いよいよ式典を明日に控えた日、最後のリハーサルを終えたラナ様は笑顔で私の元まで駆けてきた。
「見ていたか、名前?」
「はい、ご立派でした」
頭を撫でれば、ラナ様は頬を緩めて笑う。
すると宰相がやってきた。
ラナ様はそれに気付くと、庇うようにして私と宰相の間に立つ。
長い黒髪の美丈夫は、くすりと笑った。
「どうした、ラナ?」
「ヨウ・・・・・・その、な」
言い差して、ラナ様は気遣うように私をちらりと振り返る。
宰相は、まあいい、とさらりと言った。
「式典が明日ということは、木ノ葉の方たちの任務も明日まで。悔いのないように過ごしなさい」
宰相の視線が私に移る。
目礼すれば、向こうも返し、そして宰相は去っていった。
「明日、まで・・・・・・」
ぽつりと呟いたラナ様は、ふんと顎を上げて笑ってみせる。
「そうか、名前、お前の顔を見るのも明日で終わりか。せいせいするぞ」
「私は寂しいです」
「──!」
「まあ本番は明日に控えているのでまだ気は抜けませんが、ラナ様のおかげでとても楽しい時間を過ごすことができました。ありがとうございます」
「・・・・・・当然、じゃ」
「次いつ会えるのかは分かりませんが、私はラナ様の成長が楽しみです。きっと素敵に成長されるんでしょうね」
「・・・・・・ああ、当然じゃ!名前なんてすぐに追い越すぞ!」
「はい、きっとすぐです」
ああ、とラナ様は目を伏せた。
「・・・・・・なあ、名前、木ノ葉の里は遠いのか?」
「そうですね、まあ、近くはないかと」
「そうか・・・・・・いや何、カカシ様に会いにいこうかとでも思ってな」
「ああ、なるほど。──本当は、六代目が来れたらいいんでしょうけど、里を離れられない立場ですからね」
「カカシ様が来れたらいいって、どういうことじゃ?」
「近くないといえど、忍の足なら、他の手段よりも早く着くことができますから」
「ほ、本当か?」
「はい」
「本当に、本当じゃな?言質は取ったぞ!」
首肯すれば、ラナ様はほくほくとした顔で笑った。
「──名前、報告の時間よ」
それから夜になり、ベッドの上でラナ様と話していれば、サクラがやってきて伝えてくれた。
頷いて向かおうとすれば、ラナ様が私の腕を取る。
「まだ話の途中だぞ!」
「すっかり仲良しね」
やってきたサクラがそう言う。
ラナ様は、はっとすると、ぷいとそっぽを向いた。
「そうではない。ただ名前が、昔旅をしていた頃の話をしてくれるというのに、中断しようとするから。巨大蛸が出てきたところでお預けなんて、続きが気になるぞ!」
「何その話。私も気になる」
言ったサクラに、私は軽く声を上げて笑った。
「それじゃあなるべく早く戻ってきますね。あんまり待たせて夜更かしさせてしまっては、明日に響いちゃいますから。サクラには、帰る道中話すよ」
言うも、ラナ様の顔はさらに曇った。
後ろ髪を引かれる思いではあったけれど、カカシ先生を待たせることもできないし、私に任せてとウインクしてくれたサクラにお願いし、私は詰所へ向かった。
一連の作業をすると、現れたカカシ先生の背景に、おやと目を開く。
見慣れた火影室ではないようだ──と、そこまで思ったところで、カカシ先生にも里を出る予定があったことを思い出した。
確か、砂隠れとの会談があったんだったか。
そんな私の思考に気付いたように、カカシ先生は言う。
「ここは砂隠れの里の、宿の中だよ。大丈夫、名前たちよりは先に里に帰る予定だから、おかえり、ってちゃんと出迎えてあげられるよ」
私は、楽しみです、と笑った。
カカシ先生は卓の上で組み合わせた手の甲に顎を乗せると、目を私に据える。
画面越しではあるけれど空気が違うことを嗅ぎ取って、改めて向き直った。
やがてカカシ先生は口を開いた。
「お姫様はその後、どう?」
「相変わらず可愛らしいですよ。それに──」
「・・・・・・それに?」
「自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の頭で考えようとしています。強く、賢い子です」
「そっか。今はその、成長途中なんだね。俺たちは忍だからまた別として、やっぱりそうした立場の方々は、普通とは違う速度で生きているんだな」
「はい。子供でいられる時間は、街で暮らす子供たちよりも短いでしょうね・・・・・・」
「だな。──そういえば、成長途中っていうことは、今はまだ、あまり意味を理解していない、あるいは自分で真にそうとは思っていない言葉を言うこともあるっていうことだよね」
「・・・・・・はい」
「──下賎な者」
「・・・・・・」
「・・・・・・とかが、いい例かな。つまりはまだよく物の分からない少女に、そうだと教えた者がいる。ああそういえば、邯の国の宰相は、お姫様の教育係も兼任してたんだっけ」
私は首肯した。
ラナ様が時空眼について、また私についての知識を持っていたことを知ったときから、気にはなっていた。
時空眼のことだけだったらまだ、任務にあたらせる忍について里からあらかじめ情報を聞いており、それがラナ様の耳にまで入った可能性がごく僅かではあると思えたが、少女はさらに私のことを下賎の者と言った。
それは資料上だけではなく、それ以上の情報を持っていた誰かが彼女の傍にいたということに他ならない。
そしてそんな、誰から、どこまでを、どんなふうに聞いたのかという疑念は、宰相と初めて二人で顔を合わせた瞬間、なくなった。
「・・・・・・接触はあったか?」
「・・・・・・決定的な何かは、特に。何も言われていないし、何もされていません。──ですが」
「・・・・・・」
「私を見る目が、ひどく濁っていましたね。瞳の奥で、憎悪が燃えていた。──少し珍しいですね。私に接触してくる連中は、時空眼を物としてしか見ていませんが、私に死なれては困るので、殺意はなかった。ですが宰相にはそれがある」
「・・・・・・」
「ただ、サイの報告と宰相を結びつけられるだけの証拠は見つけられていません」
私たちは各々護衛をしながら、時にサイの術を介して情報を共有し合っていた。
そして今日、サイから、僅かではあるが非常に巧妙に姿を隠しながら首都へ近づいてきている小集団を見つけたと連絡があったのだ。
このことについては、国王にも報告済みである。
カカシ先生は少しの間、黙ると、そして口を開いた。
「無理をしてまで、自分から引き受けにいこうとは考えてないな?」
「はい。私がここにいるのは、護衛をするためですから」
「・・・・・・よし」
「──ですがもし、そうせざるを得なくなったときは──やります」
「・・・・・・」
「私の全力を以て、迎え撃ちます」
僅かな沈黙の後、先生は言った。
「ああ」
「・・・・・・」
「時空眼を狙うどころか、排そうとしてくるのであれば、そいつは間違いなく木ノ葉の里にとっての敵だ。もし相対して、攻撃を仕掛けてきた場合は、迷わず始末しろ」
「──はい!」
それから少しの間、私たちは見つめ合っていた。
やがてカカシ先生の目元がふっと和らぎ、六代目の衣を脱いだことが分かる。
「名前、俺、待ってるからね」
「・・・・・・」
「おかえりって出迎えるって、言ったでしょ」
「・・・・・・はい」
「俺、待ちくたびれたら名前のこと追いかけに行くから」
私はぎょっとした。
しかし、にこりと笑んでいるカカシ先生に気が付くと、私に無理をさせないための冗談か、とほっとする。
「言っておくけど、冗談じゃないから」
「──!え!?」
心の中を読まれたような言葉とその意味に、さらにぎょっとしたが、カカシ先生は変わらず笑むばかりで、私は困って頬を掻いたのだった。
──そして式典、当日。
空は気持ちいいほどに晴れ渡っていた。
王、王妃、それに王女が、宮殿のバルコニーに姿を現せば、街の方から歓声が上がった。
きっと向こうからすれば三人の姿は米粒程にしか見えてないだろうけれど、それだけ待ち望んでいて、祝福しているのだ。
マイクに向かって語りかける王の言葉が、街中に設置されたスピーカーから民に届く。
式典は概ね順調に進んでいたが、王の演説が後半に差し掛かったところで、突如ラナ様が立っていた台からぴょんと飛び降り、そのまま宮殿内へ向かって駆け出していってしまった。
王の声に僅かな動揺が走るが、演説はそのまま続けられる。
私はナルトとサクラに目配せすると、ラナ様の後を追って駆け出した。
「ラナ様──待ってください」
バルコニーと繋がった部屋を抜け、廊下に出たところで私はそう声を上げた。
「──具合でも悪いんですか?」
立ち止まると振り返ったラナ様の目からは涙が零れていて、焦ってそう聞く。
ラナ様は首を横に振った。
「こんなことをするつもりじゃ、なかったのじゃ。でも嫌で嫌で、堪らなくて」
「ラナ様──」
「式典なんて・・・・・・終わらなければいい」
「・・・・・・」
「式典が終われば、名前は帰ってしまうのであろう?そんなの──嫌じゃ。式典なんて、終わらなければいい・・・・・・!!」
ラナ様が声を上げたときだった──後方で爆発が起こった。
轟く爆音と揺れる宮殿に、私は踏鞴を踏み、ラナ様は床に尻餅をついてしまった。
すると飛び込んでくる気配を感じて、私はクナイを手に取ると駆け出す。
ラナ様を抱えたところで、迫る剣の切っ先にクナイをぶつけ返した。
「な、何──」
「ラナ様、目を瞑っていてください!私から離れないで!」
火花が散る中、そう声を上げれば、ラナ様は言ったとおりにしてくれた。
ぎゅうとしがみついてくる小さな手は、かたかたと震えている。
何が起きているのか分からないながらも、本能的に危険を察知しているんだろう。
(衛兵──クーデターが起こったか・・・・・・!)
ナルトたちと合流しようかという考えが過るも、聞こえる音はそちらの方が苛烈で、また押しやるようにぞろぞろと衛兵たちが沸いて出てくる。
私はラナ様を片手で抱え、もう一方では衛兵たちの攻撃をいなしながら、廊下を駆けた。
やがて着いた謁見の間、私はラナ様を下ろすと、脚にしがみついてくる少女に響遁の術を掛けた。
空に立つときと同じ原理のもので体の周りを覆うことで、攻撃を防ぐことができる。
すると衛兵の波が割れた。
その向こうから歩いてくる人物に、ラナ様は驚愕する。
「ヨウ・・・・・・!」
「やあ、ラナ」
「これはいったいどういうことじゃ・・・・・・!?どうして衛兵らが名前に刃を向ける!」
「木ノ葉の忍は、国王一家をお守りするため雇われた。国家転覆を目論む我々にとっては、邪魔な存在だからな」
「国家、転覆・・・・・・」
ラナ様はかたかたと震えていたが、すぐに強く宰相を睨みつけた。
「何故じゃ!?どうして──父上たちが何をした!」
「何もしていないからだ!」
声を上げたのは、衛兵のうちの一人だった。
「国王が変わってから五年、豊かになるのは王のお膝元の首都ばかりで、地方はいっかな変わらない。あなたたちはあの荒れ果てた村々を見たことがないんだろう!」
「宰相からお聞きしたのだ。国王は、首都を優遇する政策ばかり採っていると」
「私たちは地方の出です。これ以上故郷が、家族が踏みにじられるのは見ていられない!」
「首都を、優遇って」
衛兵たちから畳みかけられて、ラナ様は顔を青くしていた。
私はそっと囁く。
「恐らく宰相の情報操作です。国王は地方を蔑ろになんてしていない。首都が発展したのだって、それはその先にある村々にも活気を波及させようという狙いがあるからです。そして歪んだ情報を教えられないかぎり、普通であればそのことに気がつきます」
「情報、操作・・・・・・」
ラナ様は俯いた。
握りしめられた手が震えている。
「だが衛兵たちを、どうして責められよう・・・・・・だって──私だって」
すると宰相の後ろから、どこか似たような相貌をした男が四人、やってきた。
私はクナイを構え直す。
ラナ様は、はっとするとぐいぐいと裾を引いてきた。
「駄目だ、名前、逃げろ!無理じゃ!」
「・・・・・・」
「数が違いすぎる!お前まで死んでしまうぞ・・・・・・!任務のことは、もういいから」
ラナ様はぼろぼろと涙を流していた。
私は膝を折って目線の高さを同じくすると、そんなラナ様の頬を撫でる。
ごめんなさい、と笑った。
「でも、できません。だって、確かにラナ様をお守りするのが私の任務ですが──もうそんなの関係なしに、私はあなたをお守りしたいんです」
「──!名前・・・・・・」
「こんなところで、みすみす凶賊の手に掛けさせたりなんて、絶対にさせませんよ」
言うと私は立ち上がった。
「後ろにいて、そこから動かないように」
衛兵たちは、じりじりと距離を詰めてきている。
ややあって後方で、ラナ様は震える声で言った。
「頼む、名前・・・・・・衛兵たちを、殺さないでくれ」
「──分かっています」
言うと私は印を結んだ。
(響遁──重音の術!!)
圧力を掛けられ、動きを止められた彼らの中に突っ込んでいく。
するとそのとき、宰相を筆頭とした五人が印を結んだ。
「言霊の術──ヨウ様を防御」
「響遁の術を解除」
五人がそれぞれいずれかの言葉を言ったとき、響遁の術が解ける感覚がして、私は瞠目した。
(言霊の術──術に乗せて言った言葉が現実のものになるのか?)
思いながら、ラナ様に掛けたそれも、傭兵たちに掛けたそれも解けてしまって、私はまずラナ様に術を掛け直した。
背後に気配を感じて、咄嗟に避ければ、今さっきまで立っていた場所に剣が振り下ろされる。
「言霊の術──響遁の術を解除」
するとまた三人がそう言った。
ラナ様に掛けた術が解かれる。
(駄目だ、術の効果の程はまだよく分からないけれど、三対一だと圧し負かされる)
宰相がちらりと笑った。
「さあ見せろ──時空眼を」
「──言われなくても」
私は心中で皆に謝罪の言葉を言った。
けれどきっとこの状況なら許してくれる──はずだ。
(──時空眼!!)
時空眼を開眼すると、再びラナ様に響遁の術を掛け、停止の作用で強化した。
「言霊の術──響遁の術を解除」
今度は響遁の術が解かれることはなかった。
圧し勝ったことを確認すると、衛兵たちの間を縫って回り、片っ端からクナイの後部で殴りつけて気絶させていく。
「言霊の術──響遁の術を解除」
今度は宰相以外の四人で術を掛けたようだが、それでも響遁の術は解けなかった。
(衛兵は、あと少し)
私は一つ息を吐くと、床を蹴った。
「言霊の術──時空眼が使えなくなる」
「左目が使えなくなる」
瞠目したが、術が掛かった気配はない。
(掛けられるものにも限度があるんだ)
そして私は、衛兵の最後の一人を倒した。
宰相は床に転がる者たちを一瞥すると、そして息を整える私に視線を移して手を叩く。
「お見事。いやそれとも、この国の者たちが弱すぎるのかな?」
「ヨウ・・・・・・お前は、なぜこんなことをする・・・・・・!」
宰相は、叫んだラナ様をちらりと見やると、
「ラナ、お前のご両親は些か聡明すぎる。だから扱いやすい地方豪族の阿呆に変わってもらうんだ。そして我ら一族がこの国を治める」
言って宰相は頷く。
五人は揃って印を結んだ。
「言霊の術──防御」
すると今まで宰相にのみ掛けられていたものが、五人全員に掛けられた。
うち二人が向かってくる。
「言霊の術──右腕が使えなくなる」
だらんとぶら下がった右腕に、私は瞠目した。
感覚がない──手からこぼれ落ちたクナイが音を立てて床を転がった。
敵のうち、一人のクナイの切っ先が僅かに肩を抉る。
「名前!!」
私は体を捻ると左手でクナイを取ったが、すると今度は左腕に術を掛けられた。
もう一人の蹴りが腹に入って、飛び退くと同時に咳き込む。
私は連中の術に巻き戻しの術を掛けた。
両腕に掛けられたものと、奴らを取り巻く防御の両方に。
床を蹴ると一瞬で二人との距離を詰め、クナイを振る。
しかし決定打を加える前に、再び防御の術を掛けられてしまった。
「惜しかった──」
言い掛けた宰相が、言葉を途切れさせる。
右目ではなく、左目を閉じた私を訝しげに見やった。
すると二人の男が断末魔を上げて宰相は、はっとする。
「まさか、時空眼で傷を広げて──?」
二人の男は地面に倒れた。
宰相は、肩で息をする私を見ると肩を竦める。
「なんとまあ、ひどいことをする瞳力だ」
「お前たちはこの国の民でも何でもない、ただの簒奪者だ。容赦はしない」
言って私は抱いた違和感に眉を顰めた。
宰相を守るようにして立ちはだかる残る二人の男は、倒された同族に憤り、私を睨みつけてきているが、宰相にはまるでそれがないのだ。
すると不審に思った私に向かって、宰相は顔を歪めて笑った。
印を結ぶ。
「言霊の術──命を以て術を掛けろ。その一、響遁の術を解除。その二、響遁の術並びに時空眼が使えなくなる」
宰相の言葉に、誰より驚愕したのは彼を守る二人の男たちだった。
「ヨウ様、何を──」
「何故──ぐ、ぁああッ!!」
男たちは叫びを上げる。
それと同時に、宰相はラナ様に向かって駆け出した。
響遁の術が解ける。
(命を懸けてする術は、効果が強いのか・・・・・・!)
時空眼も解けて、途端に一気に襲ってきた苦痛に私は唇を噛みしめる。
だが構わず床を蹴り足を動かした。
凶刃が今まさにラナ様に襲いかかろうとしている。
私は二人の間に飛び込んだ。
0712