カカシ先生はずっと黙って私の話を聞いてくれていた。


「それで、その人も最初からずっと、こんなの駄目だって思っていたみたいで、しきりに謝ってくれてて」
「・・・・・・」
「数日経ったら消えるとは思うんですけど、もし見えたら先生に、傷か何かかと心配掛けてしまうかもしれないとも思いまして」
「・・・・・・」
「あの・・・・・・」


話し終えたところで、そろそろと視線を上げた私は、そして瞬いた。
先生はやけに、にこにこと笑っていたのだ。


(・・・・・・あれ、なんか──)


嫌な予感が──と、思ったところで、先生は口を開いた。


「そっか」
「・・・・・・せ、先生?」
「分かったよ」


にこりと笑う先生に、私はほっと安堵の息を吐いた。


感じた違和感は、私のただの勘違い。
そうだ。だっていまの話に、先生が何か思うところなんてないんだから。


「名前がまだまだ何も分かってない、っていうことがね」


すると言われた言葉に、私はぴしりと固まった。
恐る恐るカカシ先生を見やれば、先生はまたにこりと笑う。
無意識のうちに体を引けば、しかし先生に腕を取られる。


「どうしたんだ、名前? そんな離れようとして」
「あの・・・・・・先生?」
「いやーでも、そうか。なるほどね。だから帰ってきたとき名前から、嗅ぎ馴れない匂いがした、ってわけ」
「に、匂い?」
「そう。こうやって──強く抱きしめないと染み付かないほど、微かなもの。ほら、俺って結構、鼻が利くから」


ぎゅうと私を抱きしめてきたカカシ先生は、そして私の左耳に髪を掛け直した。


「・・・・・・せ、先生──、っ!?」


まじまじと痕を見ているらしい先生のことを、恐る恐る呼びかければ、その瞬間ちらりとそこを舐められた。
そのまま噛まれて、あるいは吸われて、また舐められる。


「・・・・・・っ、せん、せい」


そこは耳元に近くて、舐められる度、いやらしい水音が聞こえた。
鼓動が速まり、熱が上る。


さっきから、先生の雰囲気が、いつもと違う。


「カカシ、先生」
「・・・・・・」
「先生──」
「・・・・・・こんなこと、させたの?」


その問いに、私はふるふると首を横に振った。


「ち、違──こんなのじゃ」
「でもさっき、そう言ってたでしょ。現にこうして、痕も残ってる」
「そ、うですけど──でも」


言い差して、耳元に上がってくる口付けに、私は小さく息を呑むと口を噤んだ。
耳朶を舐められ、柔く食まれる。
ぴちゃぴちゃと耳元でする水音に、私はただカカシ先生の服の裾を握ったまま震えて終わりを待つしかなかった。


「・・・・・・ねえ、名前」


掠れた声で名前を呼ばれて、私はぴくりと肩を揺らす。
カカシ先生は近い距離で、私の瞳を覗き込むようにして見た。


「・・・・・・こんな顔、そいつに見せたの?」
「こ、んな顔、って」
「・・・・・・やらしくて、可愛い顔」
「──!」


私は、ぼっと顔を赤くさせると、首を横に振る。


「し、してない。見せてません」


しかし、言うも先生はくすりと笑う。


「どうかな。名前は鈍いから」
「ほ、本当に──」
「その話をしても、俺が何も気にしない、って思ってるくらいだからね」


えっ、と私はカカシ先生を見やった。
にこりと笑む先生のその笑顔に、しかし脳裏では警鐘が鳴っている。


(あ、あれ、もしかして先生・・・・・・すごく、怒ってる?)


「──ご名答」


先生は私の考えを読んだかのようにそう言うと、そして私のことを抱き上げた。
わっと思わず首元に手を回してから、先生が向かう先に気づいた私は、慌てて声を上げる。


「ご、ごめんなさい。すみませんでした!」
「よく分かってないまま謝るのは、よくないんじゃない?」
「分かりました! えっと、えっと、また自分の体に無頓着で、だから──」


焦りながら言葉を繋いでいったところで、寝室に着き、ベッドの上に軽く放られた。
体を起こそうとしたところで、カカシ先生が覆い被さってくる。


「せ、先生」
「確かに前よりは、分かるようになったみたいだね」
「なら──」
「でもまだ駄目だよ。全然駄目」
「えっ」


にべもない返答に固まれば、先生は妖しく微笑った。


「・・・・・・名前が俺のだ、ってこと、まだ全然分かってないでしょ」


言って先生はにこりと笑う。


「変に他の連中を意識されるのも嫌だったけど、もう少し名前にも、理解してもらわないとね」
「カ、カカシ先生のお手を煩わせるわけには──」
「いいのいいの」


最後の抵抗とばかりに伸ばした手は、しかし先生に取られ、指を絡めて繋がれてしまった。


「俺、名前に教えるの──好きだから」






──とある日のこと、カカシ先生と穏やかな休日を過ごしていた私は、届いた便りを見て目を開いた。
それは先日、私を抱きしめるという苦行を行わせてしまったあの男性からの手紙だった。
そこには彼女と本音を言い合ったことや、それにより仲が深まったこと、お礼の言葉や、今度カカシ先生と二人で村へ遊びにきてほしい、というようなことが書かれてあって、私は頬を緩める。


(・・・・・・よかった。仲良くやってるんだ)


あのときの彼のくるくる回る表情を思い出して、くすりと笑いかけた私は、しかしすぐにその夜のことが脳裏に浮かんでしまって、息を呑んだ。
熱くなってくる頬を扇いでいれば、隣に座っていたカカシ先生がひょいと手紙を覗き込む。


「顔赤くして、どうしたの?」
「えっ。えっと──その」


思わず──いまはもうない──痕があった首元に手を触れればカカシ先生は、ああ、と目を開いた。


「もしかして、あのときの」
「は・・・・・・はい」
「・・・・・・夜のこと、思い出しちゃった?」
「──!」
「それで、顔赤くしてるんだ」


言い当てられて、言葉もない。
先生はくすくすと笑うと、私のことを抱きしめてきた。
耳元で囁く。


「・・・・・・いつももそうだけど、あのときも・・・・・・すごく気持ちよかったね」
「──!!」
「顔真っ赤。本当可愛い」


ぎゅうぎゅうと抱きしめられて、私は先生の胸元に、熱くなった顔をうずめる。
そうすれば先生はさらに笑って、そして頭を撫でてくれる。
私は火照った息を吐き出すと、ぽつりと言った。


「・・・・・・私が」
「ん?」
「私がこんなになるのは・・・・・・カカシ先生だけですからね」


頭を撫でてくれていた手が止まる。
先生は私のことを少し離すと、それでも近い距離で、私を見つめた。


「・・・・・・本当名前って、俺のこと煽るの上手いよね」
「・・・・・・」
「これで無自覚なんだから、恐ろしいよ」


ね──と、先生が私の手を取り、指を絡める。
どきりとすれば、先生は言った。


「そう言うなら──今度は名前が、俺に教えて?」


心臓の音が、うるさい。
先生のもう一方の手が後頭部に当てられ、引き寄せられる。
私はどぎまぎとしながら、先生の頬に手を当てると、自ら顔を近付けた。



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