今までに見たことがない顔をしたヨウの前に名前が立ちはだかってラナは、はっとした。
少しの沈黙が流れる。
固唾を飲んで見守っていれば、名前がクナイを振った。
床を蹴ったヨウが離れて、そして名前もラナを抱き抱えると、さらに後方へと飛び退く。
「名前──」
自分を抱える忍の名を呼びかけたラナは、そして瞠目した。
腹を押さえる名前の手の隙間から、赤いものが流れていた。
名前はラナを降ろすと、大丈夫ですよ、と笑う。
するとヨウが大きく笑った。
「ついに、ついにだ!」
睨みつける名前に、ヨウは両腕を広げて声高らかに言う。
「名字一族・・・・・・俺はお前たちが、ずっとずっと憎かった!」
「・・・・・・」
「クーデターなんて、もうどうでもよかった。阿呆な豪族連中も、それに従う馬鹿な家臣共も、国を乗っ取って一族を繁栄させようという同族たちも全員、うるさくてかなわなかったよ。それどころじゃなかった。こっちは第四次忍界大戦後、お前たち一族の記憶が戻ってからというものの、憎悪の炎で身が焦がれそうだったからな・・・・・・!」
言ってヨウは、だが、とにやりと笑う。
「今日、俺の手で以て、お前たち一族は真の意味で姿を消す!時空眼は途絶える!至高の瞳術だ、などという耳障りな風聞を聞くことももうあるまい。真に優れているのは私の方だ!」
「何が・・・・・・何がじゃ、卑怯者!!」
「卑怯者、だと?」
涙ながらに叫んだラナの言葉に、ヨウが不快そうに眉を上げる。
だがその視線に臆さずラナは続けて声を上げた。
「正々堂々戦わずして、何を勝った気分になっているのじゃ!お前なんか、名前の足元にも及ばない。勘違いも甚だしいぞ!」
「ラナ、どうやらお前もすっかり手玉に取られたようだな。こいつら一族は皆そうなのだ。だが前に教えただろう?こいつら一族は下賎な者だ。惑わされてはいけないよ」
「違う、違う、それはお前の嘘だった・・・・・・!今はもうそんなこと、思っていない!」
「さて、どうかな。無知な姫は騙されやすい」
「この子が悪いような言い方をするな」
名前はその目に強い光を宿してヨウを見据える。
「信じた方が悪いとでも言うつもりか。まだ幼い子が、身近な人間の言うことを信じて何が悪い」
名前は言うと、ラナとヨウを見比べて笑った。
「この子の方が、ずっとよくものを分かってる」
「何だと・・・・・・?」
「優れているのは自分の方だとこれで証明できた、なんて勝ったつもりになっているようだが、たとえ私を排したところで、お前の評価がどうなるわけでもない。たとえ周りがどうなろうと、お前は変わらず、卑怯者のままだ!」
「減らず口を──」
ヨウが額に筋を浮かべたときだった──名前は唐突に、ポーチの中から発煙弾を取り出すと、窓の外に向かって発射した。
何を、と不審そうに眉を顰めるヨウに、名前は笑う。
ややあって僅かに聞こえてきた雄叫びに、ヨウは瞠目する。
名前は言った。
「宰相、お前は国王派の傭兵たちを式典の警護から弾き出していたな。彼らは結界の外にまで出されていた──が、たった今、その結界も壊された。──反撃開始だ」
「まさか今のは、それを仲間に知らせるために・・・・・・私たちと戦いながら、ずっと外の様子を窺っていたというのか・・・・・・!」
ヨウはゆらりと俯いた。
ぶつぶつと何かを呟いている。
「ムカつくんだよ・・・・・・お前たちのそういうところが、私は──ずっと」
ラナは小さく名前の服の裾を引いた。
「ま、まずいぞ名前、ヨウの奴、様子が可笑しい」
「はい、決着をつけます。目を瞑っていてくださ──」
「ううん、もう、見ないことはやめにする。きちんと見届ける・・・・・・!」
「・・・・・・分かりました」
「じゃがそれより名前、お前は怪我を──万が一のことがあったらどうするのじゃ?結婚するのじゃろう!?それなのに・・・・・・!」
名前は優しく微笑うと、真摯な眼差しをラナに向けた。
「それでも、私たちは──忍ですから」
ラナは言葉を失った。
名前はもう一度にこりと笑うと、立ち上がる。
ぽたぽたと血が滴り落ちた。
顔を上げたヨウが昏い目を名前に向ける。
「そんな体で何ができる・・・・・・時空眼も連発して、ろくに動かないんだろう。そんな使い勝手の悪い瞳力がなぜ持て囃されるのか、甚だ疑問だ」
「なら、見せてやる」
「──あ?」
「お前が下賎と言った一族が持つ瞳の力を、見せてやる」
色を失った唇から漏れる息は震えており、血を流したせいで顔色はもはや青白い。
だがそんな中でも、見据える瞳に宿る光だけはあまりに強く、逸らすことができなくて。
ヨウは唇を噛みしめた。
「上等だ!なら見せて──」
名前が瞬いた。
次に見えた瞳は、白緑色をしていた。
ヨウは瞬いた。
次に目を開いた瞬間、目前に、名前の姿があった。
「──・・・・・・ッ、が・・・・・・?」
ヨウは、何が起こったのか分からなかった。
体に何か衝撃が走ったような気はした。
また瞬けば、名前の姿はそこにはなく、ただ遠くに、目に涙を讃えたまま、それでもしっかりとこちらに目を向けるラナの姿が見えた。
首元を温かい何かが伝って、ヨウは手をやった。
視界に翳せば、掌は血に濡れている。
「何──」
体から力が抜けて、抗えないままヨウは倒れ込んだ。
天井を見上げる形になって、すると自分を見下ろす名前の姿が見える。
ヨウは混乱していた。
時空眼に制限を掛けた術者は、それと同時に命を落とした。
術者が死ねば、当然掛けた術も効力を失う。
だがラナを狙うときだけ時空眼を封じられれば、それでよかった。
名前の体力を、命を削っている感覚は存分にあったから、その後時間を止められたところで、もはや名前に、自分の首を斬る力など残っていない──そう、ヨウは思っていた。
げんに──と、ヨウは先ほど自分がクナイを突き立てた名前の腹部に目をやった。
そして瞠目する。
そこからはもう一滴の血も流れていなかった。
「傷の時間を、止めて・・・・・・いや、巻き戻したのか?」
名前は何も答えなかった。
ただその瞳を、ヨウに据えている。
「最期に見るのが、時空眼、とは・・・・・・な」
──ヨウは絶命した。
名前は膝を折ると、その瞼を下ろさせる。
振り向くと、歩いてきた名前に、ラナは弾かれたように駆け出した。
「名前、大丈夫か!?」
「ラナ様──」
「すごい、こんな、たくさんの──いや、今はとにかく──」
言い掛けて、ラナは瞠目した。
唐突に咳き込んだ名前が口元に当てた手から、ぼたぼたと血が零れ落ちた。
床に膝をついた名前はさらに咳き込む。
ラナは駆け寄ると、
「なんで──どうして。怪我は、消えたのに」
「ラナ様、汚れて、しまいます」
「そんなこと、どうだってよい・・・・・・!」
かぶりを振ったラナに、名前は優しい眼差しを向けた。
そして頭を下げる。
「ごめんなさい、私はこれ以上、お供することはできません。私の術は変わらず掛けますし、戦闘音も近くではもう聞こえませんから大丈夫だとは思いますが・・・・・・面目ないです」
ラナはまたかぶりを振った。
名前の様子を見ると、決意する。
「分かった。一人で行く。そして必ず助けを連れて戻るから、待っているのだぞ!いいな!」
名前は僅かに目を開くと、明るく笑った。
「ありがとうございます。ごめんなさい」
ラナは首を横に振ると、名前の手をぎゅっと握りしめてから、駆け出した。
言いたいことは、まだまだあった。
ごめんなさいではないだろう──とか。
守る側から逆に助けてもらうことを申し訳なく思っているのだろうが、これまで何度も守ってくれたではないか──とか。
だがそれは、今すべきことじゃない。
そしてラナに名前は支えられない。
安全なところまで連れて行くことはできない。
治療を施してやることはできない。
けれど、走ることならできる。
助けを呼ぶことならできる。
廊下には点々と衛兵たちが転がっていたが、臆することなど少しもなかった。
名前はいないが、名前の術が、すぐ傍にあったから。
「──ラナ!!」
戻ったラナの姿を一番に見つけたのは、母親だった。
「無事だったのね・・・・・・!」
「名前が、守ってくれたんじゃ・・・・・・!でもその代わり、名前が・・・・・・!」
母親の元に戻ることができ、ラナは泣いてしまいそうになったが、なんとか堪えると必死で伝える。
目の色を変えたサクラが、ラナに問う。
「名前はどこに?」
「謁見の間じゃ」
「──サイ!サクラちゃんを連れてってくれ!」
声を上げたナルトの姿に、ラナは瞠目した。
オレンジ色をした衣のようなものが、ナルトの体を覆っている。
知識の範疇外のそれに、しかし恐怖は抱かなかった。
むしろひどく安心する。
空が陰った。
見上げれば、白黒の鳥が太陽を覆い隠している。
飛び乗ろうとするサクラの脚に、ラナはしがみついた。
「私も連れていってくれ・・・・・・!」
サクラは驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
サクラが王妃に任せて欲しいと言う横で、ナルトが笑ってみせる。
「名前のこと、頼んだってばよ」
サクラがラナを抱えて、低空飛行した鳥に飛び乗る。
「サイ、謁見の間までお願い!名前が危ないらしいの!」
「分かった」
言うと鳥は速度を上げる。
サクラはラナに覆い被さるようにしながら、
「助けを呼びに来てくれて、ありがとうございます。大丈夫、私は医療忍者なの。名前のことは、必ず私が助けるわ」
ラナは、うんと頷いた。
不意に数日前の名前との会話が思い出される。
ナルトたちが何もしていないとラナが文句を言ったとき、名前はそんなことはないのだと言った。
そして笑って言ったのだ──自分たちの仲間はすごい忍ばかりなのだと。
(ああ、そうだ──そうだな、名前)
思ったとき、ラナは再びサクラに抱えられ、ラナが走ってきたときよりも大分早く謁見の間に着いた。
衛兵たちや宰相が倒れる部屋の惨状に、サクラが息を呑む。
そしてその中に同じように倒れ込む名前の姿を認めて、二人は叫びを上げた。
伝令の鳥を扱い、暗号化された文を読み解く忍の者が、青ざめた顔でやってきて、シカマルは血相を変えた。
「どうした」
「うずまきナルトらが行っている邯の国から、サイの鳥が飛んできました」
これを──と言って渡される文を、シカマルは受け取る。
開き、目を通すと、口元を覆った。
「おい、まじかよ・・・・・・」
そこには邯の国で起きたことが記されていた。
被害の状況、怪我人の数──そしてその中には名前の名もあった。
「意識不明の、重体だそうです・・・・・・」
色を失った顔で呟く忍に、シカマルはがしがしと頭を掻いた。
「あの、シカマルさん・・・・・・六代目には」
「ああ、俺から言う」
シカマルは言うと、六代目火影がいる別室へ向かって歩き始めた。
ここは砂隠れの宿の中だ。
会談を終え、各々部屋で休むことになったけれど、恐らくカカシはまだ仕事をしていることだろう。
色々なことを考えながら着いた部屋の前、シカマルは一つ息を吐いてから扉をノックした。
「──シカマルか。どうした?」
言いながら、カカシはシカマルを中に招き入れる。
見ればやはり卓の上には書類が広がっていた。
「六代目──邯の国から、鳥が来ました」
鳥、とカカシは言った。
それだけで恐らく何らかの異変が起きたことをカカシは察知しているだろう。
試運転している巻物を使い話す時間すら取れないということだ。
シカマルは文をカカシに渡した。
受け取ったカカシが、目を通す。
──六代目火影は、眉一つ動かさなかった。
いつもと同じく迅速に指示を出す。
「シカマル、里から小隊を二つ、邯の国へ向かわせるよう手配してくれ。木ノ葉の里は、邯の国の復興を支援する」
「分かりました」
シカマルは一礼すると、部屋を出た。
早鐘を打つ心臓が苦しく、シカマルは堪らず、息を吐く。
名前のことをカカシに伝えるのはひどく緊張したし、何よりシカマル自身、同期の仲間が心配なのだ。
(同期の俺でさえ、こうなんだ。カカシ先生は──)
蘇る、動揺一つ見せなかったカカシの姿に、シカマルは手を握りしめた。
そして里長からの命令を里に伝えるべく、廊下を急いだのだった。
0712