私は目を開いた。
視界の先、佇んでいる大好きな人の背中を認めて、顔を輝かせる。
「カカシ先生」
しかし声を掛けたのに、カカシ先生はまるで振り向いてくれない。
聞こえなかったのだろうかと首を傾げ、足を踏み出して気がついた。
ああ、ここ──過去だ。
左目で何度か見たから、分かる。
ここは木ノ葉の共同墓地だ。
そしてカカシ先生は、慰霊碑の前で仲間に、友に祈りを捧げている──過去の自分を、責めている。
初めてこの過去を見たとき、私はカカシ先生が任務の集合時間に遅刻してきていた理由を知った。
その後、先生の口から直接教えてもらったけれど。
私はいつものように歩みを進めると、先生の隣に寄り添った。
触れられないと分かっているが、それでもその背中にそっと手を添える。
「先生、私は──」
そしていつものように誓おうとしたときだった──突如として、過去を見る前の暗闇の空間に戻されて、私は瞬く。
軽く頭を振ると、目元を押さえて首を傾げた。
(可笑しいな・・・・・・なんか調子悪いのかな)
思いながら、残っていた一つの光に向かって歩き出す。
手を伸ばし、全身を光に包まれながら、そういえば、と思った。
(私どうして、過去を──)
思い返そうとしたとき、見えた光景に、私は固まった。
大広間のような場所で、人が大勢、倒れている。
そしてその中央に座り込んでいる人影を認めたとき──記憶が蘇って私は駆け出した。
「しっかりして!意識を保って!」
その人物──私自身に、私は声を上げる。
言ったところで声が届かないことは分かっていたが、せずにはいられなかった。
(そうだ、任務、邯の国──クーデター!)
ラナ様を送り出した私は、時空眼を解こうか解くまいか迷っていた。
解けば体を苦痛が襲うが、長く解かなければそれだけ負担が蓄積される。
「分かった。一人で行く。そして必ず助けを連れて戻るから、待っているのだぞ!いいな!」
ラナ様の言葉を思い出して、そして私は、時空眼を解かないことに決めたのだ。
だけど解いていないのに喀血するし、体は辛くて、視界はぼやけて、私はひどく焦っていた。
──必死で、カカシ先生のことを想っていた。
「そのまま、堪えて!──立てた誓いを忘れないで・・・・・・!!」
今も、このときも、私の脳裏に浮かんでいるのは、佇むカカシ先生の横顔だ。
もうあんな顔、させちゃいけない。
もう二度と、喪失を味わわせちゃいけない。
だから──だから、私は。
「死んじゃ駄目──生きて・・・・・・!!」
叫びを上げたときだった──背後に気配を感じて、振り返った。
するとそこにはサクラとラナ様がいて、私は顔を輝かせる。
だが二人の顔が、こちらを向くと凍りついた。
再び自分を振り返った私は、瞠目する。
先程まで確かに座り込んでいた自分は、しかし今や、床に倒れ伏せていた。
「──・・・・・・」
駄目──と、叫ぼうとしたとき、私は目を覚ました。
心臓が早鐘を打っている。
天井を眺めて、そしてがばりと起き上がった。
腹がずきりと痛んで、眉根を寄せるとそこを押さえる。
(痛い・・・・・・)
思うと私は、手を握りしめた。
(痛い、過去でも未来でも夢でもない──現実だ!生きてる!)
飛び上がらんばかり高揚していたけれど、何とか抑えて、手を組み合わせる。
(サクラ、ラナ様、皆・・・・・・ありがとう)
きっと自分の命を繋いでくれたであろう人たちの姿を思い出すと、心中で何度も礼をした。
(今のは・・・・・・夢、だったのかな)
時空眼を開眼したままだったとは思えないし、何より過去を見ていたとも──と、そこまで思って私は軽く首を振った。
辺りを見回して、ここが詰所の一室であること、今が深夜であることを確認する。
立ち上がると、顔を洗ったりしてから、巻物がある部屋へと向かった。
卓に置かれたままの巻物にほっと息を吐くと、チャクラを込める。
しかし通信は繋がらなくて、私は息を落とした。
(・・・・・・そりゃそうか、深夜だもんね)
あれからどれくらい、経ったんだろう。
私がこうなったことについて、カカシ先生にもう報告は上がっているんだろうか。
「──繋げなくても、大丈夫だよ」
思ったときだった──背後で聞こえた声に私は、えっ、と振り返った。
そこに立つ大好きな人の姿に、何度も瞬く。
「カカシ先生──」
どうしてここに。
さっき、現実だって確認したばかりなのに──と、混乱している私を余所に、カカシ先生は扉を閉めると、そして私の前に膝を付いた。
優しく腰を引き寄せると、私の胸元に耳を当てる。
驚きながらも、そこへと意識がいって気づいた。
(・・・・・・鼓動)
胸が締めつけられるようになって、私はそっと、胸元にある銀色の頭を撫でた。
「カカシ先生・・・・・・心配掛けて、ごめんなさい」
「・・・・・・」
「あの・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・そのまま、何でもいいから、話してて」
「え・・・・・・?」
「声・・・・・・聞かせて」
「あの──はい」
私はこくこくと頷くと、とりとめもない話をし始めた。
巻物を通じてでは話し足りていなかった、邯の国に来てからのこと──街の様子や、ラナ様とのこと、ナルトたちの話など、話題はあちこちに飛んだけれど、カカシ先生は一つも口を挟まずただ私を抱きしめていた。
話は宰相との戦闘のことに移り、時空眼を開眼したことを謝ると、そして言った。
「そのときの体の状態で開眼することは・・・・・・正直言って、一か八かっていうところだったんですけど・・・・・・でも絶対負けるもんか、って思ってたんです」
「・・・・・・」
「一族のことを侮辱されて、嫌だった。同じ一族であっても、それは皆、私とは違う人たちだし、それに私は自分の一族がしてきたことを誇りに思っています。だから」
言って私は、でも、と苦笑するように笑う。
「やっぱり、苦しくて・・・・・・カカシ先生や皆に、怒られちゃうな、って思ってました」
「・・・・・・」
「でも、悲しませちゃうなと思って──そんなこと、させたくない、って強く、思いました」
「・・・・・・」
「ずっとカカシ先生のことを想ってました。もう二度と、悲しい思いなんてさせないって・・・・・・でも、視界はぼやけるし、感覚はなくなっていくし・・・・・・もう、先生、に」
声が震えて、私は閉口した。
カカシ先生はそっと離れると、私を脚の間に座らせる。
見上げれば、頬に手が当てられた。
優しく瞼に口付けられて、涙が零れ落ちる。
私はカカシ先生を見上げると、涙を流しながら笑った。
「もう先生に、会えないかと思いました・・・・・・また会えてよかった」
「──おいで、名前」
その言葉に、私は先生の首元に手を回した。
ぎゅうと抱きつけば、抱きすくめられる。
温もりが、ただただ愛しくて、暫くの間そうしていたように思う。
やがてカカシ先生がぽつりと呟いた。
「・・・・・・名前が死んでたら、俺も死んでたよ」
クーデターが起きる前の日の夜にも聞いたような言葉に、私は目を開いた。
カカシ先生は私の頭を撫でたまま、
「俺は火影で、里を放って死ぬことなんてできないから、きっと名前がいなくなった後も、六代目火影は在り続けたよ。でも絶対に、俺の中の何かが死んでた」
「カカシ先生・・・・・・」
「報告を受けて、名前のことを聞いた瞬間から、心の中がずっと二分してた。いたって冷静に仕事をし続ける六代目火影のことを、もう一人の俺が見てた」
「・・・・・・」
「報告の鳥が飛んでくる度、嫌な予感がして堪らなかった。部屋の前で入るのを躊躇してる気配を感じたり、逆に走ってくる足音を聞いたときは、どうにかなりそうだった」
「・・・・・・」
「名前が死んだら、そのもう一人の俺も死んで、まずは相手の男を俺手ずから、また殺しに行ってた。そして名前を、捕まえにいってたよ」
「先生・・・・・・」
「ごめんね。どこまでいっても、離してあげられなくて」
私のことを抱きしめる先生の手に力が籠もる。
ややあって、私は口を開いた。
「・・・・・・そっか」
「・・・・・・?」
「それもあって、私、戻ってこれたんですね」
私は少し離れると、カカシ先生の頬を包んだ。
その目を見つめると、にっこり笑う。
「だって私を追いかけにきてくれる先生も、そのまま生き続ける先生も、全部、カカシ先生です。誰にも譲ってあげません」
カカシ先生は僅かに目を開いた。
「・・・・・・カカシ先生のことは、誰にも譲ってあげません」
「・・・・・・ね、帰ってきたらもう一回、言ってくれる?」
目を細めると、私の頬を撫でる。
「うん・・・・・・そうだよ。俺のこと、離しちゃ駄目だよ、名前」
私は、はい、と笑ってまたカカシ先生のことを抱きしめた。
「俺は名前のこと、離さないから」
私はもう一度、はい、と言った。
ぎゅっと抱きしめ合って、すると先生が息を吐くと呟く。
「あー・・・・・・なんか、やっと元の俺に、戻った気がする」
私はくすくすと笑うと言った。
「おかえりなさい、カカシ先生」
「・・・・・・ただいま、名前。・・・・・・可笑しいね。俺の方が、迎える予定だったのにな」
そう呟いた先生に、私はさらに笑ったのだった。
それからは私の話じゃなくて、今度はカカシ先生の話を聞いていれば、いつのまにか夜は明けていた。
先生たちは、砂との会談からの帰り道、予定を変更して邯の国に寄ってくれたのだという。
そして朝になって、姿を見せれば、特にラナ様が大泣きしてしまった。
──それから邯の国の復興のため、私たちはもう少しの間滞在することになり、カカシ先生たちは先に里へ帰ることになった。
今は先生を見送るため、山の中を二人、歩いているところだ。
「あのお姫様、俺のことが好きだった、って言うけど、もう大分過去形だよね。今は名前にべったりでしょ」
「照れてるんですよ」
「本当名前って、自分に関するものは、どんな種類のものでも鈍いよね」
え、と目を開けば、先生はくつくつと笑う。
そして緩やかな曲がり角にある四阿に着くと、ここまででいいよ、と言って笠を被った。
私はきょろきょろと辺りを見回すと、窺い見るようにして先生を見上げる。
「カカシ先生、今も暗部の方はついてるんですか?」
「いや、今は俺には、ついてないよ」
「そうですか。まるで音が聞こえないから、余程すごい遣い手なのかと」
笑って言えば、先生は首を傾げる。
「暗部が、どうかした?」
「──あの」
私は小さく拳を握ると、そして内緒話をするように手を添えて何かを言おうとした。
カカシ先生が不思議そうにしながら、屈んで顔を寄せてくれる。
しかしそれでも聞こえないので、先生は私を見た。
「名前?なに──」
言い掛けたカカシ先生の言葉が、重なった唇によって、途切れる。
ややあって離れれば、先生は目を開いて固まっていた。
私は、はにかむように笑う。
「・・・・・・特訓の成果、です」
すると先生は私の腰を引き寄せた。
口布を下ろし、笠で陽を遮るようにすると──唇が重なる。
ややあって離れたけれど、腰に回された手はそのままで、距離は近い。
「・・・・・・ねえ名前、俺が我慢してたの、分かってる?」
「我慢、ですか」
「無理させちゃいけない、って我慢してたのに。名前はキスだけでも──いつまで経っても顔、赤くしちゃうから」
そっと頬を撫でられる。
私は唇を引き結ぶと、先生を見上げた。
「・・・・・・いつまで経っても、先生のことが・・・・・・大好き、なので」
先生は軽く目を開くと、そして笑った。
口布を上げると、今度は額に口付ける。
「ね、名前、里に帰ってきたら、覚悟しててね」
「えっ」
「その頃にはもう、怪我も全快してるでしょ?──たっぷりどきどきさせてあげるからね」
耳元で囁かれた言葉に、私はぼっと顔を赤くさせる。
先生は笑うと、
「ほら、まだ本調子じゃないんだから、そんなに血行良くしてちゃキツいよ」
「そ、れはカカシ先生が」
「うん、俺のせい。ごめんね」
「思ってないですよね・・・・・・そ、それに全快したとしても、あの、お手柔らかにお願いできれば・・・・・・」
「それは駄目。だって名前は俺に手加減してくれたことなんてないでしょ?」
「だ、だって手加減なんてする余裕ないですし、それにしなくたって私のそれは効果が弱いというか」
言うも、カカシ先生はただくつくつと笑う。
そして優しい眼差しを私に向けた。
「名前、俺、待ってるからね」
「・・・・・・」
「今度こそ俺に、おかえりって、言わせてね」
私は、はい、と頷いた。
笑って、手を振り合うと、先生は麓の方へ、そして私は宮殿を目指して歩き始める。
詰所の辺りまで来たところで、ぱたぱたと軽い音を立ててラナ様がサクラと駆けてくるのが見えた。
ラナ様は私を指差すと声を上げる。
「あーっ、名前、顔が赤いのじゃ!いったいカカシ様と、何をしていたのじゃ?」
「えっ」
「それ、私も気になる」
「サクラまで──ほら、もう、戻ろう」
言って宮殿の方を示せば二人は揃って、誤魔化した、と顔を見合わせて笑う。
熱い頬を掻きながら、そして私も笑ったのだった。
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